30.微睡は珈琲の香り —貼紙—-1

 またアイツだぜ?

 

 アイツ? ああ、最近この辺うろついてる……あの?

 すげえよな。また一位か。

 エースだよな。

 あんなに成績よかったら、もう市民になって管理局に雇われるんじゃね?

 でも、アイツ、喧嘩して他の獄卒斬ったとかで、加点プラマイゼロらしいぞ。

 ていうか、万年UNDER評価じゃねえかって有名だよな。

 イカレてんな。

 そう、アイツは頭がイカれてる。関わらねえ方がいいよ。


 どうにもアイツは、普通の獄卒じゃない。



 文月の終わりの夢を見る。


 シャワーの音が聞こえている。

 季節のエリアを逆行していくフジコたちは、今から徐々に春に向かう。

 文月エリアに多い家屋には縁側がある。打ち水をして涼むこともできるのだが、今日は朝から少し雨模様だ。なので、涼しい。

 というのに、今の彼女は縁側には出ないで、その部屋の壁の方をじっと見ていた。

「お? お嬢レディ、何やってんだ?」

 シャワーを浴びた後、奈落のネザアスがバスタオルを被ったまま出てくる。

 先ほどから聞こえていたのは、雨音もあるが、本当にネザアスがシャワーを使っている音だった。

 昨日の激闘を制したネザアスだが、多少負傷していたこともあって、この宿舎に着くや否や気絶するように爆睡してしまったのだ。

 黒騎士は急速に体を治癒するために、発熱することもある。熱を出して気絶してしまうこともあるものだから、フジコは思わずドクター・オオヤギに連絡をしてしまったが、大事はないようでただの寝落ちらしい。とはいえ、フジコには、その辺の寝落ちと気絶の区別がつかない。毎度無駄に心配する。

 人を心配させたくせに、奈落のネザアスときたら目が覚めると、汗をかいたとか言ってマイペースにシャワーを浴びてくる。

 そんな彼に、機械仕掛けのスワロがぴぴーと不機嫌に抗議するのを、フジコは笑ってまあまあと宥めるのが常だ。

「壁に貼り紙があったから。これって水無月エリアの案内図?」

 壁には、簡易な地図が書かれた貼り紙があった。

「あー。ここはエリアゲートの近くだからな。そういうのある」

「水無月エリアって、どんなところ? これを見ると、雨と水がテーマみたいだね? 蝶々もいるみたい」

 綺麗なんだろうな、と無邪気に笑いかけるフジコに対し、ネザアスはなぜか微妙な表情だ。

「おれ、水無月のエリア好きじゃねえんだよなー」

 ブツクサいうネザアス。

「どうして? ドレイクさんの本拠地みたいなところなんでしょう?」

 口で言うほど、ネザアスはドレイクを嫌っていない。それは知っている。

「だって、ビーティー姐さんの意向が強いとこだしよー。それに長雨降ってて鬱陶しい」

 と、苦手なのは、どうやら、ドレイクのパートナー、水無月の魔女、ミナヅキ・ビーティアと関係がありそうだ。

 彼女達のすみかのある水無月エリアだ。顔を合わせる可能性も高いのだろう。

(もしかして、生身のビーティアさんがいるとか?)

 汚染に弱いビーティアは、蝶の姿の助手をドレイクに添わせているのだが、もしかしたら、本拠地には現れるかもしれない。綺麗な人らしいし、フジコもちょっと興味のあるところだが、ネザアスがより苦手そうだなとは思う。どうも、これで彼は大人の女子が、得意ではない。

「文月エリアも梅雨空設定あったけど、水無月のエリアはマジで梅雨の長雨でジメジメしてるんだ」

 ネザアスはむーっと眉根を寄せる。

「長雨って、ネザアスさんも雨降るところにいたのに」

「ちっちっ、お嬢レディ。おれの霜月エリアは、梅雨のだらだらした雨とは違うぞ」

「そうかなあ」

「そうだよ。あー、……水無月のエリア行く前に、ウィスに傘のいいやつ用意しなきゃなー」

 ネザアスは霜月のエリアから使っている、自前の特殊加工の番傘があるのだが。

 そうなんだ、と頷きつつ、貼り紙から外の方を見たフジコは、ふと、あ、と声を上げた。いつのまにか、雨が上がっている。

「ネザアスさん、水無月エリアのゲートの方、虹が出てるよ」

「んー?」

 気のない、気怠い返事をするネザアスが、縁側に駆け寄るフジコを追って、ちょっと首を伸ばすようにして外を見る。

「綺麗だねえ」

 フジコの見る空は、晴れ間が出て青い。そこに綺麗な七色の虹がかかっていた。しかもかなり大きい。

 フジコの肩のスワロも、ぴぴーと鳴いて喜んでいるようだった。

「ああ、アレなあ。水無月エリアは虹が出やすい。エリアゲートも虹と雨がテーマだったぜ」

 虹も人工的なものらしいが、演出はかなり凝っているようだ。

「ま、アレだけは悪くないか。ウィスは、綺麗なもの見るの好きだもんな。綺麗なもんあってよかったぜ」

「ネザアスさんもそうだよね。綺麗なもの、すごくよく知ってる」

 ふふ、と奈落のネザアスは、苦笑した。

「まーなァー。おれは」

 彼は虹に目を向けつつ言った。

「この奈落が、本当は綺麗なところだったって、よーく知ってっからな」

 ほんの少し寂しげながら、ネザアスは切り替えてフジコに笑いかけた。

「さて、準備できたら出発しようぜ、お嬢様。おれの歌姫レディ・ウィステリア」



『そういえば、フォーゼス隊長とグリシネ、ようやく式場を決めたようですよ?』

「それはおめでたいわね。日取りも決まったのかしら」

 文月の魔女、フヅキ・イグノーアからの喜ばしい内容の通信に、卯月の魔女、ウヅキ・ウィステリアはそう答えて微笑んだ。

『どうでしょうね。フォーゼス隊長は慎重すぎるところがあるんですよね。トオコちゃんとの結婚式に粗相があってはとか言って、何事にも慎重すぎなんですよ。というか、あの二人、もっとさっくりと結婚してもよかったと思うんですが、私』

 イノアは、こう言う話題には相変わらずちょっと毒舌気味だ。

『だって、もう一年はゆうに……、二年近くは経ってるんですし。どうせ両思いなのに』

「恋人気分を楽しみたかったのでしょう? あの二人には空白の期間が長いからね」

 ウィステリアは苦笑気味だ。

「グリシネも見違えるように明るくなったし」

『あれ、詐欺ですよね! 相変わらず、私たちにはクールを装ってますけど。なんですか? フォーゼス隊長の前だけ、無邪気なの!」

「いいじゃない。それだけ自分を抑えてきたのよ。そういう、イノアだって、幼馴染の彼、見つかったって聞いたけれど、どう?」

『ど、どうって? いや。ま、まあそうなんですけど。まだ、直接は会えてないんです。ちょっとお話しはしましたけどね』

 急に歯切れの悪くなるイノア。自分のことは、照れてしまうらしい。

『その、ウィステリアには、ユーネからは連絡ないんですか?』

 イノアが声のトーンを落としてきいた。

「ないわね。フォーゼスさんやエリック様の話では、きっと生きてるって言ってたけど」

『そうですか』

 あれから二年が過ぎ、夏の日差しが再び巡っていた。

 彼女達を巡る環境は大きく変わり、管理局の大物、エリックの庇護を受けて、魔女であることを秘匿されて生活している。

 あの小島での戦闘の後、黒物質ブラック・マテリアルを含む万能物質で形作られていた小島は、黒物質を溶かす人魚の毒の泡で見る影もなく溶けていった。周りの島にも影響が出そうだったこともあり、一帯は新しい万能物質オールマイティ・マテリアルで簡単に埋め立てられた。

 万能物質。一種のナノマシンであるそれを使い、大きな3Dプリンターを用いると、管理局は地形を簡単に変えてしまうことができる。

 灯台の島すら埋め立ての対象になり、思い出の宿舎は今は地下に潜っている。

 ただし、そのまま、保存はされているとエリックは教えてくれた。宿舎の部屋や、ネザアスの部屋は残されているらしい。

 ただ、思い出にと、ウィステリアは、灯台守の島から種火だけをいただいて、今でも自分のマンションでそっとそれを保護している。

 結果、灯台守の魔女や廃止された資料館の魔女は不要になり、代わりに二人はエリック直属の調査員エージェントとして守られながらも雇われ、仕事をしている。情報収取が主な調査員エージェントの仕事は、多少の危険は伴うものの、魔女の力を使えばさほど困難な仕事でなかった。

 イノアはやはり情報処理関係を、そしてウィステリアは歌姫として歌い、潜入して情報を得る仕事をしていた。

 ユーネは、あの決戦の後、姿を消してしまった。

 あの周辺の分解された黒物質の塊に、黒騎士ブラック・ナイトが含まれていたことはわかっていたが、ユーネのものではないらしい。彼はおそらく生きていると、エリックは教えてくれた。

 フォーゼスによると、別れ際のユーネは、ユーネというより完全に奈落のネザアスのようであったとも言う。

 ウィステリアには、彼ら二人が同一であったのか、別のものであったのか、正直なところ、よくわからない。

 ただ、あの時、ユーネは自分をネザアスとは別物として扱って欲しそうにしていた。だからこそ、ウィステリアはあくまでユーネと約束をした。

そして、それでいながら、覚醒してしまったユーネが戻ってこないだろうことを、ウィステリアは察していた。

『いつかはきっと戻ってきますよ』

「そうね」

 イノアの気遣う声に、ウィステリアは苦く答える。

 彼女の視線の先には、灯台の島から持ってきた種火の入ったランタンがあり、その前にかつての奈落のネザアスとフジコだった自分の写真、そして、島でフォーゼスやリモートで参加したイノアと撮ったユーネと自分の写真が飾ってある。

 種火は、いつか彼が戻ってくる時にそれを目印にするのでは、と言う思いから。黒物質を持つ彼等は、きっと種火の存在に気づく。

(二度と、戻ってこないかもしれないけれどね)

 ウィステリアは、イノアに知られないように、ため息をつくのだった。



 ウィステリアの今の仕事は、E管区のシャロゥグという支部な獄卒街の勢力を調べることだった。

 腐敗していた白騎士が急速に廃れた反面、黒物質を投与された重罪人を中心とした獄卒と呼ばれる強化兵士は使い捨ての駒として重宝されていた。扱いづらい彼等は加点減点方針で管理されていた。加点されると一般市民への返り咲きも許されるが、減点されると汚染のひどい場所への派遣を命じられる。流刑とは言いながら、実態は死刑同然。問題行動の多い彼等はそうして抑制されていた。

 そして獄卒にもクラスがあり、それこそ底辺から大物との繋がりのあるものまで様々だ。管理側との癒着も多いらしく、ウィステリアの情報収集はそうした反体制組織と彼等の繋がりを探るためである。

 基本的には歌手として呼ばれて、クラブなどで歌うのだが、獄卒のたむろする街は、獄卒街と呼ばれて一般市民はまず寄り付かない。

 ウィステリアの呼ばれる店は、獄卒街では上等な方に入り、泥の獣こと汚泥の化け物、囚人プリズナーのハンティング成績の良い獄卒や、多少の一般市民もいる高級店がほとんどだが、そもそもがそんなものなので、法度の賭博行為が繰り広げられいたりするのは当たり前だった。、

「おや、ウィステリア嬢じゃねえか。今日歌ってくれんの?」

 今日呼ばれた店も、まだしも高級な方だったが、昼間っから獄卒がたむろしている。基本的に汚染された、フェンスの向こうの荒野で仕事をしていない時の獄卒はフリーだ。昼間から酒を飲んで賭博に興じるものも多い。

 話しかけてきたその男も獄卒で、博打で首が回らなくなり、借金のカタに獄卒になったらしい。

 獄卒は、獄卒になると登録名を剥奪され、評価と数字で呼ばれるが、仲間内では呼びにくいため、大体あだ名がついている。

「ええ、今日、明日はお昼寝にステージがあるのよ。ええと、あなたはハブさん?」

「おっと名前覚えてくれてるのか、嬉しいねえ」

 ハブというあだ名の獄卒は、荒くれ者の多い獄卒の中では、比較的フレンドリーで話しやすい人物だ。

 そのコミュニケーション能力を買われて、大物の市民と獄卒の間を繋ぐ役割になることも多い。本人は小物であるが、意外とキーマンになる男である。

 それでかれはこの立派な方の店に出入りできるのだ。

「ウィステリアの歌を聞くと、なんか疲れが取れるんだよな。不思議だぜ」

「あら、それは嬉しいわね」

 それはそうだ。黒物質を体内に宿す彼ら獄卒は、ウィステリアの声の周波数で鎮静される。今のウィステリアはそれを使って、不埒な輩が触れようとしようものなら、即座に強烈な眠気を催させることぐらいはできる。

 獄卒相手には、ある程度の身の安全は確保できていた。

「なに見てんだ?」

「いえ。この貼り紙のひと、ずっと一位ね。この間もそうだった」

 先ほどからウィステリアが、壁の方をじっと見ていたのは、そこに貼られた貼り紙が気になるからだった。

 それは、シャロゥグ地区における囚人ハンティングの成績表だ。今時貼り紙とはアナログだが、獄卒の街ではこういうアナログさはさほど珍しくない。それに高級店のほんのり古風な雰囲気には、貼り紙方式の方がよく似合う。

 一週間に一度、更新されるランキング表。前に来た時も、その前に来た時もずっと一位はダントツで、UNDER-18-5-4という人物だ。

 UNDERは獄卒の評価で、素行が悪いということ。18-5-4が個別に割り振られた名前代わりの番号だ。

「あー、そいつか。気になる?」

 ハブがにやにやしつつ尋ねてきた。

「ええ、まあ。エース級の成績なのに、評価がUNDERって珍しいし」

「問題児だからなー」

 ハブの背後にいた別の獄卒が言った。

「獄卒間の喧嘩が多いんだよ、ソイツ。たまーにフラッと斬っちまったりしてさ。ま、俺らは、簡単に死ねる体じゃねえし、獄卒斬っても殺人にはならねーから一発アウトの減点にはならねえんだけどさ」

(大分問題あるわね、それ)

 ウィステリアは思わず突っ込んでしまう。

「あっ、でも、コイツ、割といい奴なんだぜ? この間、成績足りなくて困ってたんで、頼んだらこそっと星くれたし」

「そんなの、お前だけだろー?」

 獄卒間では、仕留めた囚人の数の売買や譲渡はまあある。

「ウィステリア嬢が気になるなら、紹介してやるよ。実は今日はここ来る予定なんだ」

「その時はよろしくね、ハブさん」

 確かに気になる男だ。一応、情報として上げておくのも良いかもしれない。

 ウィステリアは、一度外に出る用事があったので、そのまま外に出ようとしたが、扉のところで入ってきた客と鉢合わせた。

「あ、ごめんなさい……」

 と謝って道を譲ろうとして、ウィステリアはハッとした。

 入ってきたのは、痩せた背の高い男だ。

 夏だというのに、襟の黒い白いジャケットに、赤いシャツ。何か変な模様のついたネクタイ。右の袖に腕が通っていないようでふわっと揺れている。

 獄卒によくあることだが、剣を二本剣帯に差してある。右肩には獄卒専用の助手ロボットらしい、丸いだるまのようなものが乗っていた。

 赤っぽい短髪に、薄く色のついたサングラス。精悍な強面風の顔つきで、右目は失明しているらしく、そちら側に傷がある。

そして、左目は、夕陽のような色をしていた。

 男は、彼女を見て少し驚いているようだった。が、ウィステリアの方が面食らっていた。

 その容貌は、彼女がよく知る男とよく似ていたのだ。

 ネザアス? いや。

 男のジャケットの左胸のポケットに、いつぞや見たことのある藤を模した髪留めが刺さっていた。

「ユー、さん?」

 ぽつりと呟く。

 男の左の瞳が一瞬揺れた気がした。

 が、

「おっと姐さん、人違いじゃねえか?」

 男がハスキーな声でそう言って、肩をすくめた。

「それに俺も一応"ユー"だけどな。堕ちたっつっても、元々は軍人階級出身なんだぜ? お前みてえな小娘が、軽々しく、さん付けで呼ぶんじゃねえよ。なんだよ、ユーサンて、犬猫みてえによお」

 ふんと彼は高飛車に鼻を鳴らす。

「まー、せめて旦那くらいつけろよ。ったく、今時の女は礼儀なってねえな。このクソアマがぁ。気ィつけろ」

 そう言い捨てて、男は白いジャケットを閃かせながら席に歩いていく。

(なに?)

 ドカァっとハブのいるボックス席に座った男は、既に彼等と賭博の話になっていた。

(な、なに、あいつ!)

 呆然と見送ったウィステリアは、今更ぐわっと怒りが込み上げてきて、その後ろ姿を睨みつけた。

(何アレ、はァ、誰が礼儀なってないのよ! 初対面であの態度なんなの!)

 外見がネザアスやフォーゼスと同じなだけに、余計にイラっとする。

 フォーゼスがそうだったように、ゼス計画の生き残りなどもいるわけで、彼に似た外見の獄卒の存在はあり得ないことでないのはあらかじめ知っていたけれど。落差がここまであるか?

 明らかに不良獄卒。長い足を組んで気怠げに煙管をふかしつつ、早速、カードゲームをしている様は、なぜかものすごく腹が立つ。

「ガワだけ同じでも大違いだわ! なんなの、アレ!」

 怒りながら外に出ようとしたウィステリアに、ふとハブの声が聞こえた。

「アレ、ユーレッド。お前、入口で綺麗な女と会わなかった? あのコ、歌手なんだけどよ、なんかお前気になるみたいだったぜ? いや、マジ、隅に置けねえなー」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る