7-4

 王都ラッカルを出発して丸一日を費やし、僕らは星見の台座までの最後の村、ペトナ村に到着した。そこまでの道のりは特に何も起きずに済んだ。

 何か変化があったとすれば、それはリオラが眠ってばかりだったということ。本人が言うには、力を蓄えなくちゃいけないから眠たくなるということらしい。

 馬車の中、隣でウトウトと小首を揺らしていたのを見かねて、僕はリオラを肩にもたれさせた。

 スーッと穏やかな眠りに落ちていくリオラ。

 何か楽しいことをする時間じゃなくても一緒にいるだけで満足だった。

 とても幸せな時間だった。

 夜になってペトナ村に到着し、リオラにとっての最後の晩食を食べに食事処へ向かった。

 村の入り口から店までの夜道では誰ともすれ違わなかった。

 当然だ。ここの村の住民は警備のために夜は出歩かない手筈になっている。出歩いているのは警備に勤しむ兵士しかいないのだ。

 最後の晩餐はコルメソファーという料理だった。

 豆を形がなくなるまで潰して発酵させたものを肉の全面に塗り、潰したニンニクと一緒にポパイという果物の葉で包んで釜戸で焼く。

 ポパイの甘い香りとニンニクの力強い香り。これが米に合わない訳がなく最後の晩餐にふさわしいほど美味かった。

 リオラもあまりの美味しさに頬が持ち上がっている。そしてゆっくりと噛んでいた。

 落ち着いて摂れる最後の食事だから一回一回その味を噛み締めているのだろう。

 僕はリオラに自分の分の肉も一枚分けてやった。

「いいの? ラルフ。これすんごい美味しいから自分で食べなよ」

「僕はまた来ようと思えばこられるからね。三枚もあるんだ一枚くらいあげるよ」

「リオラ。私からも何か取っていいわよ」

「じゃあ、その甘いやつちょうだい」

 リオラが指さしたのは栗を甘く煮たやつだった。

「栗の甘露煮でいいの?」

「うん。リオラ、甘いの好きだから」

 他の汁物や青菜を擦った胡麻で和えたものなどを食べ終え、口直しの爽やかな香りの薬草茶を飲み終えると僕らは宿屋へ向かった。

「よし、じゃあ私は別の部屋で寝るからね」

「えっ。最後の夜なのにいいのかよ」

「だからよ。最後の夜なんだから二人だけで寝なさい。私のことは考えなくていいから」

 そう言ってエミリーは一人、指定された部屋の隣の部屋に入っていった。

 僕が部屋に入ろうとするとスバルに呼び止められた。

「ラルフ様、明日のご予定を説明したいのですが」

「わかった。酒場(した)でいいか」

「ええ、もちろんです。すぐに終わらせますので」

 僕はリオラに向きなおる。

「ごめんよ。部屋で待ってて」

 リオラは少し残念そうに俯くと黙ったまま部屋に入って行った。

 僕はスバルと一緒に一階に降りた。

「お酒は何か飲みますか?」

 先に席に着いたスバルが僕を見る。

「これから大事な話をするというのに酒なんかいらないだろ」

「今のあなたは苦しんでおられるようですので、何か紛らわせるものが必要かと思ったのですが」

「必要ない。それよりも説明を」

「そんなものありませぬ。明日することは日の出と共に星見の台座を目指すことだけです。何かの脅威に巻き込まれることもあるかもしれませんが、その時は全員が状況の打開のため善処するのみです」

「ふざけるな。そんなことのために僕を呼びつけたのか!」

「だから言ったでしょう。あなたには何か気を紛らわすものが必要だと。これをお飲みください」

 スバルはテーブルの上のポットから琥珀色の液体をグラスに注ぎいれる。

「こちらは、とある地方で生命の水と呼ばれている酒です。麦芽からできるお酒なのですが、長期間、樽の中で熟成させたもので、深く甘い香りが特徴です」

「これを飲めと」

「ええ」

「断る」

 僕が踵を返し、去ろうとするとスバルは語気を強くして続けた。

「いいのですか。今のあなたでは来たる現実に立ち向かえません。それで一番悲しむのはあの方なのですよ」

 それはだめだ。僕にとって、リオラが悲しむのだけは一番避けたいことなのだから。

 まったくこの男は胸のちくりと痛むところを小付いてくる。

「やっぱり飲む」

 僕は席に着いた。

「では、ごゆっくりと」

 スバルは立ち上がると宿屋の外へ出ていった。

 僕はゆっくりとグラスをつかむ。琥珀色の液体。独特な甘い香りがぷんぷんとしている。

 ——生命の水か……。 

 僕は恐る恐る口にする。口に含んだ途端、まるで水のように滑らかに喉を通った。味は香りと打って変わって全く甘くない。どうやら味よりも香りを楽しむ酒のようだ。

 この深く甘い香りが僕の心の憤りを溶かしてくれる。そんな気がした。

 しかし、違和感を覚えた。酒を飲んだ時、いつも感じる焼けるような熱さがない。

 ——これ、煮切ってあるじゃねえかよ。

 僕は独り、その酒の香りに気を紛らわした。


 ◇


 部屋に戻るとリオラはもうすでに寝具に寝転んでいた。

「もう寝ちゃうの? 最後の夜なんだよ」

「もうやりたいことは全部やったもん。だから、もう休みたいんだ」

「そっか。明日も早いからな。ゆっくり休みな」

 お休みと言って僕も布団に潜った。明かりを灯していた蝋燭の火を魔法でさっと消して僕は目をつぶる。真っ暗で静かな部屋の中、遠くの方で狼が遠吠えしているのが聴こえる。風で木々が揺れる音。こんな自然の子守唄を聞けるのなら誰もが簡単に寝付けるだろう。

 でも僕は、眠れる気がしなかった。

 隣では、リオラが鼻を啜る音が聴こえる。泣いているのだろう。

嗚咽を堪えているのも想像できてしまう。僕に背中を向け震えながら独り我慢して寝ようとしているのも——。

 僕は隣に移るとリオラの体を抱きしめた。

「リオラ、我慢しなくていい。僕も同じだから」

 リオラは声を上げ泣き出した。

「私、死にたくない…………。もっとラルフと一緒にいたいよ。もっともっと生きて結婚して子供を育てて——、そうやって生きていきたいよ」

「そうだな。僕もリオラともっと生きたい。ずっとずっと一緒に……」

 このまま永遠に一緒の夜を過ごしたかった。僕らが結ばれてからの時間はあまりにも少なくて非道すぎる。思いを満たすのに一夜だけでは足りなかった。僕も一緒に泣いた。彼女と一緒に——。もっと同じ時間を彼女と過ごしたいと強く願った。

 しかし、無情にも朝はやってきてしまう。絶望の淵に立たされても、どんなに永遠を願っても、必ず夜は明け、希望という名の光を見せつけてくる。今まで生きてきて、ここまで望んでない日の出はなかっただろう。いつ眠ったのかも覚えていない。眠った気もしない。ただいつものように窓から入り込む朝の光と、小鳥が囀る声で目が覚めた。

 僕が先に目が覚めたみたいだった。リオラは僕の隣で眠っている。

 もう少しだけこのままでいたい。

 僕はリオラの顔を覗き込む。穏やかな寝顔だ。たくさん泣いてしまったのか、リオラの顔には涙が流れた跡がくっきりと残っている。この可愛い寝顔を拝めるのも今日が最後だな……。

 五感で感じ取れるものは全て記憶に焼き付けよう。彼女の寝顔。彼女の匂い。彼女の柔らかい肌も温もりも全部。最後の瞬間まで、彼女の姿を記憶に刻み込みたい。絶対に忘れないように。

 いつの間にか起きないといけない時間になってしまっていた。僕は体を起こすとリオラの頭を愛でるように撫でた。何度も、何度も……。

 そうするとリオラも眠りから覚めたようで、重たそうに目蓋を開けると、僕の顔を見つめた。

「おはよう……。ラルフ」

「おはよう。リオラ」

 最後の朝の挨拶。今日、起こる全てのことが彼女にとっての最後。

 リオラは体を起こすと名残惜しそうに僕に身を寄せてきた。彼女の背に腕を回し、そっと頭を撫でてやる。

 この静かで和やかな朝がずっと続けばいいのに。

 そんなこと思ったって、時間は過ぎていき、次の朝日が上る前には彗星が落っこちてくる。

 結局、僕は行かなければいけないのだ。

 願いが叶っても、叶わなくても、星見の台座に。

「いこっか……」

 リオラの耳元でそっと囁く。名残惜しい温もりから離れ、僕らは部屋を出た。

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