△▼△▼丑の刻の彼女△▼△▼

異端者

『丑の刻の彼女』本文

「なんというか、躍動感が無いんだよな……お前の描く人間って」

 中学校の放課後、美術室で僕は先輩にそう言われた。

 僕、中学二年の吉田耕助はそれに反論できなかった。

「躍動感……ですか?」

「うん、そう。なんていうか生き生きしてないっていうか――」

 その先はほとんど聞いていなかった。


 僕が人物画を上手く描けない理由は分かっていた。

 基本的に、他人に対して興味が無いからだ。他人が何をしていようが、自分に害が無ければ放っておく――そんな人間だからだ。

 なぜそうなったかは分からない。だが、他人に対して友情であれ愛情であれ深い感情を抱くことはなかった。それだけが事実だった。

 ひょっとすると、脳か精神に障害があるのかもしれない。しかし、今までそれを立証できる物はない。病院にも診てもらったこともないし、親にも「手が掛からない良い子」だと思われている。

 それでも、問題がないかというとそうではなく――将来は美大を目指している。それなのに人間がまともに描けないというのは言語道断だ。人物画は基本的な技術で、必須スキルと言っても過言ではない。


「美大なんて目指さず、普通の大学を目指せば?」


 何度も言われたことだ。

 それでも、僕は絵の勉強がしたい。理由は簡単、他に何も無いからだ。

 僕には誇るべきものは何もない。スポーツができる訳でもないし、成績が優秀な訳でもない。それなのに、昔から絵だけは多少描けた。

 駄目な自分が少しでもできることにすがっていると思うと惨めだった。それでも、僕は絵が描きたい――。


 深夜、自室のベッドで眠れずにいると涙がにじんできた。

 結局、僕には何もできない。絵を描こうにも動植物は描けても人間が描けないのでは出来損ない――欠陥品と言っても過言ではない。

 僕は起き上がると、着替えて外に出た。誰もが寝静まった真夜中の散歩。いや徘徊と言った方が適切だろうか。

 外の空気は冷たかった。そろそろ秋も終わり冬になってくる季節のことだった。


 カーンカーン。


 最初、聞き間違いかと思った。

 だが、耳を澄ますと確実にそれは聞こえていた。

 何かを打ち付ける音。神社の鎮守の森に面した道路を歩いていた時だった。


 カーンカーン。


 音はまだ響いている。

 僕はその正体を確かめるべく、森の中に踏み込んだ。

 夜の森は暗い。木々の枝葉が空を覆って足元をおぼつかなくさせる。

 それでも、僕は歩き続けた。


 音の正体は、すぐに見つかった。

 白装束に長髪の女性が、藁人形に刺さった釘を木槌で大木に打ち付けていた。

 丑の刻参り――とっさにそんな言葉が頭をよぎった。

 間違いない。女性は誰かを呪おうとして丑の刻参りをしているのだ。

 ふいに、女性がこちらを振り向いた。

 慌てて木陰に身を隠したが、こちらの方が暗かったせいか女性には見つからなかったようだった。

 ただ、その女性の顔が目に焼き付いた。

 後ろ姿からではよく分からなかったが、年齢は十代、もしかしたら自分とそんなにも変わらないかもしれない。

 そして、その憎しみとも悲しみとも取れる表情――見た瞬間、これだと思った。


 カーンカーン。


 女性はまた木に藁人形を打ち付け始めた。

 僕はさっき見た女性の顔を反芻した。悲哀を伴った整った顔立ち――それこそが自分の描きたい人物画ではないのか……。

 僕はなるべく音をたてないようにその場を後にした。


 その直後、自宅でスケッチブックを取り出すと、さっき見た光景を描き殴った。

 一心不乱に丑の刻参りをする女性が、一瞬だけ振り向いたあの表情……。

 しかし、どうしてもそれを再現するのには自身の実力不足で満足に描き切れなかった。明け方近くになると片付けてベッドに横になった。


 翌日から、度々深夜に散歩するようになった。

 あの女性がもう一度見たい。できれば、あの悲哀に満ちた表情を――ただそれだけだった。

 しかし、そう都合よく丑の刻参りしているあの女性が居る訳もなかった。

 僕は木に打ち付けられた藁人形を呆然として見ていた。

 丑の刻参りは、本来誰にも見られてはいけない、見られたら失敗するという。

 僕は理由はどうあれ、彼女の呪いを邪魔しているのだ。

 しかし、もう一度見たい。

 それは理屈というよりも衝動だった。

 空振りになって帰ってくると、あの時の絵を描いた。藁人形に釘を打ち付けている最中、ふと振り向いたあの様子を。

 何度も何度も繰り返し描いた。

 それは精度を徐々に増していったが、あの時見た光景には到底及ばなかった。


「前より人物画が上手くなったな」

 ある日、放課後の美術室で先輩からそう言われた。

「え? そうですか?」

 彼女を描いたスケッチブックは自宅に置いてある。今使っているのは、「部活用」だ。誰が見ても差しさわりのない絵だけが描いてある。

「なんというか、生き生きとしてるというか……相当練習したんだろ?」

「はい、家で少し……」

 言える訳がない。丑の刻参りをしている女性が描きたくて、必死で何度も描いたなんて。

 そもそも、見られてはいけない儀式を見てしまった上に口外するなんてしてはいけない……はずだ。

「そうか、唐変木のお前がとうとう人間に興味を持ったか……」

「変なことを言わないでください。必要だから練習しただけです」

「お前、恋してるだろ?」

 先輩は唐突に言った。

「は!?」

 僕は意味が分からなかった。

「俺の知り合いにも居たんだよね……ある日、人を描くのが急激に上手くなって、実は好きな人ができたっての」

 ――恋? これが……?

「いや、違います!」

 僕は慌てて否定した。

「いやあ、先輩として嬉しいよ。お前が一人前に恋するようになって……育てた甲斐があったってもんだ」

「別に育ててもらってません」

「いや、そこは素直に同意するところだろ!?」

 なんだ。結局冗談か、馬鹿らしい。

 しかし、この時聞いた「恋」という言葉が心のどこかに残って消えなかった。


 カーンカーン。


 ある晩、とうとう僕は再会した。

 再会、と言ってもこちらが一方的に見ただけで向こうは知らないのだが……。

 鎮守の森の奥、あの大木に向かって藁人形を打ち付けている。

 ――やっと……やっと会えた。

 僕は白くなる息をひそめながら、近寄って行った。

 ポケットの中から、デジカメを取り出す。既に夜間モードに設定して、シャッター音とフラッシュは切ってあった。

 木陰から、物音を立てないように細心の注意を払いながら写真を撮る。

 できれば以前のように振り向いてくれればと思ったが、それをされたら今度こそ気付かれてしまうのではという恐れがあった。

 僕は自分の胸が高鳴るのを感じた。

 先輩の言った通り、これは「恋」なのだろうか?

 考えても分からなかった。唯一確かなのは、僕がその姿に魅入られているということだけだ。

 そう、姿だ。僕は彼女の素性も、なぜ彼女が丑の刻参りをしているのかも何一つ知らない。それなのにその姿に惹かれているのだ。

 もう一度、自身に問いかける。これは恋なのか、と。

 それでも分からない。分からないが、他人に執着のない僕がこれ程までに執着しているというのは異常だ。


 カーンカーン。


 木槌の音が静まり返った森に響く。

 僕は写真を十分に撮ったので、その様子をじっと見ていた。

 彼女は、なんの恨みがあって呪いをかけているのだろうか。

 できるのならば、声を掛けてみたい。

 だが、それをしたら彼女の呪いは成就しなくなってしまう――そんな気がした。


 帰宅すると、先程デジカメで撮影したデータをパソコンに移して印刷した。

 やはり記憶だけを頼りにするよりも、実物の写真があった方が捗る。

 僕はそれを基にして、最初の時の彼女が振り向いた様子を思い出して描いた。


 それからも、僕は彼女の姿を密かに描き続けた。

 真夜中の散歩も続けたが、あれからまた彼女を見ることはなかった。

 それでも、いつも、授業中さえも彼女のことがどこか頭の片隅にあった。

 この「執着」――いやもう「恋」と認めよう。この恋は確かなものだった。

 偶然見てしまった何も知らない相手に恋をする――傍から見れば異常かもしれない。

 だが、たったそれだけの関係なのに執着することが、恋をしているというのではないだろうか?


 僕は今、恋をしている。


 もっとも、それは他人に言えるものではないが。

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