第10話

 ――きゃっ


 いきなり貴教くんに抱きすくめられた私は、思わず声を上げたのだか、それとも声にもならなかったのか・・・。

 驚いて私が見詰める視線の先に、これもまた驚くほどに真剣な眼差しを私に向ける彼の瞳が在った。

 私は身動きが取れない。

 いいえ、物理的にではない。

 ちょっと表現が違うかもしれないけれど、『蛇に睨まれた・・・』って、こんな感じのことなのかしら?

 そんなことを正確に言葉にして思考した訳では無いのだけれど、鼓動が高鳴り、.呼吸の仕方が分からなくなる。


 ――なに、何? どうしたの、貴教くん? 


 でもそれは、言葉にならない。

 不安・・・、そして期待・・・

 視線を逸らしたら、途端に不安が現実になりそうだから、私は、私は・・・、だから身動きが出来ないし、見詰め返すことしか出来ない・・・。

 息が苦しい・・・。


 多分、貴教くんは、気付いた(気付いてくれた)のだと思う。

    ◇




 僕は大馬鹿野郎だっ。

 僕の目は節穴どころか、ガラス玉、いいや、プラスチックのビーズ玉にも劣るっ。

 七瀬なつみ・・・、君は・・・、あの時の・・・


 僕は何を見ていたのだろう?


 でも、そんなことって・・・、あるか・・・?


 いや、あるのだろう・・・。だって、間違いないのだもの・・・。

 勘違い?

 違う。

 間違いない。今、確信した。

 あの瞳と、今、ここに居る、ここに在る、僕が見詰める七瀬なつみの瞳。

 それは、疑いようもなく、同一・・・。


 僕が捕まえた昆虫の自慢をしている時に、キラキラと輝かせて僕を見詰める瞳。

 病院で『痛いの? 大丈夫?』と、涙を流してくれた瞳。

 小学生の時、僕が喧嘩した後に、『ありがとう』って半分泣きながら半分嬉しそうだった瞳。


 そして、

 高校の卒業式の日、

 確か、おさげ髪の二年生だったと思うのだけれど、僕のボタンを持っていった、伏し目がちだったあの女の子の眼鏡の奥の・・・瞳・・・。


 制服のリボンが緑色だったあの子。

 (僕らの学年の女子制服のリボンは小豆色だった)

 おさげ髪で、眼鏡まで掛けて・・・。

 (確か、七瀬なつみは、子どもの頃からずっと髪はボブ(っていうのかな?)だったような気がする)

 ・・・そんなこと、『気付かなかった』言い訳にもならないっ



 僕は一体、彼女の何を見ていたのだろう?

 ・・・何も?


 生来、馬鹿で間抜けな僕なのだが、これは阿呆が過ぎる。笑えない。


 後ろ姿を・・・シルエットを追って・・・、遠くから、ただ、眺めているだけで。


 目も合わすことが出来なかった僕は、全く気付かなかった。

 あの子が七瀬なつみだったってことに。


 でも、どうしてあんなことを?

 混乱してきた。


 今ここに居るのは、七瀬なつみで、卒業式の日に知らない下級生だと思い込んでいたのも七瀬なつみ、従兄と歩いていた七瀬なつみ、小学生の七瀬なつみも、幼かったころの七瀬なつみだって、皆、同じ、七瀬なつみ・・・。


 どうして? なぜ? どういうことだ?

 僕の思い違いか?

 だけどさ、君の瞳の、その涙の理由わけは?


 バカヤロウっ この期に及んで、まだそんなことを考えるのか?


 はやく、早く、言葉にしなくちゃ。

 でも、何て言えば・・・

    ◇




 息が苦しい。だけど、悪い心地ではないの。

 いいえ、寧ろ・・・

 見詰められることが、こんなにも胸の奥が疼いて、それでも嬉しくって、なのに切ないなんて知らなかったよ・・・。


 私は、ずっと、見ていたよ。貴教くんは、ちっとも振り返ってくれなかったけど、私は見ていたんだよ、ずっと。あの日、私をいじめっ子から守ってくれた日からずっと。

 ううん、その前からも、ずっとだよ。


 でも、私のせいで・・・

 だから、きっと嫌われてるって思って・・・


 昨夜、楓に言われたことが、信じられない気持ちと、ドキドキ感と、そして今も、怖いの。


 どうすれば良い?

 きっと笑って、

 ――貴教くん、貴方のことが好きです。


 そう告白できると思っていたのに・・・

 もう、涙が零れそうなのを、堪えることが出来ないよ。

    ◇




「ごめん・・・。何ていうか・・・」

 僕は意を決した。

 もう、目を逸らすのは止めだ。

 本当に馬鹿で、そして間抜けで『ごめん』、そう思った。

「七瀬なつみさん、好きです。ずっと好きでした。順番が変になっちゃったかも知れないけど、俺と・・・、俺で良かったら・・・つ、付きあってくださいっ」

 なつみの瞳から涙が溢れ出す。

    ◇




「ごめん・・・。何ていうか・・・」

 その言葉を聞いた瞬間、私の涙袋は決壊した。

 嗚呼、フラれてしまったのだ、と。


 ――え? でも、そのあと、いま、貴教くん、何て言ったの?


 『好きです』

 『付き合ってください』


 そう言った?

    ◇




「もう、貴教くんのバカ」

 泣いてるのか笑っているのか、なつみが僕の胸に顔を埋める。

「ごめん・・・。でも、俺が大馬鹿者だってことは、俺が一番よく知ってる。だから、ホントに、ごめん。でも、それで良ければ・・・、付き合ってくれるかな?」

 なつみは僕の胸に顔を押し付けたまま、小さく首だけでコクンと頷いた。

    ◇




 私は『ごめん』の意味を、瞬間的に勘違いしたことが死ぬほど恥ずかしくって、そしてそれとは真逆に舞い上がるほど嬉しくって、思わず貴教くんにしがみついていた。

 それからもう一度『付き合ってください』って言われて、本当にこのまま死んじゃうんじゃないかと思うくらいドキドキして、顔を上げられない。

    ◇




 僕は頷いたなつみの髪を、感動に打ち震え、今更ながらどう扱って良いか分からない『壊れ物』みたいに、そおっと、出来る限り優しく撫でる。

 裸の胸に当たるなつみの吐息が暖かく、そして確かにここになつみが居るのだということを改めて感じながら、今は言葉なんてどうでも良いと思った。


 おや?


 なつみ・・・さん・・・?


 あれ? 眠ってる?

 ふふふ・・・

 ま、いっか。何だか、僕も・・・

    ◇




 ドキドキが収まって来て、今直ぐに顔を上げたい気持ちがある反面、貴教くんに髪を撫でて貰うのが余りにも心地好くって、もう暫くこのままで居たい・・・

 ふと、何故だか、昨夜の楓の姿がふわっと脳裏に浮かんだ。

 何となく、頭の中で、私は楓に笑顔で応える。


 なんだか・・・私・・・


 なんだか・・・ふわふわする・・・


 顔、上げなきゃ・・・でも・・・


 ・・・・・・・・・・・

    ◇


    つづく

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ばかっプル、誕生(人間万事塞翁が馬) ninjin @airumika

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