*5* 不穏

 用意されていた浴衣を葵葉あおばに着せてもらい、廊下へ出る。

 そこで迎えたのは年若い少女ではなく、壮年の男たちだった。


「まぁ、そうなるよな。あねさま、下がってろ」


 湯上がりとは思えない冷めた能面を張りつけた葵葉が、一歩前に出る。

 剣呑な空気のなか、4人の男が身構えた。


「一度ならず、二度までも……許可なく御刀おかたなさまを連れ出すことがどれほどの重罪か、知らぬのか!」


「だれの『許可』だ? おまえらか? 笑わせんなよ。姉さまはおまえらのものじゃない。管理される『物』じゃない」


「貴様っ!」


「おやめなさい!」


 だれかがいたずらに傷つけられることは、鼓御前つづみごぜんの本意ではない。

 気づいたときには葵葉の前で、両腕をひろげていた。


「みなさま、この子は葵葉。かつての号を青葉時雨あおばしぐれと申します」


「青葉時雨……戦国時代の武将、『鳴神なるかみ将軍』と謳われる蘭雪らんせつ公が愛用していたひと振りという、あの!?」


「お待ちください、蘭雪公は……!」


「えぇ、わが鼓御前も、あるじとあおぐお方でございます。ゆえにこの子とわたしは、姉弟なのです。刀としての彼は折れてしまいましたが、人として、わたしを迎えにきてくれたのです」


「御刀さまが、人に転生するなんて……」


「ほんとうのことです。ですから──」


 どうか、信じてくださいと。

 鼓御前の訴えは、無情にもかき消される。

 ゴーン、ゴーン、ゴーン……とどこからともなく鳴り響いた、重苦しい音によって。


(鐘の音かしら?)


 首をひねる鼓御前。一方で、男たちがざわめき出す。


「おい、まだ『暮れの鐘』には早いぞ。あの鐘は……!」


「たいへんですっ! ヤスミが、町に〝ヤスミ〟が出現しました!」


「なんだって!」


 縁側を駆け、やってきたひなが叫ぶ。

 たちまち、男たちの顔色が消え失せた。


「〝ヤスミ〟……」


「この島には日本中のけがれが、本土から潮風に乗ってくるんだそうだ。俺も港で島民が話しているのを、聞いたことがある」


 人が心を病むことを、『やすむ』という。


(わたしも神社に奉納されていた神刀なのだから、それはわかるわ)


 では、葵葉の言葉をそのまま受け取るなら。


「〝慰〟が、集まる島──ここ兎鞠島とまりじまは、古くからそういう場所なのですよ」


「〝慰〟は、あやかしや怨霊おんりょうのたぐいです。生半可な霊力の持ち主では、祓うことはできません……」


 嗚呼、そうか。そうなのか。


 男たちの悲痛な表情を目にした瞬間、おのれのなすべきことを、理解した。


「わたしが、斬ります」


「御刀さま!」


 言うやいなや、浴衣の裾をひるがえす鼓御前。

 制止の声を振りきり縁側を駆け、庭へ。

 そして足底に意識を集中させ、飛ぶ。

 少女のからだは、みる間に屋根より高く舞い上がった。


(ついさっきまで、走るのもままならなかったのに、不思議だわ)


 全身が異様に軽い。力がみなぎっているかのようだ。


「こら、俺を置いていくなよ」


 はたと我に返る。

 見れば、屋根から屋根へ跳躍する鼓御前に、涼しい顔をした葵葉が肩を並べるところだった。

 付喪神ならまだしも、いまは人間であるはずの葵葉が、だ。


「霊力を使えば、身体能力なんていくらでも強化できる」


「葵葉もきてくれるの?」


「ばかだな。俺が姉さまを、ひとりで行かせるわけがないだろ」


「危ないところへ向かうのですよ」


「上等。久しぶりのいくさだ、血がたぎるなぁ、姉さま」


 にやりと黒い微笑を浮かべた少年は人の子なれども、その本質は、あまたの戦場で狂い咲いた刀のさがそのもの。

 そして、それは自分も。


「そうですね。たよりにしていますよ、葵葉」


 花のごとく笑みをほころばせた少女は、次の瞬間、ふれれば切れる鋭利な紫水晶のまなざしで、空の彼方を見据えるのだった。




「とその前に。姉さま、ほら草履」


「あっ、ありがとうございます! くぅ……弟に手ずから履かせられるなんて、未熟な姉です」


「大げさだな、あはは」

 

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