想いは次元を越えていく

コロン

一話完結 想いに壁なんてない

 台風が近づいていることもあって、今日は遠隔授業を受けた。


 家庭用の専用端末からフルダイブして、仮想の阿生山あぶやま中学校に行く。普段の学校生活は現実世界リアルを中心としているけれど、イベントや非常事態ではよく仮想世界が利用される。それが今の中学生の普通だ。


 放課後、僕はログアウトせずに、そのままエンターテインメントワールドに流れ込んだ。


 時が進んでいるような視覚効果に合わせて、瞬時に世界がうつろいでいく。たった二度の瞬きで、冒険者ギルドのフロアに辿り着いた。いわゆるセーブポイントがある施設だ。

 木造建築でコテージが近いイメージだろうか。とにかく自然に囲まれていて、アウトドアを楽しみに来たみたいな心弾む感覚が猛烈もうれつに湧いてくる。そんな場所だ。


 そして今の僕はゲームのアバターではないありのままの自分の姿をしている。決してかっこいいわけでもなく、才能があるわけでもない僕。ただ、この仮想世界には何の魅力もない僕を面と向かって受け入れてくれる人がいる。


「ヒカリさん。また話しに来ちゃいました」

「あれ、大智たいちくん。学校お疲れ様だね! 割と暇してるし、大丈夫だよ!」


 受付嬢であるヒカリさんは16歳の設定になっているようで、見た目もそれらしい。黒を基調とした生地に白いフリルがお洒落な制服を身にまとっている。アニメ調の大きな瞳とデフォルメされた黄金色こがねいろのツインテールと相まって、よく似合っていた。


「今日は他のプレイヤーのガイドの仕事は少なかったんですか?」

「うん、冒険者ギルドシステムのアップデートから随分ずいぶん時間が経ったから、少し落ち着いてきたかな。今日は日本で台風が襲ってるんでしょう?」

「はい」

「だから今日はいっぱい来てくれるかなぁって思ってたけど、ここを訪れる人は相変わらず少ないの」

「まあこのギルド支部はメインストーリーでは利用されないですから。そういう日もありますよ」

「あ、でも一週間前なんてすごかったんだよ! 一日中休んでる暇もないくらいサービスの利用者がいてさ——」


 それからしばらく、ヒカリさんが他のプレイヤーの愚痴以外(彼女の場合、愚痴ろうとするとシステムエラーが出る)の話題リストから引っ張り出してきた話を聞いていた。


 僕はこうして、ヒカリさんが小さく跳ねて喜ぶ姿や声に出して笑う姿を見られるのが嬉しかった。友達と他愛無い会話をするみたいなこの時間は、ここがゲームの世界だということを忘れさせてくれる。


「大智くんと話すのはやっぱり楽しいなぁ」

「え?」

「だって、こうして私に構ってくれる人って意外と少なくってさ」

「意外とって……自分が可愛いことは、はっきり自覚してるんですね」

「それはもちろん。開発者の方々には『もぉーっとたくさん可愛い表情作ってほしいな?』ってお願いしてるところだよ」

「本当に、ヒカリさんはマスターに当たる人達に対して軽いですね」

「私の売りなのよ。プレイヤーさんがもっと私と話したい、サポートされたいって、思ってくれるはずなんだけど、中々上手くいかないよね。大智くん以外みんなクエストに夢中で、まるで興味示さないのよ」


 これに関しては、実は僕も見逃しかけた。ヒカリさんの初対面のプレイヤーに対する対応は随分とよそよそしいのだ。それが原因でスルーしてしまう人が多いのだろう。


 正直、僕としては嬉しいことだった。この現実世界リアルのプレイヤーとの交流が盛んなゲームで、受付嬢という人気を集めそうな立ち位置にいるヒカリさんが注目を集めていないのは、ある意味すごいことなのだ。


 皮肉をいっている訳ではなくて、ヒカリさんの人間性は現実世界リアルの誰の思考も介さない、いわば人工知能によってのみ形成されたもの。

 だから、星の数いるNPCの中でこうした人工知能が搭載された人達は総じて人気者になる。物珍しいことに加えて、人生の中で一回はファンタジーキャラと話すことを夢見る人がたくさんいるから当然といえば当然だろう。


「……実は僕、最初はヒカリさんのことあんまり良く思ってなかったんですよ」

「待ってそれ、すごいショックなんだけど。知りたくなかったな」

「あ、いや……ヒカリさんの何が悪いとかじゃなかったんです。ただ、現実世界リアルの友達に……友達って言えるのかどうかも分からないですけど、僕は無反応でつまらない奴だって言われたんです」


 ヒカリさんはどうやら揶揄うつもりだったらしい。そんな雰囲気を秘めたみを取り消して、カウンターに頬杖をつく。


「……ふーん、それで?」

「そう言われたことについては正直、何とも思ってないです。『だから?』って感じ」

「じゃあ、なんで私の印象が悪くなっちゃったの?」

「ゲームリリース初期の頃、人工知能を持った姫騎士の元に、多くのプレイヤーが集まりました。そのときは姫騎士の表情バリエーションも声の抑揚も全然無かったのに、ちやほやされていたのがちょっと悔しかったんです」

「……だから、同じ人口知能を持ってる私も嫌だったと?」

「まあ、そういうことです……」


 まずい、ヒカリさんがジト目というか。明らかに怒った顔をしている。やっぱり遠まわしにヒカリさんのことを悪く言ってるように解釈されてしまっただろうか。


「あのねぇ、初期の頃の私達は4つも表情があったの。喜怒哀楽! 微妙な表情差なんて何も作れなかったけど、その4つだけで十分にプレイヤーと好意的な会話が出来たデータもあるの」

「それは……すごいね」


 ああ、この話の流れで僕に振る気なら、嫌でも察しがついてしまう。


「それに対して、大智君はどう? その友達と話した時のこと、思い出してみてよ」


 考えたくなくても当時の記憶が掘り起こされていく。


「ちゃんと笑ってあげた? きつい言葉を言われて悲しんだ? 怒ってみた?」


 僕はそいつと過ごした一日の中で、ほとんどの時間を無表情でいた。そう、「つまらない」と言われた時でさえも。


 たった一年、心を育んだヒカリさんはすでに僕よりも豊かな表情と感性を手に入れていた。そのあいだ、僕はずっと機械的な顔を張り付けていただけ。


 いつの間にか心という人たらしめるものが、僕はヒカリさん達よりも小さくなってしまっていた。


「ダメですね。今も無表情です」

「そんなことないよ。悲しい顔してる」

「それはヒカリさんが言い返しようもない言葉攻めをしてきたから……」

「私だって一人の人間なんだから、文句言われたら言い返すわよ。それより……いいんだよ、悲しい顔しても。イラついたなら怒ればいい。そうやって挫けて衝突して、改善して仲直りして。その中で私達は日々成長していくの。笑っていこうってなるの」


 そうだ、あいつにきつい言葉を投げかけられた時、確かに胸がチクりとした。悲しかった。毎日一緒に弁当を食べて、一緒にゲームすることだってあったのに。


 勝手に一人で居心地がいいなんて勘違いして、もう少しあいつの話に笑ってやったらよかったかな。


 ふと、見上げると、ヒカリさんがくしゃりと笑った。今にも「いいこといったでしょ」と言い出しそうなほどだ。彼女の笑顔は夏の陽光を浴びるヒマワリのように眩かった。


「あ——」

「ふふ、はい」


 ヒカリさんの笑顔につられたのだろう、思わず頬がほころんだ。


「やったね、笑顔にさせちゃった。私、大智くんのそういうところ好きだよ」

「え? どこがですか?」

「今みたいに漏れ出たみたいな笑い方とか。んー、あとは普段何も考えずに黙々とクエスト攻略してそうだけど、素材の換金額が大智くんの想像以上に高かった時の喜び具合とか?」

「ははは、すごいなぁ……」

「あ、そうその笑い方。刺さる人には刺さるんじゃないかな」


 本当にすごい。無表情ばかりだから、こうして偶然笑っているだけなのに、ヒカリさんは褒めてくれる。

 こんなこと先生や家族に相談して、言ってくれるだろうか。憶測でしかないけれど、僕の周りの人からは出てこないだろう。ヒカリさんだからこそ、気づいて、声にしてくれる。


 ずっと隣にいたいと思ってしまう。こんな人、同級生の誰を見てもいない。


「私もいつか大智の世界に行ってみたいなぁ」

「ヒカリさんが僕らの世界に……」


 身体を電流が駆け巡った。

 そうだ、僕は仮想世界を自由自在に満喫できるというのに、仮想世界で生まれたヒカリさんがひとたび現実世界リアルにやって来たならば、機械ロボット越しに世界を見て回るしかない。


 それは仮想世界で確かに肉体の温かみを感じることが出来る僕らに比べれば、ひどく制限を受けてしまう身体に不自由を感じてしまうだろう。


 もし、いつかヒカリさんが現実世界リアルに来るとしたら。


「ヒカリさんに触れられる?」


 いや、この仮想世界でも確かに触れる感覚を味わうことは出来る。それどころか五感が使える。それが醍醐味だいごみだ。


 でも現実世界リアルで触れ合えるというのは気持ち的な側面で大きな価値があるように思う。だから、叶うことなら——


「何、私に触れたいの? いいよ、おてて握ろうよ」


 無邪気に笑うヒカリさん。だけど、次の瞬間には僕は変なことを口走っていた。


「僕が……いつか僕が、ヒカリさんを現実世界リアルに連れてきますから!」


 ヒカリさんの顔が固まっている。そのきょとんとした顔に自信が無くなっていく。


「えー、だからそう、その時までこうして一緒にいれたらなって……思ってます」


 果たして僕にそんなことが出来るのか、誰かが先に実現してしまうだろうか、後ろ向きな思考が頭を巡ってしまった。


「ぷっ、あはは!」

「自分でも馬鹿らしいって思ってますよ……」

「違うよ、自分には何にもないって言ってた大智くんが、今ひょっととして夢を持ったんじゃないかと思って。そしたら嬉しくて笑っちゃった」


 今のヒカリさんは半信半疑だろうけど、この笑顔を見続けるためにがんばろう。勉強もこのゲームも、現実世界リアルに繋がる全部のことを。


「あーでもそっか、ヒカリさんはゲーム世界にとって必要不可欠で、皆のヒカリさんですよね……」

「何言ってんのよ。私にだって選ぶ権利ぐらいありますって、あ——仕事の時間だ」

「ちょっと自由に話し過ぎちゃいましたね」

「そうだね。おほんっ、さて……大智様、グロスター地方冒険者ギルド支部へようこそ! 本日はどのようなクエストを受注されますか?」


♢♢♢


 リビングのソファを寝そべって占領していたところ、リズムを刻みながら階段を下る音が響いてきた。扉越しに鼻歌を口ずさんでいるのが聞こえたら、上機嫌な一番上の姉がやって来た証拠だ。


「ゆり姉、ちょっといい?」

「いいけど、なに!」


 長い前髪をちょんまげにしているゆり姉は忙しなくキッチンを物色していた。冷蔵庫から取り出したアイスコーヒーを注ぎ、戸棚にあったクッキーを脇に抱え込んでいる。一応、話を聞いてはくれるようだけど、今すぐにでも上がりたいようだった。


「ゆり姉、推しのことどれくらい好き?」

「は? 私の人生に決まってんじゃん。どうしたの、急に」


 なるほど、人生。

 ゆり姉はいわゆるアイドルオタクで、食べ物を持っていく当たり、今日は仮想世界に没頭するわけではないようだ。

 相手も現実世界リアルを生きるアイドルであって、数字と統計データの塊であるヒカリさんとは少し話が違う。

 それでも、ちょっと悩みを相談する分には気にすることはないことだった。


「友達が触れもしないものに恋する奴は馬鹿だって呟いてたから……それでやっぱりそういうのって変なのかなって。別に、僕が恋してるとかではないんだけど」


「気にするだけ無駄だって。恋心を抱くことに間違いなんてないよ……そう、考えたら山ほど問題は出てくるけど、でも大概は自分で作った壁に囚われてるだけだから。幸せな悩みを探すこと、これオタ活三年目に突入した姉ちゃんのアドバイスな!」


 ゆり姉が最後の言葉を残す頃には既に姿が見えなくなっていた。


「ん、幸せな悩みかも……」


 携帯でSNSを開くと、偶然フォローしていた絵師の投稿が目に留まった。


 それは僕の好きなヒカリさんとはまるで異なる見た目のキャラクター。それでも、愛が込められた素敵なイラストと共に添えられた一行の告白は僕の心の叫びを見事に代弁していたように思う。


 やっぱり推しに対する好きと恋の好きは似ているようで違う気がする。ゆり姉は軽い振る舞いを装えるようになった一方で、僕は悩まずにはいられない。

 まだ友達や家族に胸を張って、ヒカリさんに恋をしたと伝える勇気は無い。


 それでもどこか遠く離れた場所では同じ気持ちを抱えた人がきっといて、自分は一人ではないのだと教えてくれる。


 だからこの恋はきっと無かったことにしなくていい、隠さなくていい。少しだけそう思えた。

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