3-8

 モーゼスたちに訴えても、何も変わらないことを悟った僕は、毎日リオラの部屋に通った。

 エミリーの稽古から逃げたいという思いもあったからだけど、もう一つの理由はリオラが描く絵が好きだったからだ。

 窓辺の椅子に座って陽の光を浴びながらリオラの描いた絵を見て、知らない土地の話を聞くのが好きだった。いつも通り、僕は窓辺の椅子に座って絵を眺めていると、リオラが気さくに話しかける。

「ラルフ、最近いつも会いに来てくれるね。リオラ嬉しい」

「エミリーと特訓するよりもリオラと一緒にいる方が楽しいからね」

 リオラは嬉しそうににこりと笑うと描き途中の絵に向き直った。そして、できたと言い完成した絵を僕に向ける。

「おっ! できたのか!? 今日のは、何処の景色なんだ?」

 向けられた絵を見ると、それは頂上付近が冠雪した山々に囲われた湖の絵だった。湖の周りには草原が広がり、ポツリポツリと白い花が咲いている。山の岩肌がかなり露出しているところを見るに高原の風景なのだろう。

 僕が訊いた質問に対し、リオラは首を傾げた。

「どこだかわからないんだ。これ、たまたま頭に浮かんだ景色なんだよね」

「へえー。綺麗な場所なんだろうね」

「うん、すんごく綺麗。リオラ一度でもいいからここに行ってみたいんだ」

 扉をノックする音がして、エミリーが顔を覗かした。

「やっぱり、ここにいた。ラルフ。リオラのお話につきあうのもいいけどさ、私の稽古にも付き合ってよね」

 そう言うとエミリーはいつものように僕に詰め寄る。

「エミリー、ラルフをとられてやきもち妬いてる」

 ポロッとこぼしたリオラの言葉にエミリーの頬が少し赤くなる。

「ちょっと、リオラ。そういうことぽんぽん言わないでよ——」

 と、焦った様子で言うエミリー。僕はなぜそんなに焦ることがあるのだと思いつつも、絵に描かれた場所をエミリーに尋ねてみた。

「ねえエミリー……。この場所、何処かわかる?」

「どれどれ——」

 と言い、エミリーは僕とリオラの間から絵を覗き込む。

「山の冠雪してる部分が多いから高原ね、ここ。花が咲いているってことは、季節は春から夏。その時期にも山が冠雪してるということは相当高い山脈ね。そして青い湖とくれば——」

「何処なんだ?」

「わからない」

 僕もリオラもなんだと言わんばかりに力が抜け、椅子の背もたれに寄りかかった。

「でもある程度場所は絞られたんじゃない?」

「特定できなきゃ、行けないでしょ」

 僕は呆れながら言った。リオラも眉根を上げて訴える。

「リオラ、ここに行きたい……」

 エミリーは何か考えているようでリオラの描いた絵をじっと見つめた。

「もしかしたら街の人に聞いたら何かわかるかもしれないわ。リオラ、この絵借りても良い?」

「うん。いいよ」

「じゃあ、空いてる時間に聞いてきてあげる」

「やったー。エミリー、ありがとう」

 と、喜ぶリオラ。

 その後、僕はエミリーに強引に連れ出され部屋を出た。廊下を抜け階段を降り始めたところで、エミリーが口を開く。

「ラルフ。連れて行ってあげたいのはわかるけど、あそこは無理よ」

「何!? 知ってる場所だったなら教えてくれよ」

「言わない。あんたに教えたらリオラを連れ出しかねないし」

「じゃあ、リオラは……」

「リオラは、そういう運命なの!」

 突然エミリーが声を荒げる。

「これは誰が悪いとかじゃなくて、仕方がないことなのよ。リオラがたまたま選ばれてしまって、私たちは危険がないように保護しなくちゃいけない。それは私たちが生き残るためでもあるの。

 それに辛いのはあなただけじゃない。モーゼスだってルカだってそう。あの子と関わっている人はみんな苦しんでるの。本当は自由に外に出してあげたいっていう思いを抑え込んで、あの子と関わってるの。わかって」

「わからないよ。リオラは星の子である以前に一人の人間だ。あいつにとって、そこまでされてまで守る価値が人類にあるのかよ」

「わからない。でも、保護して管理できる状態にする——それが、上の人たちが決めたことなの。私たちはその方針に逆らう力はないの」

 そんな僕らの会話を聞いていたのか、モーゼスがいきなり現れて声をかけてくる。

「ラルフ、ちょっとこい。お前に見せたいものがある」

 モーゼスは僕らを談話室に案内し、椅子に座らせた。その前にあるローテーブルに一冊の本を置く。その本は見るからに古く、紙は茶色く変色していた。革製の表紙も所々擦り切れている。

「これは?」

「ヨサ王国で出版された星の子の伝記だ。こいつは俺の親父が持たせてくれたものだ」

「へえー、ヨサでも伝わってたのか……」

「そうだ。だけど、こっちの伝記とはちょっと内容が違う。五〇ページ辺りを見てみろ」

 僕は言われた通り五〇ページ辺りをパラパラとめくった。すると見た事のない仰々しいモンスターの絵が目に飛び込んできた。版画印刷のため、あまり細かい造形はわからないが、鋭い爪と巨大な蝙蝠(コウモリ)のような形をした翼、長く太い尻尾を持った人型の怪物だ。

「これは……?」

「ディアトロス。悪魔の使いだと言われている。人の心臓を好んで食べる恐ろしい魔物だ。こいつは星の子を攫(さら)うという。こいつらの力は圧倒的で人の力なんかでは全く歯が立たない。けれど魔法でなら対処ができる。ここにはゼルフィーという強大な魔法使いがいるからな。俺たちはその聖魔道士様がそのモンスターを倒し切るまで、リオラを肉壁になって守んなくちゃならないんだ。良いかラルフ。星の子も無敵じゃない。俺たちは命懸けでやっているんだ。そのことはちゃんと心に刻んでおいてくれよ」

 モーゼスの目は真っ直ぐ僕の目を見ていた。そのくもりのない目を見て僕は、彼らも真剣に取り組んでいるのだと感じた。いや、感じざるを得なかった。

「わかったよ。そういう事情があるなら仕方がないね」

 だけど、機会があるなら見せてあげたい。リオラが絵に描いたあの場所を————。

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