第29話 伯爵家の相続

「あれだけメチャクチャに荒らしておいて?」


勝手なことを。後始末をつけろとな?


「そうなんだよ」


旦那様は、うなだれて答えた。


「ラムゼイ伯爵はね、歳をとって動けなくなってから、自分が子どもの頃の昔の屋敷を思い出したらしい。あの屋敷の内装は昔のままなんだそうだ。庭とかは、すごいことになっているけどね」


私は、伯爵の無骨一辺倒な性格とは、不釣り合いだと思った花柄のソファーを思い出した。


「伯爵には弟がいたらしいね。家族は伯爵を疎んじて、出来れば弟の方に爵位を継がせたかったらしい」


分かりますわ……と口に出しそうになったが、多分、みな、思うところは同じで、そのために余計に偏屈になったのかも知れない。


「早くに亡くなった母親だけが彼を理解してかわいがってくれた、その思い出のために、屋敷の内装はそのままにしたそうだ」


どうせなら、庭も手を加えなきゃよかったのに。


「それで、相続の条件が、元のような伯爵家らしい伯爵家として暮らしてほしい……」


「お断りになられた方が良いのでは? その条件、曖昧すぎて、どうしたらいいのかわからないと思います。大体、元の伯爵家がどんなだったか、誰も知らないのではないでしょうか?」


「僕もそう思ったので、弁護士にそう言った」


「…………」


それにもかかわらず、旦那様が、伯爵家を継ぐ話をしていると言うことは……


「逆に解釈は自由だと。どんな家だったかなんて、本人以外には解りゃしないと」


まあ、確かに?


「そして、伯爵が死なない限り、相続も発生しないが、相続した時、文句をつける張本人は死んだ後じゃないかと説得されたよ。死人に口なしだとも。正直なところ、弁護士は持て余したんじゃないかな」


「では、何を心配してらっしゃるの?」


「そうだね。世間かな」


「それは、どうでもよろしいでしょうに」


世間はなんの権利もないと思う。


「他人のことに難癖をつける人間は多いよ。だから、あのままだと口さがない連中が、いろいろと取り沙汰するかもしれないから、どこか変えさえすればいいと思う。あなたが好きなように庭を変えるか、内装も変えるか……」


「え? でも、お、お金は?」


それにかかる費用はどうするんだろう?

まさか旦那様のお金を使うわけにはいかないだろうし。相当にお金がかかると思う。


「伯爵領から上がるお金がそこそこあるらしい。ものすごく貧乏しているようなことを聞いたが、あれは変な研究費に充てていたかららしい」


「いくらくらいですの?」


下世話な質問なのかもしれないが、私たち、一応夫婦だし。

それに、大根の値段であれだけ揉めた間柄ですもの。


「弁護士に聞いたんだが……」


旦那様が言う金額を聞いて納得した。

少なくとも、あの変わり者の伯爵が、伯爵然として暮らしてきた理由がわかった。そこそこの金額である。


それなら……不可能ではないかもしれない。


「僕は仕事がある。正直、伯爵領の管理や庭や内装の設計なんか無理だ。かといって、何もしないわけにもいかない」


騎士団の仕事で多忙なことは知っている。


「急ぐ必要はない。ゆっくりでいいんだ。あなたは良家の子女以外の何者でもない。その人がやるんだ。これほど世間に言い訳の立つ妻はいないよ。正直、手をつけているポーズだけでもいいと思う」


いいえ。

それ、やりたいわ……。面白そう。


「領地運営については、あなたのお父様や、兄上に教わってもいいと思う。僕の兄も手伝ってくれると思うが、あの人は商売っ気がありすぎるから……。普通の地味なやり方で十分だと思う」


私が相続したわけでもないし、責任者は旦那様。それに私は全くの素人だし、うまくできるとも思えない。


でも、やってみたいわ。


領地運営も、お庭作りも、それから家の中の改装も。


古くて手が入っていないだけで、元はステキな邸宅だった。


「やりたそうだな」


旦那様が私の様子を見て笑った。


「あ、でも、私は素人ですし、うまくいくとは限りません」


「僕も素人だよ。男だからって、領地運営ができるとは限らないでしょ? 奥様が采配を振るっている家も多いと思うよ」


旦那様、いい人だわ。私も旦那様の言う通りだと思う。


きっとラムゼイ伯爵は、そんなこと認めないでしょうけどね。男も女もないのよ。興味を持った者がすればいいの。


突然、旦那様が耳元に口を寄せて囁いた。


「好きな家にするといい」


私は慌てて旦那様の顔を見た。


「二人が気に入った家にしようよ。僕も希望を言うから、考えの中に入れてくれるといいな」


真面目な話をしているのに、なんだか赤くなってしまった。どうしてだろう。


「もちろんですわ。旦那様のお家ですもの」


「あなたのものでもあるんだよ? 伯爵夫人。そのことを忘れないで」


「え、ええ。も、もちろん!」


真面目な話、打ち合わせをしているだけなのに、どうしてこんなに近づいてこないといけないの? のしかかるように、体が近い。


「領地の場所やこれまでの帳簿は、とりあえず、まず、うちの実家の領地管理の差配人に一度見てもらおう」


旦那様は、私の腰に手を回した。


「あのう……」


「帳簿を見てもらうのは反対?」


「いいえ。あの……そうではなくて」


「おかしなところや、誤魔化しているところがないかどうか確認してもらおう。そして、見立てを聞いておいて。あなたは大根とじゃがいもの実績があるから、大丈夫だと思うけど、家計簿とは違って、収入の方が大事だから」


大根とじゃがいも!


しかし、胡乱な手は腰を触っている。


「旦那様、手が!」


「手?」


とぼけて!


私は真っ赤になって立ちあがろうとしたが、ぐっと抑え込まれた。


「大事な話をしているのに……」


旦那様はなんだか訴えかけるような目つきで言い出した。自分が被害者みたいな顔をしてもだめです。あなたの手が悪いんでしょうに!


「伯爵領の経営と、相続の話をしているのに……」


だったら、腰を抱き込まなくてもできますわ!


口に出すのも、憚られるので(もし、ドアの外で誰かが聞いていたらどう思われるかしら)旦那様の悪い手を引っぺがそうとしたが、全然、無理だった。


「こんなに力があるなら、私の部屋のドアを押して開けてくれたらいいのに!」


「それはできない」


旦那様は真面目な顔をして答えた。


「どうしてなのですか?」


それくらい力添えしてくれてもいいのに!


わたしはキッとして聞いたが、旦那様は心の底から愉快そうに笑い出した。


「だって、それには理由があるんだ。なにしろ、あなたときたら、おもしろくておかしくて」


腰をつかんだ手が、旦那様の笑いと一緒に震えた。


「ダンスパーティできょときょとしながら隠れるところを探しているあなたも可愛くて、可笑しくて、あの時あんなに精一杯食いついてきた女性の正体があんなだと思うと、どうしても手に入れたくなった」


「え……」


なんだか、いやな表現だな。


「結婚相手としては、家柄も顔立ちも何もかも問題ないし、何より本人は愛らしいし……」


全然、愛らしくないと思うのですがっ? どういう感性かしら?


「マクスジャージー夫人も絶対、お似合いって勧めるし。それなのに結婚したら、せっせと逃げ回るし」


私はいやな顔をした。逃げ回られたら嫌なんじゃないの?


「ああ、そんな顔をしないで。樋をよじ登ったと聞いた時は、笑いが止まらなかった。大好きだよ」


急に旦那様は私にキスした。


「旦那様!」


そのままの至近距離で、旦那様は私の唇に指を当てて言った。


「アーサー」


え? 呼び名を間違っているって?


「旦那様って呼んだら、キスひとつ」


「え?」


なんの罰ゲーム?


「あなたは僕の妻だから」


ですから、それは、勘違いで……え勘違いじゃなかったのか。なかったっけ? いろんな人がきたり、領地の相続話が来たりしたから、だんだんうやむやになってきた。


あれ? ということは? 今更ながら、離婚とか、そういう話は無かったことに?


「離婚すると、困ったことになるんだけど」


旦那様が耳元で囁いた。


「領地経営も、庭作りも、部屋の改装も。みんな、あなたにしか出来ない仕事で、あなたを待ってるって言うのに」


ヤバい。なんか読まれてる?


「そして、その庭と家で、子どもを育てよう。木陰で遊びまわる子どもがいたら、家は完璧になると思わないかい?」

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