第8話 旦那様のベッド

しかし私の当然の疑問は、血相変えた旦那様の勢いの前に吹き飛んだ。


「どうしてそんな箱開けたの?」


旦那様は肩をつかんでユサユサゆすぶった。


もう、怖い。怖すぎる。死ぬ。


「他の女からの手紙が入っているとか思った? そんなことない」


そらそうでしょう。たいてい、捨てますわ……と思う。


結婚前に身辺整理という話はよく聞く。



(どうしてこんなに怒るんだろう?)


(自分で収集しておいて)


適当な椅子がなかったので、二人とも床に座っていた。


そして私は顔を見られたくないので、頭を下げ、下を向いていた。


こうすると、まるで土下座である。


「頭を下げているところを見ると……すまないと言う気持ちはあるようだが……」


ない。


あるわけない。


そう言う理由で、頭を下げているわけではない。



ブスッとした声はふんぞり返った。


もちろん、見えてないけど、雰囲気的に絶対怒っている。


「なんでこんなものを見ようと思ったのだ?」


私が答えないので、旦那様は続けた。


「嫌がらせか」


そんな。旦那様には感謝してます。こんな私と結婚してくださって。


なんとなく頭を振って否定しておく。


「好奇心か?」


うーん。強いて言えばそうかな?


言うじゃありませんか。


登山家は危険を冒してでも山に登る理由を問われて、そこに山があるからだ、と。

まるで山が悪いみたいな言い方だが、私も敢えて言おう。


そこに箱があるからだ、と。


うん。箱が悪い。


かすかに頷くと、呆れたような声がした。


「なんだって? エロ本好き?」


なに言ってるんですか! あんな面白くもない本! どうせなら、女性が美しい男に大切にされる本とかならとにかく……と、うっかり怒鳴りそうになったが、相手が悪い。私はより一層頭を深く下げた。


頭が床について、完全に土下座だ。


大体、箱に入ってるのに、中身がエロ本だってわかるわけがないじゃない。


なにかな?なにかな?状態である。


ちょっと、この場にそぐわない妙なこの箱の中身は、なんなのかしら? 子どもの描いた宝島の地図?とか、そんなノリで開けてみたら、大人の宝物が出てきちゃった訳だ。大人というより青少年か。


箱の質と状態から見て、大して重要なモノが入っているとも思えなかった。ゴミよりは多少マシな感じ?


それに装丁が……本のページを開けてみるまで、まさかエロ本とは思いませんでした。


まあ、開けてから屋根裏に持ってきたのか、持って来てから開けたのかと言われると議論の余地はあるが。

そして前者なので、あんまり言えないけど。


「そうか……」


これはダメだ、即、離婚かもしれない。


「エロ本、好きなんだ。いや、むしろ、よかったよ……いや、ダメなのか、俺のこと嫌いなんだ……いや待て、そこは趣味か……性癖問題か。満足させられるかな? 合うかな? うーん……」


ですから、面白くなかったって……言いたいけれども、なにしろ怖い。


だけど、怖いよりちょっと腹が立った。


人のことをなんだと思っているのだ。


私が黙っているのをいいことに、完全な勘違いを根拠にグズグズと文句を言う。



私はだんだん眠くなってきた。頭を床につけて、じっとしていると、眠気がさしてくる。

この姿勢、楽だ。

それにもう時間が遅い。


なんだか、どうでも良くなってきた。


どうせ長い付き合いではないだろうし。


怒っている内容も、大したことではない。



とにかくこの数日、緊張を強いられてきたのだ。


常に家の中を見知らぬ男がうろついているし、女中のメアリとアンとは、対立して、超長い説教をかます羽目になった。


盗み聴きされて、逃げなくてはならなくなったので、部屋にはしっかりとカギをかけた。運良くカギは全部自室にあって、セバスも持っていなかったと言うが、それは知らなかったのでつっかい棒をして、棒が倒れないようテーブルをドアのところに置いて、さらにその上に椅子とソファーを積み上げた。火事場のバカ力と言うが、あの短時間に我ながら大したものだ。


瞬時の判断力と実行力、それに筋力である。


さらに雨樋を登ると言う快挙。なかなか世の令嬢には出来ないのではないかと思う。


その前には、結婚式があった。結構面倒くさかった。


疲労が溜まっていたらしい。


旦那様の愚痴は続いたが、その間に私はスースー寝入っていた(らしい)。




そして、翌日、見知らぬ他人のベッドの上で目覚めた私は驚愕した。


ここ、どこ?


「おはよう、シャーロット」


どす黒いような、ズンと響く男の声である。


頭の中に警戒警報が鳴り響いた。


ガバリと起き上がる。


「あなたの部屋へは入れないんでね。私の部屋に来てもらったよ」


え? 


「私のベッドだよ、そこ」


ちょっと照れたような声だった。


やっと、脳の回線がつながった。


なんですってー?


私はこの時初めて旦那様の顔を見た。


私は、なんとなく、ずっと、旦那様は、頭頂の毛がザンバラ気味の、うすら寒い笑顔のデブを想像してたのだけど、全然違ってた!


禿げてなかった。


考えてみたら、まだ、禿げる年ではなかった。


ごっつい体つきだったが、デブじゃなかった。


考えてみたら、騎士だから太っていては務まらない。


ただ、薄ら笑いの件は間違っていなかった。人間の表情で言うなら、面白がっている顔だった。


でも、好みじゃ、全くなかった。


「これ、返しておくよ」


旦那様は、すっかりくつろいだ格好で、テーブルの上にあった手紙を渡してきた。


マーガレット様からのお手紙だ。


きっと、もう他人の顔だとバレてしまっているに違いない。絶望的だ。


旦那様は口を開いた。


「侯爵は引退して、息子に爵位を譲るそうだ。持病の痛風がひどくなってきたらしくてね。披露の会は前から予定されていたが、昨日招待状が届いた。元々、出席の予定だったから、準備しておいてくれ。マクスジャージー伯爵は騎士団長を務めているが、この機会にもう一段、昇級するかもしれないな」


え? それだけ?


私が別人だって、気がついたわけじゃないの?


「なんなの? そんな驚いた顔して」


旦那様は目が悪いのか?


それとも妻が誰でもいいのかな?


私は離婚できるのかしら?



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