終章 星の降る夜に

8-1

 長い隊列をなし、百を超える魔法兵とともにペトナ村を出発した。常陽樹の森を貫くように伸びる一本道。その先にあるのは星見の台座だ。

 辺りを風渡りが警戒し、僕らが乗る馬車の周りを十人以上の魔法兵が守りを固める。

 しかし、今は昼間だから何も起こらない。ディアトロスは夜に活動するからだ。本来なら警戒する必要なんてない。

 それなのに厳重に警戒しなくてはならないのはゼルフィーの存在があるからだろう。奴はどこから現れてきてもおかしくない。一瞬だって気の緩みも許されない。

 厳重な警戒が敷かれる中、隊列は東へと進んでいく。日が沈み、空が暗闇に染まる頃、ついにその時が来てしまった。

 馬車がいきなり停車し、僕は日除けのカーテンを捲り上げ、窓を開ける。そこから顔を覗かせ、馭者に声をかけた。

「何かあったのか?」

「あなたのお国の兵士が前に陣取っているみたいですよ」

 どうやら前方で言い合いになっているようだ。ヨサの兵士の威圧的な声がこちらまで聞こえてくる。

「そこを退け! バーバスカムの雇われ兵よ。我らは星の子及び、その要路の者を護送している。この行為を妨害するのなら敵国とみなすぞ!」

「どういうことだ。なぜヨサの兵士が俺たちに敵意を向けている?」

 モーゼスの声だ。彼らにはまだ、ゼルフィーが危険だということが伝わっていない。

「バーバスカムの兵よ。ゼルフィーを引き渡せ。我々で処刑する」

 ヨサの兵士が強い語気で要求する。

「待て、いったい誰の差し金だ。まさか、お前らの王がそう言っているのか?」

 僕は馬車から降り、前方へ歩いた。モーゼスは、衛兵の影から現れた僕の姿を見ても、状況が飲み込めていない様子だった。

「ラルフ!? これはどういう?」

「話をしている余裕はない。今すぐゼルフィーを引き渡してくれ。奴は危険だ」

 最初は従わないと思っていた。しかし、モーゼスはあっさりと僕に道を譲る。

「そうかよ。そういうことなら従おう。お前に反抗して勝てる気がしねえからな。奴は馬車の中だ。お前が引き摺り出せ」

 モーゼスが指差した先に王族用の馬車が止まっていた。居住性を重視した箱型のつくりをしたものだ。荷物を置くスペースはなく人、独りが座ることしかできない。全くこんなものに馬一頭も使うとは……。

 僕は馬車の扉についた金具のロックを外す。ノブを引き扉を開けた瞬間、僕は目を疑った。

「いない!? どこへ?」

 上から獣が立てるような唸り声が聞こえた。それと同時に、僕は見上げる。するとそこには、木の上から僕を見下ろすディアトロスの姿があった。その黒い巨躯が前屈みになったのを見て、僕は慌てて馬車から飛び退る。

 上から落ちてきたディアトロスが馬車をぺしゃんこに押し潰す。破片が飛び散り、埃煙あいえんが立ち込めた。

 僕はディアトロスが次の動きに入る前に火球を生成し飛ばす。

 しかし、炎が黒い巨体を燃やすことはなかった。消えたのだ。一瞬にして姿が消え失せ、火球は馬車の残骸を燃やした。

「一体どうなっている。なぜ消えた?」

 モーゼスは訳がわからないといった様子で訊いてくる。

「転移魔法だ。こんなの使えるのはリオラ以外に奴しかいない」

 警戒をしているとディアトロスはリオラが乗っている馬車のすぐそばに姿を表す。

 巨大な化け物の腕が馬車に向かって振り払われた。

「リオラ! エミリー!」

 僕は叫び、馬車に駆け戻る。しかし間に合わない。

 僕らがここまで乗ってきた馬車は客室部分の上半分が消し飛び、辺りに木片が散った。二人は屈んで攻撃を避けたのか、残った客室の下半分からリオラがひょっこりと顔を出す。すると、そこを目がけてディアトロスが拳を振り抜いた。

「リオラ!!」

 突然、リオラの目の前に障壁が現れ、怪物の拳が止まった。透明でガラスのような障壁は、ディアトロスがいくら殴ってもヒビすら入らない。

 そこへヨサの魔法兵が一斉に火球を放つ。炎に包まれディアトロスは焼き払われた。炎が消え、煙を出して倒れる巨体を見ながらも僕は辺りを警戒した。

 リオラとエミリーも馬車から降り、ヨサの魔法兵のそばに移動する。辺りに緊張感が漂うなか、モーゼスが口を開いた。

「なあ、ラルフ。ゼルフィーはいったい何者なんだ?」

「奴は前回の見送り人。星の子を見送った後、悪魔と契約し人間を捨てたやつだ。四年前のディアトロスを生み出したのも、近年の飢饉も全部奴の仕業なんだよ」

 モーゼスは信じられないというような目で僕を見ていたが、そんなのに構っている余裕はない。僕は、声を張り上げて叫ぶ。

「出てこいゼルフ・ロドリゲス! ディアトロス程度ではリオラを奪えないぞ!」

 すると、しがれた笑い声が辺りに響いた。目の前で深紫のローブを被った男が、まるで地面から芽が生えるように姿を現す。

「流石にバレてしまったか。まさか息子の魂が残っているとは思いもしなかったわい」

「悪魔の末裔まつえいが——、ここでお前を殺す」

「悪魔か……」

 ゼルフィーが不気味に笑う。

「何がおかしい?」

「お主らはちと誤解をしておる。この世に悪魔などおらぬ。私はただ、肉体と魂を分離しただけにすぎない。悪魔というものがあるとするならば、それは人の負の感情そのものだろう。それに支配され、狂った人間に向けて悪魔に支配された奴と、周りの人間が言ったにすぎない。 

 それと同様に全知全能の神も存在しない。

 ラルフよ、私は世界の平和を神に願ったが、結果どうなった。一時的に世界の平和は保たれたものの十年もすればこの様だ。人間どもは争いを止めぬ。共存という道は歩めぬ。ならば、こんな生物としての失敗作、捨て置いてもいいのではないか?

 私は、星の子の力を手に入れる。そして、人類の滅びを受け入れよう。妻の魂を呼び起こし、一掃された地上を復興させ、共に新人類を導く神となるのだ」

「そんなこと絶対にさせない」

「果たしてお主らにわたしを止められるかな? ほうれ、ディアトロスどもよ。餌の時間だ」

 ゼルフィーの言葉を合図に目の前の空間が割れた。割れ目の中は真っ暗で、どこまでも闇が広がっているようだった。その中から二体のディアトロスが姿を表す。

 しかし、何かがおかしい。さっきまでの個体の肌は赤黒かった。ついさっき戦った個体も、四年前と同じで大して強さも感じなかった。しかし、今回の体色は青黒く、余計に不気味さを増している。

 ヨサの魔法兵がディアトロスに向けて一斉に火球を放った。二体とも体が炎に包まれる。その光景を見て、無力化したと思われた。しかし、ディアトロスが自らに纏(まと)わりつく炎を振り払う。

 この時味わった感情は絶望に近かった。星の子の血をなるべく薄めないようにしてきた魔法兵の力では全く及ばない。それは自分でも倒せないことを示しているようなものだ。

 ゼルフィーは抑えられない笑みを浮かべる。

「こいつは貴様らのような下等の魔力しかないものには倒せない。もちろんラルフ。お主にもだ」

「ゼルフィー!!」

 召喚された二体のディアトロスは、近くの兵士を襲い始めた。兵士は争う術もなく、命を落としていく。その様子を見てゼルフィーは愉快と言わんばかりに嘲笑う。

「見よ。死者の怨念(おんねん)の成れの果てを。これが人の醜き姿なのだ」

「リオラ。四年前みたいにこいつらを消せないのか?」

「だめ」

「なぜだ!?」

「あれはゼルフィーによって支配さえている。本体を殺さない限り浄化はできない」

 ——くっそ!

 僕は光弾を生成し、ゼルフィーに放った。無駄だとはわかっている。でも、何もせずにはいられなかった。

 ゼルフィーに向けて放たれた光弾は奴の手に持つ水晶によって吸収されてしまう。強大な魔力を前に僕はあまりにも無力だった。

「無駄だよ。わたしにその程度の魔法攻撃は効かぬ」

 ——それなら。

 僕はゼルフィーに向かって駆け出し、剣を振り払う。しかし、奴の姿が一瞬にして消えてしまった。

 ——どこに消えた? 

 ゼルフィーの不気味な笑い声がこだまし、僕はあたりを見回す。しかし、どこにもいない。

 ——どこにいった。奴が隠れられる場所はどこだ。

  リオラの影が徐々に伸びていく。

 ——影!? 

 奴はリオラの影に!! 

 ゼルフィーがリオラの影から姿を表すとローブの中から短剣を取り出し、リオラの腕を掴んだ。

「やはりな、物理的接触をしていれば障壁を作れない」

 ゼルフィーはリオラの掴んだ手を短剣で切断し、再び姿を消した。リオラの左腕は手首から先がなくなり、切断面から多量の血が落ちる。

「リオラ!!」

 そばにいたエミリーが止血しようとリオラの左腕を両手で握った。しかし、リオラは腕を押さえはするものの、冷静だった。

「エミリー、大丈夫。このくらいすぐに治る」

 リオラの切断された腕から、新しく腕が生えてくる。あっという間に再生し、元に戻ってしまった。

 僕はゼルフィーに目を移すと、奴は刈り取ったリオラの手を愛でるように撫でていた。

「星の子の地肉の一部…………。これでわしにも聖なる力が…………」

「やめた方がいい。あなたは星の子の力を支配できない」

「今更、何を言う。わしはこの日のために千年も生き延びてきたのだ。待ってておくれ、シオンよ。今、魂を蘇らせるからな」

 リオラの声に耳を貸さず、ゼルフィーはリオラから刈り取った手を胸に押し当てる。すると、手が奴の体に吸い込まれるように入っていった。その瞬間、ゼルフィーは眩い光りを放ち、悶え苦む。胸のあたりをかきむしり、人のものとは思えない呻き声をあげると、二体のディアトロスがゼルフィーに近づいていった。

「まさか!?」

 勘づいた時には遅かった。ゼルフィーとディアトロストが接触した瞬間、目も開けられない強い光が発せられ、僕は腕で目を覆った。

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