第16話 錆び


 履柄守くつつかのもりの剣に錆が浮いていた。

 山に分け入っての道行きに下草を払ったり、獣を狩るときに役立ってくれている。

 夜盗に囲まれたとき、たいてい逃げることにしているのだが、心の支えになってくれたことも一度や二度ではない。

 どうしても使わざるを得なくなったときには、手によくなじみ、重みを感じさせずに風を切り、見事な働きをしてくれる。

 大切に扱い、手入れも怠らなかったつもりだった。

 丁寧に錆を落としたが、すぐにまた錆が浮く。

 私にとっては唯一無二の剣であるから、悩んだすえに刀鍛冶に持って行った。

「ずいぶん古い造りですが刃毀れひとつない。名剣、宝剣のたぐいであることに間違いはない。実際に拝見したことはありませんが、これが武尊たけるのみこといていらした草薙剣くさなぎのつるぎだと仰っても信じたでしょうな」

 研ぎを願った刀鍛冶はそう評した。

 長年の履柄守の忠節に対し我が君が賜った剣だ。鋼の質といい、剣そのものの造りといい、細工といい、当時の最高級の品だった。

「こういう剣は、我が儘なものです」

 刀鍛冶はそれ以上は言わず「またすぐに錆は浮くでしょうから、お代は要りません」と、錆落としをして剣を返してくれた。

 我が儘。

 剣の我が儘とはなんだろうか。

 下草や獣ばかり切っているのが気に入らず、切るものを選びたいというのか、鞘が気に入らぬというのか。

 この剣の鞘は見つからなかったがゆえに、ありあわせのものに収めている。

「いや」

 私は考えたすえ、ひとつのことに思い至った。

あるじが、気に入らぬか……」

 主とは、すなわち私のことだ。

 そればかりはどうしようもない。

 戦う技能もなければ、剣を扱う心構えもない。そもそも敵に遭っては逃げることを第一としている。勇敢でもない。

 武芸に秀でていた履柄守としては、憤懣ふんまん遣る方ないだろう……たぶん。

「許してくれ、履柄守」

 私は主殿あるじどのの尾羽を二本、引き抜いて、組紐をこしらえて履柄守の剣の柄に結んだ。

「使うのは私だが、私の役に立ってくれるというのは、主殿の身を守ると言うことでもあってだな」

 我ながら苦しい言い訳だが、仕様がない。


 それからというもの、履柄守の剣に錆が浮くことはない。

 呆れているのか、諦めたのか。

 履柄守は、昔から私には甘いところがある……そう思っておくことにした。


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