第27話 モリス許すまじ(旦那様の意見)
帰ってきた旦那様は、一部始終を例のヘンリー・バーティから聞いたらしかった。
「おのれ、モリス、許せん」
それは確かに。
「シャーロット、あなたもあなただ。どうして家に入れたのだ」
「も、申し訳ございません」
これは本当にまずかった。
アンやメアリ、それからセバスも不慣れなのだ。ああいった、貴族然とした人物が、お約束がありますと言って現れると、オタオタしてしまう。
でも、たかが一騎士の家庭。あんな人物が来るとは思いもよらなかった。余程金持ちの夫人のところへしか用事はないはずなのに。
この調子では、本格的に実家から誰か使用人を、一人引き抜いてこないといけない。
セバスは執事ではなくて、実は元々厩番だし、アンもメアリも女中なのだ。
大体、本職が騎士のみという家庭なら、妻は、実際のところ、飲み屋の令嬢でも十分務まる。
騎士の収入は暮らしていく分には十分だが、華やかなドレスを買ってお茶会を催してなどということは夢のまた夢。
いや、夢だとすら思っていないと思う。
たまに招かれでもしたら、むしろ迷惑かもしれない。
ただ、マクスジャージー侯爵ともなると、話が変わる。
この場合は、騎士職の方が、ただのお飾りだ。
本物のお飾りになるか、実権を握るかは、本人次第。聞いたところでは、マクスジャージー侯爵は、後者らしい。さすがマーガレット様は、旦那様まで素晴らしい。
お飾りは、たいてい途中で辞めて領地に引きこもる。
どうせ領地から上がる収入だけで十分遊んで暮らせるのだ。苦労することはない。
「でも、旦那様、ラムゼイ伯爵の件は、なかったことになりそうですし……」
旦那様は、子爵家の三男。騎士としてなら、家格は十分なので後は実力次第といったところか。
ファーラー家は、非常に裕福なので、旦那様もかなりの援助を受けているのだろう。ドレスの買いっぷりを見てもわかる。
「見知らぬ男など、招き入れてはならない。ヘンリーは構わないけど」
私は怪訝な顔になった。
どうしてヘンリー・バーティ氏なら構わないって言うのかしら?
「ヘンリーはハイスティング・マルグ公爵の三男なんだよ。モリスなんかとは訳が違う。彼に訪問されても名誉なだけだ」
私は目を丸くした。
私ったら、なんて失礼なことを!
「心配しなくていい。騎士団にいるんだから、今は僕の部下だ。この家の周りを特に巡回するよう言いつけておいたんだ。何かあってはいけないからね。すぐ、踏み入ってくれた。よかったよ」
「えええ?」
ツッコミどころが多過ぎて、どこから突っ込んだらいいかわからない。
部下をそんな用事に使うの?とか、どうしてヘンリー氏も喜んで巡回してたのか、どうして何かあるなどと想像したのか、とか。
「まあ、こんなこともあるかと思ってね」
旦那様は、ベッドの上に座り込むと(椅子が足りないのである)、自分の手帳を見せてくれた。
アンの字よりよっぽどきれいで正確な字で、大勢の名前が書き連ねてあった。
「あなたに気がある男性の一覧だ。こないだのオペラハウス」
………………
もはや頭がおかしいとしか思えない。
私は旦那様の顔をしげしげと見入った。
「旦那様、頭は大丈夫ですか?」
ついに私は聞いた。
一体、誰が私に関心を持つと言うのだろう。
このリストに載っている人たちから、抗議されそうだわ。
旦那様は真面目な顔をして、重々しくうなずいた。
「よく気がつくだろう?」
いや、そうではなくて。
「あなたのは妄想です」
「妄想? 立派な観察結果だ」
私は頭を巡らせた。どの名前にも全く覚えがない。
そう言うと、旦那様は悲しそうに頭を振った。
「だから危険だというのだ。モリスは意外に目の付け所が正しいというか。さすが熟練のジゴロだ。そのうち、お友達とか言ってつけ入りにくるよ。あなたの警戒心が薄いことを見抜いているのだろう」
「でも、私を籠絡したとして……」
近すぎる位置に座っていた旦那様の体がビクンと動いて、私はびっくりした。
「籠絡される可能性があるのか?……あんな男が趣味なのか?」
話が脱線したので、私は軌道修正した。
「そんなことはありませんよ。ですけど、彼は女性に取り入って、一緒にバカンスに行ったりその家に泊めてもらって飲み食いしたりする人物らしいじゃありませんか。それは、こんな狭い家では無理です」
「もちろん、もっと広い家をあなたのために準備することもできる」
旦那様が早口で語り出した。
「私はこの家で十分です。十分以上です」
アンとメアリが口論している声が台所からほのかに聞こえてくる。今度は、あの二人が揉め出したらしい。めんどくさい。
大きな家に住んで、使用人が増えたら、それはそれで面倒臭いのだ。奥様としては。
「もしも、子どもが生まれたら……」
旦那様は熱心に言い出した。
子どもなんて生まれっこないではないか。ベッドの横に座るのやめてください。
「モリス氏はお金が目当てだと思うんです」
「それはその通りだ」
モリス氏への悪口にはすんなりと乗ってきた。これで軌道修正成功だ。
「もっと、お金持ちの家がいくらでもあると思うのです」
「でもね、どこかに隙がないと彼の仕事としては成立しない。ケチで目端の効く旦那、世情に詳しく抜け目のない奥方、社交界への出入りが長くて彼のことをよく知っている人間のところにはいけない。だんだん有名になってきている。あなたをぼんやりした人間だと思ったら、きっと足繁くやってくると思う」
それを聞いた途端に、そもそも訪問を受けたこと自体に猛烈に腹が立ってきた。
「ご安心くださいませ。もう二度と家には入れませんわ。セバスにも、アンにもメアリにもよく言っておきます」
旦那様は顔全体がほころんで、ちょっと嬉しそうだった。
「あなたのことだから、信用しているよ」
ええ。旦那様が未だに何となく怖いくらいですもの……。
「それと、招待状をたくさんいただいてしまって……」
「歌劇を観に行ったとき、大勢と話をしたのがいけなかったのかな」
それは同感だった。
「あなたは別におかしな人でもなんでもないからな。ただ美しいだけだ」
十分おかしな人だとわかっています。
だって、結婚してからずいぶん経つのに、未だに同じベッドに寝ていないのだもの。
そして、その話題は危険なので絶対にしないけど。
旦那さまは時々探るような目つきで私の目を見る。
モリス氏がどんなに素敵な人でも、ヘンリー・バーティ氏がいかに男前でも、全く心に響かないのには、理由がある。
目の前にこの人がいるからだ。
愛して欲しいと目で語りかけてくるこの人がいるからだ。
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