第40話 化けの皮、はがれる

ここは私の出番だ。


私はできるだけおっとりと見せかけようと、ゆっくり口を開いた。


「私が貸したドレスが気に入らないなら、お召しにならなくて結構ですわ、ヘレン様」


私はゆっくり言った。


「ひどい方達ね。私がびしょ濡れになってしまったことを知っているくせに。それこそ人道にもとる行いですわ」


「そもそも、なぜ、あんなに濡れていたのです?」


私は誰も聞かなかったことを聞いた。


全員、ヘレン嬢の芝居だろうと思っていたので、誰一人聞かなかったのだ。本来は聞かなければならない質問である。


「それは……」


ヘレン嬢は言い淀んだ。


絶対に、何か筋書きを考えてきているはずだ。でなければ、こんな真似をするはずがない。


「それは……ファーラー様に呼ばれたからですわ。門のところで待っていて欲しいと。でも、雨になってしまって……」


「なんの用事で?」


「わかりません。ただ、会いたいからと」


「それで行ったのですか?」


ヘレンは口を尖らせた。


「だって。ファーラー様は、騎士団の副団長です。騎士団には、兄がお世話になっております。昔からよく存じ上げてもおります。会いたいと言われれば、行かないわけにはいきません」


「その会いたいという連絡ですね、それは何で受け取ったのですか?」


ここで私が嫉妬に駆られて逆上する……わけがなかった。


勘違い婚でも、最近は相当慣れてきたので旦那様のことも怖くなくなってはきたが、ヘレン嬢みたいな感情の持ち合わせはない。


「口頭ですか? 文書ですか?」


私は詰め寄った。


「それは……以心伝心というか」


「会わない限り、以心伝心なんてことありませんよね。どうしてそう思ったのか、知ったのか、その経緯をお聞きしています」


ダメだ。化けの皮が剥げかかり出した。ヘレン嬢は目を見張った。


「あなたって方は、人の気持ちってものがお分かりにならない方ね」


「あなたの気持ちは、この際、関係ないでしょう。私が聞いているのは、気持ちの話ではなくて、呼び出した方法のことですね。ですから、そう言った具体性のあるもの……書面などがないと言うことなら、旦那様の意思は不明ということになります。具体的に証拠立てるものがない以上、立証は難しいと思います。この場合、立証責任はあなたにありますから……」


姉がチッチッチッと指を振っていることに気がついて、私は尻切れとんぼに黙った。

あんまり喋るなという意味らしい。


「そんなこと、ありませんわ! はっきり私のことが好きだとおっしゃってましたもの!」


「それはそれは……で、いつですか?」


「ずっとですわ。私は困ってしまって……ファーラー様はそんなことをおっしゃるくせにご自分は爵位のある家から結婚相手を選ばれてしまって……」


ヘレン嬢はうつむき、いかにも傷付けられたと言った様子をした。


「あなたに対する裏切りだとおっしゃりたいのですね」


問題は前提としての結婚の申し込みの有無ですが……と言いかけて、わたしは姉の顔を見て黙ることにした。


「わたしの心は傷だらけなのです……もう、耐えられません。しかも、この家で、ファーラー様の奥様の世話になるだなんて!」


そう言いながらも、私の顔は見ていなかった。ヘンリー・バーティ様の方に熱い視線を送っていた。そして熱心に語りかけた。


「もちろん、こうなってしまった以上、他の殿方とご縁を結ばなくてはなりません……」


だが、その時、静かにドアが開いた。


そして、ものすごく怖い顔をした旦那様が入ってきた。


うつむいてたヘレンは一瞬遅れを取ったが、彼女以外の全員がドアが開く音に気付き、旦那様の顔に目が釘付けになった。


「ヘンリー」


旦那様は言った。


「不法侵入で、しょっぴけ」


そう言うと、モリス氏を顎で指した。


「はっ!」


ヘンリー様は驚くほど手慣れた様子で腰から拘束具を取り出すと、かちゃんと言う金属音が響いた。


モリス氏が抵抗する暇すらなかった。


「何をする! 私はここへ夫人の呼び出しに応じて来たんだぞ?」


「呼んだのか? シャーロット」


私はかぶりを振った。


「いいえ、まさか」


「なにか呼ばれたと言う証拠になるものは?」


「何をっ 以心伝心に決まっているではないか」


「ヘンリー、連れて行け」


「こっちの女性は? どうするのですか? ファーラー卿」


旦那様は侍女姿に呼びかけられてびっくりしたらしかったが、顔を見て叫んだ。


「ファーガソン夫人!」


「誰よ? その女。失礼だわ! たかだか侍女のくせに」


ヘレンは大きな声で文句を言った。

けれど、声が少し震えていた。怖かったのかもしれない。


ディーがすごくバカにした顔つきでヘレンを眺めていた。ファーガソン夫人と言う名前の侍女も、ものすごい上から目線で睨め付けてくる。


そして、多分、ヘレン嬢は、私のことはおっとりゆっくり少しボケ気味の箱入り娘だと思っていたらしい。


そのせいで油断してぬかってしまったのだと思う。


その点に関しては、申し訳ないと思うわ。


「取引しよう、騎士団長殿」


モリス氏が突然言い出した。


「あなたの夫人の浮気話だが、私から証拠は出さない。そうすれば公になることはない。無論ただとは言わない。わずかばかりでも金を出してくれれば、かえってあなたも安心だろう……」


「おもしろいから、どんな証拠があるのか出してみてはいかがかしら?」


私は口を挟んだ。


「あんなことを言って虚勢を張っているが、あなたの妻は、私と一度寝ている」


ものすごいことを言い出した。


「えっ、すごい!」


私が思わず叫んでしまった。


「あなたの話に根拠がないことが立証されれば、今の話は脅迫です。聞いた証人がこんなにいるのに、よくそんなこと言えますね。名誉毀損と損害賠償の世界ですよ?」


姉に止められているのだけど、私はペラペラとモリス氏に話しかけてしまった。


「何を言う。わたしがこの家を訪問したことがあるのは事実だ。ずいぶん長い間、あなたの寝室で、一緒にいたよね?シャーロット」


あっという間に旦那様の眉間に深い皺が刻まれた。


「失礼な。もう二度と妻の名前を呼び捨てにするな」


「いつまでそんなことを言っていられるかな? 証人もいる。あなたの家の使用人だって、まさか偽証罪に問われたくはないだろう。わたしが乗ってきた辻馬車の御者は正直者だ。何日の何時ごろ、この家に来たか、教えてくれる」


「帰りの時間の証明は?」


「大体、夕方だったと思う。だが、私はずっと夫人の寝室だけにいて、その部屋からこっそり帰ったからね。使用人は知らないだろう」


私は陰鬱そうな顔になったと思う。


こんな穴だらけの脅迫は初めてだ。


私にまかせてくれたら、もう少しマシな罠を用意してあげるのに。


私が半目になったのを見たモリス氏は、何か勘違いしたらしい。


「どうだ。シャーロット夫人だって、社交界でそんな噂が広がるのは嫌だろう」


「あなたには失望しましたよ、モリス様」


私は残念そうに言った。


「あなたの話は事実誤認が多い上に嘘だらけです」


モリス氏は私の返事に驚いたらしい。せめて不安になって欲しかったらしい。


モリス氏は、居丈高に私を脅しにかかってきた。


「たとえどんなにあなたが嘘だと主張しても、社交界というのはそう言う話を大歓迎するのだ。長年、社交界に出入りしてきた私の言葉は信じる方がいい。結婚したばかりの世間知らずの箱入り娘には、わからない世界なのだよ」


「それはそうかもしれませんが……」


別に世間知らずの箱入り娘?の件に関して異議を唱えるつもりはないが、横ではヘンリー様が美しい顔に凶悪な表情を浮かべて、一言言った。


「問題にされている、その日のファーラー邸からあなたがお帰りになった時刻は、私が把握しております。当日のこの地域の警邏けいら担当は私ですので。モリス氏のお帰りは、ほぼ半時間後でしたね」


モリス氏の顔が見ものだった。


「嘘だ……」


「それから、こう申し上げてはなんですが、私の寝室には現在鍵がかかっておりまして、私も入れないんですの。私どもは結婚以来、ずっと旦那様の寝室で暮らしておりますので、必要ないものですから……」


見栄と体裁! 見栄と体裁!


間違っても、自分で自分を閉じ出した?なんて言ってはいけない。


「なんでそんなことに?」


そこを聞くの?


私は余裕の微笑みを顔に貼り付けた。


「鍵を無くしまして……でも、大した問題でもないもので。そのうち、業者を呼ぼうとは思っていたのですが、何しろ、この家に来てすぐの話で、特に不自由がなかったものですから、そのまま」


この場合、一番重要な問題は、モリス氏の嘘だ。


「ですから、私の寝室にこもっていたと言う話は嘘ですわ。だって、誰も入れないのですもの」


「あんなに夫婦らしくなかったのに?」


モリス氏がポロッと言った。


そう言うツッコミは嫌味だと思うわ。旦那様の眉間のしわがますます深くなったじゃないの。しかも、姉とディーが肩を震わせて笑い出しているわ。


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