自分かぶり

雨乃よるる

1

 懐かしい公園だった

 一度も来たことはなかった

 ただただ風が吹いていた

 久しぶりに遠くを見た。闇に落ちていく家々の屋根を見ていると、今まで一度しか出たことのなかった涙が、頬を伝った。落ちる前に、自分で拭った。黒いパーカーの袖に雨粒みたいなのが一滴ついた。

 全部濡らしてくれればいいのに。パーカーの色も、体の中も全部。


 向こうで人影が揺れている。嫌いじゃない人だ。この人の前でなら泣ける。そういう人だ。そんな人いたっけ?

 身長が高いな。170ありそう。初めて見る顔だ。表情を消しゴムできれいに消したような顔だ。

 私はそんな顔できない。ぐちゃぐちゃに塗りつぶした鉛筆が、消しゴムまで汚してしまって消しきれない。何かを伝えようとするたびに、薄汚れた紙で泣きじゃくることしかできない。どんなに愛されていようと、愛されたのは私じゃない、偽の私だと思ってしまう。自分をかぶって、その殻の中で世界を憎んでいる。

 人影が近づいてきた。

 「久しぶり」

 この人は笑っているのかな

 ないているのかな

 やっぱりわからないな

 ゆっくりゆっくり、近づく。街灯のない公園で、ほぼ落ちきった夕日がほのかに照らす。

 抱き寄せられた。ただ、人肌の感触だけがあった。目を閉じても、叫んでも、世界は変わらなかった。ただあなたの腕だけがずっと消えなかった。


「あのね、ずーっと誰も居なかったの」

「うん」

「誰にも話せなくてさ、話す気力なんてどこにもないんだよ」

「否定されるのが怖かった?」

「いや、わかんない。でも、、、」

「もし、絶対に否定されないってわかってても、話せなかった?」

「うん、だって気持ち悪いし」

「なにが」

「だってさ、今までなにも気づいてくれなくて、ひどい言葉平気でいってたのに、ちゃんと話せばわかった顔されるんだよ」

「きちんと話さないとわかってもらえないことだってあるでしょ」

「もう誰も頼りたくないの。わがままだよね、逆に」

「いいんだよ、少しくらいはわがままで」

「全然少しじゃない」

「本当は、誰か頼りたいとか」


 少しの間、沈黙があって、風がうっすらと足を冷やした。自分の体に接していた体温がほんの少し離れた。


「頼りたい人、一人だけ居るんです。でも今度はその人に否定されるのが怖い。その人に幸せでいてほしいから。私が何か話したことでその人が余計に悩んだりするのが嫌。今でもその人十分苦しんでるんです」

「じゃあ、君はその人を思いやれるいい人だね」


 優しい声が闇を介さずに届く。


「違う。否定されるかもって信頼してないし、その人が苦しんでるってわかっててなにも出来ないんです。自分も相手も、もっと辛くなるのが嫌だったから」

「それでも、だよ。君は誰にもいえなくて辛いんじゃない。その人にいえなくて辛いんだ。でもそんな自分のことをお構いなしに、なにも言わずにいたんだよね。もしその人が大丈夫そうだってわかったら、いろいろいえる日が来るかもしれないね。お疲れ様」


 あたりが本当の真っ暗闇になって、今まで抱きしめられていた腕がなくなっても、私はそこに立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自分かぶり 雨乃よるる @yrrurainy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る