第9話 携帯は折りたためた方が便利

「あ、愛一郎、ごきげんよう。いい朝ね」

 ええー……。

 困惑が支配する教室で、僕の隣の席の金髪パンク変質者は何事もなかったかのような顔をしている。

「あ、蒼依、君はいったい……」

「ん? ああ、いえ、遅れたのは、愛朱夏のお昼ご飯を用意しておかなくちゃいけないことを忘れていて少し手間取ってしまっただけよ。メールはしておいたんだけれど読んでいなかったのね。まったく、相手がメッセージを開いたかどうか分かる機能ぐらい付けてくれたら便利なのに。愛朱夏にはそんな機能あっても広まらないって鼻で笑われたけれど。あ、もちろん愛一郎のお弁当も忘れていないわよ。はい。今日のおにぎりの具は鮭と貞操帯の鍵とツナマヨよ」

「米に金属ぶち込む女より偏差値が二十七も低かったのか、僕は……!」

 いや、そこじゃない。全然そこじゃない、問題なのは。

 こいつは僕がブチ殺さなきゃいけない浮気女であって、その浮気の武器になるのは男受け抜群の清楚ビッチさにあるはずだった。手入れに労力がつぎ込まれた自慢の黒髪がそれを象徴していたはずだった。

 それが今や清楚ビッチから最も遠く離れている。いや、離れてるっていうか、もはや同じ平面上にいない。完全に別次元、別ジャンルのビジュアルになってしまっていてる。美少女であることには変わりないのに、その姿は男受けっていうか人間受けしない何かだ。

 じゃあ、そんな人生のアドバンテージを捨ててまで、何でこいつはこんな変身をしてしまったのか。

 そんなの、考えるまでもなく、

「だって鍵は亜鉛が豊富なのよ? 愛一郎には元気な精子をたくさん作ってもらわないと。あ、でも可食部はもちろん持ち手部分だけよ? 天むす状態になっているから鍵穴に差し込む部分は残して保管しておいてね。そうしないと私一生処女になってしまうから」

 こいつが、未来の浮気を本気で防ごうとしているからだ。鍵に可食部などない。亜鉛ならカギよりカキで摂りたかった。

「蒼依……」

「――見ていてね。態度で示してみせるから」

 その蒼依の微笑みは穏やかで、それなのに力強くて、どうしたって僕はこいつのことを信じてやらざる――

 い、いやいやいやいや待て待て待て! 騙されるな、僕! 本質を見失うな!

 こいつがここまでしているのは僕のためじゃない。自分が死にたくないからだ!

 そうだ、そもそも、この時間軸で浮気を回避しようが、裏切りは何一つ帳消しにはならないんだ。罪は消えない。罰を与えなければならない、必ず。

 だからこそ僕はこいつに浮気をさせようとしているわけで、こいつが浮気を本気で防ごうとしていることは、むしろ僕にとって障害、厄介な事態なんだ。それなのに何を感動なんてしてやがるんだ、僕は!?

 クソが、この女……どこまで悪魔的なんだ……貞操帯の鍵を渡してくるなんていう究極の求愛行動をしてきやがって!

 しかし、受け取らないわけにはいかない。僕はこいつを寝取らせて、寝取られていることに気付かないふりをしたまま十四年間信じる演技をし続けなければいけないのだから。

 地獄だ。でも自分で選んだ地獄。僕を裏切った女への、復讐を果たすために。

「あー、まんこかゆい」

 僕を裏切った女への、復讐を果たすために!

「あー、掻きたい。…………あ、マジで掻きたい。やばい。いよいよかゆい。…………ごめんなさい、愛一郎。お願いなのだけれど、早弁をしてほしいの。おにぎり一つだけでいいから。解錠してほしいの……! 発注しても今日には間に合わないからって自作したのが間違いだったわ! まったく、通販サイトで割増料金を払ったり有料会員になったりすれば注文当日に配送してくれるサービスがあればいいのに! 愛朱夏にはそんなの無理に決まってるって馬鹿にされたけれど」

 僕を裏切った女への、復讐を――復讐を…………復讐、果たせるのか……? こんな女と浮気して心中までしてくれる男が本当にこの世にいんのか!? おい、成宮寛貴、高岡蒼甫、お前らにこの女抱けんのか!? 僕は抱けるぞ!

 でもマジでこのままじゃこの作戦は完遂できないかもしれない……特にこんな平凡なクラスメイト共じゃ、この女は……、

「あ、あのー……田中愛一郎君、鈴木蒼依さん……そろそろホームルームを始めたいので……」

 いつの間にか壇上に佇んでいた担任教師が弱々しい声をあげる。いつもは泰然自若としている彼が怯えた小動物のようにビクビクとしている。まだ夏だというのに肌を隠すような長袖だし、何故か頬には大きな湿布が貼られている。日焼け対策と虫歯かな? あ、僕がさっき殴ったんだった。

「せんせー、まんこかゆいんで彼氏とトイレでおにぎり食べてきていいですかー」

「先生は先生を辞めることを決意しました。君達に悪影響を与えたであろうルーキーズやごくせんを垂れ流したテレビ局をぶっ壊すため、オリジナルドラマをメインに配信する月額登録制のストリーミングサービスを立ち上げようと思います。近い将来TBSからベイスターズを買収していることでしょう」

 そんなの成功するわけねーだろ。誰がドラマ見るために毎月金払うんだ。

「それでは先程そんなビジネスに先生を誘ってくれた最高のパートナーを紹介します。転校生の万葉ばんばくんです。入ってー」

 転校生の紹介だったのかよ、これ。哀れすぎるだろ、ただでさえ荒れ果てた教室に、自棄になった教師から意味わからん紹介受けて登場させられるとか一生もんのトラウマになるぞ。

 そんなクラス中の同情を受けながら扉を開け放ち入ってきた、細身長身の男は、

「おいおい、どうしたんだい、君達。そんな暗い顔して。そんなんじゃワクワクするような未来はやってこないぜ? みんな、俺の新しくて面白いプロジェクトに巻き込まれてみないかい!? 万葉ばんば令和だ、よろしく☆」

 ガッツリと刈り上げたサイドに上部から伸ばした黒髪を被せるという、ルーキーズにも出てこないような奇抜な髪形(確かツーブロックとかいうんだったか)をしたそいつは、大仰な身振り手振りを交えながらハキハキと語り続ける。

「とりあえずみんなにはまずこれを持ってほしいね。アイフォンだ! 予言しよう。時代はこのちっぽけなガジェット一つによって激変する!」

 何言ってんだこいつ。そんなもん流行るわけないって昨日ニュース見ながら愛朱夏も言ってたぞ。そんでこれは転校生の自己紹介だ。なに勝手にプレゼンみたいなの始めてんだ。蒼依なんて全く興味なさそうにVライン掻きむしってるぞ。

「今はまだほとんどの人間がこの端末のポテンシャルに気付いていないけどね。すぐに全人類の生活がこの板チョコ一枚を中心に回っていくことになる。ビジネスだけじゃない。衣食住全てにおいて、いやあらゆる娯楽・文化活動を享受するためにも、必須のアイテムになるのさ。勉強だってオシャレだって、いや君達に一番興味を持ってもらえるのは、恋愛かな? うん、もしかしたら恋愛こそ一番大きな革命が起こる分野かもしれないね。今までだったら一生繋がるはずもなかったような人間と、一分あれば恋人になれてしまうような時代がすぐそこに来てるんだ!」

「「――――」」

 その言葉に、僕は、そして下腹部にしか興味のなかった蒼依も、顔を上げる。

「どうだい、みんな! どうせ世界が変わるなら、変えられるより変えてやる側に回ろうじゃないか! さぁ、今すぐやろう! どうした、みんな、そんなに虚ろな目をして――お、興味津々って感じの子もいるじゃないか! そこのインパクト強めの金髪の君! いいね、いいね、個性的な子は大好きだ!」

「…………っ!?」

 大好き、だって……? この姿の蒼依を……? こいつアイフォンとやらで、浮気の範囲を、容疑者の数を爆増させるだけに留まらず、まさか自分まで蒼依のことを……?

 蒼依も目を見開き、ツーブロック野郎を凝視している。嘘だろ、まさか……、

「うん、君にはインフルエンサーの素質があると見た! どうだい、君も俺のパートナーとして一緒にワクワクするような未来を、」

「テメェかあああああああああ未来で私をたぶらかした野郎はあああああああああああ!!」

「がふぁっ!?」

 その瞬間、情け容赦という概念を髪のメラニン色素と共に捨て去った蒼依の飛び膝蹴りが炸裂。膝頭と万葉のみぞおちでアイフォンを挟み割っていた。

 ええー……。

 膝から崩れ落ちるツーブロック。真っ二つになる最先端ガジェット。あらわになった刈り上げと基盤に痰を吐き捨てる蒼依。

「感謝なさい。携帯は折りたためた方が便利でしょう」

 もはや狂犬である。

 はぁ……『まさか』も何もなかった。初対面で膝とみぞおちのアイフォンサンドイッチ決めてくる女を狙う男などいない。とりあえず万葉はターゲットから外していいだろう。

 まぁこんなネアカ野郎が心中を選ぶとは思えないしな。むしろ「一人の相手としか恋愛しちゃいけないなんて古いよね。婚姻制度なんてナンセンス。時代はフリー・ラブだよ」とか主張して浮気とか隠しもしなそうだし。

 そんな風に僕が安堵と呆れのため息を漏らしていたときだった。

 うつ伏せのまま顔を上げ、苦しそうに、しかし目だけはギラギラと輝かせ、万葉令和が呟く。

「ハハハ、面白れぇ女……!」

 ええー……。

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