第28話 しゅわしゅわ

 『判官殿』にベンチに座るよう言われ、不動明王の札を焼いた灰入りの水、水鉄砲に残っていた分を額に塗られた。

 なにかまじないをする必要があるのではないかと問えば、

「このようなものは気の持ちようじゃ。憑くときはなにをどうしても憑く」

 という。

 ならべつに最初から水鉄砲など使わず、こうしておれば良かったのではないか、と思うが、それは言わずにおいた。

 加えて、どうして私に憑けようとするのか、先ほどは自身に憑けようとしていたではないか、と言うことも黙っていた。

 私はどうにもこういう一方的に話を進める御仁に弱い。

 と、不意に額に細い氷を差し込まれたような心地がした。痛くはないが、違和感がある。

 米をついばんでいた主殿が、ばたばたと羽ばたいて私の膝のうえに乗ってくる。

 くるる、こうこう、くるる、こうこう

 忙しなく鳴く声が愛おしく感じられて、胸など撫でて差し上げたかったが、できなかった。

 ちからが、入らない。

『まさかこの者がわたくしに用があるとは思わなんだが』

 私でないものが、私の声でしゃべっている。

「きやったな、陰陽師」

 少年が私に向かい、私でない者に笑いかけた。


『卑弥呼に会いたいと』

 漢書のたぐいは私の生まれた時代にもたくさんあった。大王おおきみは、ありとあらゆる書巻を求め、貪欲にその思想を吸収し、それをもって国を治めていた。卑弥呼の名を記した『魏志倭人伝』が大王の宝物庫にあったかどうかは知らないが、この陰陽師のいた時代にはあっただろう。

「正確には『卑弥呼かもしれん女子おなご』じゃな。古きより、たまの道を行き来しておるようじゃ。此奴こやつはずいぶんむかしに女に行き逢ったようで、まあ、このありさまじゃな」

 他人の過去をあれこれとあけすけに話すな、と言いたいが、口が動かない。

「その女子は、いつも犬狼と一緒におる。女子の形代はないが、その犬狼の毛を使った筆がある。ほかは此奴の昔の知り合いの持っていた剣と、茨木童子の杯。どうじゃ、これでなんとか魂の通り道を開けぬか」

 陰陽師がなにごとか考えている気配がある。

 身体は私のものを使っているが、考える場所は別にあるのだろう、なにを考えているのかは分からない。

 ただ、なにかを考えているとき、私の頭の片隅で、耳鳴りのようにしゅわしゅわと聞き慣れない雑音が湧いている。

『決め手がない』

 思沈ののち陰陽師が答えた。

『わたくしはかつて、この者に少々酷なことをしたゆえ、出来ることなら成しましょうが。筆、杯、剣……』

 ――いや、もうひとつある。

 私は必死に念じた。


――われなれたまなき。たまなきままにさまようわれらのあいだのいしにしてみずのこ。なれとかかわるもののたまよ魂寄らば、うまれる――


 主殿は、私とあの女との児なのです。

 もし『決め手』があるとすれば、それは主殿――


 しゅわしゅわと、耳鳴りのような音がしている。

 しゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわしゅわ――

 私の意思ではなく、私の腕が履柄守の剣を掴み、鞘を払う。

 私の意思に反して、私は立ち上がる。膝のうえから主殿が地面に振り落とされる。

 私の意思に構わず、剣を掴んだ腕が振り上げられて、振り下ろされる。

 その剣刃の先に、主殿がいらっしゃる。


「おい、なにを――!」

 判官殿が叫んでいる。

 私は、叫べない。

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