第7話 旦那様のエロ本
話が
部屋でゆっくり手紙を読もうと思ったのだ。
そこで、ハタと立ち止まった。
ドアが開かない。
忘れていた。
鍵をかけたのだ。
鍵をかけたまではよかったのだが、その後、つっかい棒をして、さらに窓から部屋を脱出した。
その時は昼間だったからよかったが、今は夜だ。
通いの庭師が使っているハシゴをこっそりかけて、窓から侵入するにしても、雨樋をよじ登るにしても、暗いと難易度がバク上りする。
どうする、私……。
今夜は諦めて、客間で寝るか? 客間を使うと後が面倒だ。確か屋根裏には、ボロい古いソファがあった。毛布でも借りて、そこで寝るか。
なんで、そんなところで?というメアリとアンの顔が浮かんだ。
「星が見たいの……とか」
「何を突っ立っている?」
背後から低音が響いた。
かろうじて悲鳴を押さえた。
「自分の部屋に入らないのか?」
黙秘権。黙秘権の行使です。人間には黙秘権がある。
「どうして自分の部屋に鍵をかけたのだ」
自分が不利になることは敢えて話さなくても良いことなっている。
「私の上司はマクスジャージー伯爵なんだが……」
えっ?
マクスジャージー? もしや、侯爵の? 侯爵かしら? でも、侯爵はもう高齢だから、もしかしたら、令息の方かしら? サブタイトルの伯爵を名乗っている?
「マクスジャージー殿の奥方様は、あなたの親友だそうで」
まさか、ビンゴ?
そうだったの?
つまり、夫婦揃って、部下ってことなのね?
私は俯きながら、拳を握りしめた。
ああ、離婚されたくない。マクスジャージー夫人のおそばに、部下の妻としてお仕えしたいわ。
でも、侍女になるのは断られたのよ。
どこかで良縁を得て、立派な貴婦人としてお友達になってくれればって。
「それで、侯爵家に夫婦そろって、今度、侯爵家が催される披露の会に招かれた」
私は下を向いたまま、ブルブル震える手で、侯爵家の紋章のついた手紙を旦那様にも見えるよう、少し持ち上げた。
どうやら、旦那様の目に入ったらしくて、彼が頷くのが感じ取れた。
「多分、そっちは私の上司の奥様からの私信じゃないかな。招待状の方は、夫婦で一通だから、私が受け取った」
私はそろそろと、手紙を引っ込めた。
「立ち話もなんだから、下の食堂で話そう」
私はブルブルと首を振った。
「え? 嫌なの? どうして?」
そんなことができるくらいなら、とうの昔に結婚できています。
男性とお話なんかできませんわ。男性、怖い。
私はジリッジリッと目立たないように後退った。
下を向いて、あくまで顔を見られないように。
「ちょっと。どこに行くんだ?」
動いていません
私は動いていません。
さらにそろそろと旦那様から距離を取る。
「おいっ」
私の名前はシャーロット。おいっ、じゃありません。
私は後ろ向きのまま、角を曲がり、脱兎の如く走り出したが、ドレスの裾を踏んで盛大にひっくり返った。
「何があったんだ? どうした?」
怖い。怖すぎる。追いかけてくる。もうダメだ……
私は大事な手紙を胸に抱いて、縮こまった。
「なんだ、それは。手紙か?……まさか」
だから、怖い。私の大事な手紙をどうして取り上げようとするの?
「誰からの手紙だ?」
ひどーいい。私の大事な親友からの、いいえ、首領様からのお手紙を奪い取るだなんて……
しかも、開けてる! だめだって。信書の秘密よ。それは私宛の手紙なのに!
もう捨て置けない。
旦那様は勝手に破った封の手紙をザッと読むと、ものすごく動作が緩慢になった。目線が泳いでいる。
「あー……これは、あの……」
許せない。
転んだため、髪を振り乱し、髪の毛の間から化け物のように私は旦那様をにらみつけた。
これなら顔はわからない。代わりに化け物に見えるけど。
「あ、そうだ。今晩はどうするのだ? 自分の部屋に入れないとセバスが言っていたぞ? なんでも、新しく来た奥様に失礼かもと憂慮して、合いカギも全部あなたの部屋に置いてしまったらしくて……」
私は手紙を旦那様の手から、スッと抜き取った。旦那様は抵抗しなかった。
それから、また後じさりに、旦那様から距離を取る戦法で少しずつ離れていった。
「今晩は、私の部屋で寝たらいい。予備のソファがあるから。なんなら、私がソファの方で寝よう」
論外!
私は屋根裏部屋でたくさんだ。
「待て。どこへ行く?」
旦那様は三歩で間を詰めてきた。ギャー。
「この先は屋根裏部屋だ。三階から身を投げる気か?」
何の話だ。身を投げる? そんなやつ、おかしいだろう。
もう我慢できない。
私は旦那様にくるりと背を向けると走り出した。
これでも女学校の時は、一、二を争う健脚だったのだ。
だが、ドレスが邪魔をしてうまく走れない。
屋根裏部屋にたどり着いて、そして、ドアを閉めれば、旦那様から逃げられる。
二段、いや三段飛ばしで、階段を上がり切る、もう少しだ、もう少しで……
「あなたはバカなのか? 階段を三段飛ばしで上がる女なんか、見たことないぞ?」
旦那様は蛇のようにしつこく、軽々とくっついてきた。
ゼイハアゼイハアゼイハアゼイハア……
女学校時代にくらべて、だいぶん力が落ちた気がする……
「どうして屋根裏部屋なんかに……」
だが、旦那様は急に言葉を切った。
「あれは……私の本だ」
しまった。盗んだ本がみつかったか。知らない間に戻しておこうと思ったのに。
旦那様は、月明かりの中で、なつかしそうに古い本をペラペラめくりだした。
「この本……大好きだったんだ。子どもの頃、一生懸命読んだ。すごく楽しかった。いつか自分もドラゴンを狩りに行くんだと思ったよ。実際には騎士になってしまったけれど」
ドラゴン、実際にはいませんからね。
「あなたも読んでみたのか?」
小さなしおりが挟んであった。そのしおりは、私に侯爵令嬢一味の僚友だった、とある子爵令嬢がくれた記念のものだ。触らないでほしい。
「ここまで読んだんだね」
旦那様はにっこり笑った。
きれいな銀のしおりで、裏には紙が貼ってある。
「トイレ掃除は一番あとで。口に入るものから先にきれいにしよう! 衛生面には気を付けてね。エミリ」
口に出して読んで、旦那様は妙な顔をした。
「なに? これ?」
知らなくていい。それは友を案じる気高い心の発露なのだ。
「あれは……」
彼はつかつかと部屋を徘徊し始めた。
どうでもいいから、早く寝に行ってくれないかな。明日も早いだろうに。
「地理の本に、歴史の本……そうか。こういう本に興味があるんだね。ん? あれ?」
あー。それはあなたのエロ本ですが?
「読んだの?」
なんだか、目が火のようだ?
うつむいて答えないでいると、これまでは無視していたくせに、突進してきた。
「ねえ? 読んだの?」
思わず、コクコクとうなずく。
「どうして? これ、カギかかってたでしょ?」
私は、ちらっと目線を机の上に投げた。そこにはヘアピンが一本妙な形に曲がって置かれていた。
「まさか……これ? これで開けたの?」
まあ……だって、カギなかったんだもん。それに、大事なものなら、こんな安易な鍵のところにはしまわないでしょう?
「なんで……」
旦那様は膝から崩れ落ちた。
なんでて、なんで?
そして、どうして床の上に突っ伏しているの?
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