第8話 ドッキドキっ!? 夏休みデビュー!

 夏休みデビューなんて言葉があるらしい。学生が夏休み明けに一皮剥けて登校してくることを指すそうだ。例えば、休み前まで地味だった生徒が髪を染めるなどのイメチェンをしてきたり。ひと夏の恋愛経験、それに伴う性愛行動を経たカップルが大人の階段登ったりましたオーラを発してきたり。

 今の僕に、最も遠い言葉だ。

 いや、一皮剥けたという意味では、むしろ当てはまりまくるのかもしれない。夏休み以前・以後で変わったかどうかで言えば、間違いなくイエスなのだから。ただし、方向は真逆だ。

 愛朱夏と邂逅したあの夜が明けた、二学期始業式の朝。騒がしい三年B組の後方席で僕は静かに教室中を観察していた。

「うわ、飯田の奴、スカート短くしてんじゃん。オレ、アリだと思ってたのになー。うわうわ、三好はピアスかよ。狙ってたのによー」

「あんた、女なら誰でもいいわけ?」

 隣席では夏休み前からオシャレに敏感だった男女二人が無駄に大きな声で駄弁っている。襟足長めのツンツンウルフヘア坂戸大輔と、人気モデルを真似た巻き髪茶髪のギャル市原律子だ。

「誰でもじゃねーよ。処女だけな。処女で顔平均点以上なら誰でもオーケー」

「きっも。てか飯田っちもマリアも夏休み中にできたっつー大学生の彼氏とはもう別れたっぽいよ? 確かに垢抜けたけど今は普通にフリーじゃん?」

「関係ねーから。一度ヤッた時点で価値は暴落。中古女とからいらんわ」

「さいってー。あんた、それ2ちゃんねるとかいうのの影響でしょ。やめなよ、オタクっぽいから。女の過去を気にする租チンなんてモテないよ。大事なのは今っしょ。未来っしょ」

「いや男はみんな気にすっから。な? 愛一郎、お前も処女がいいだろ? 処女だから蒼依ちゃんと付き合ったんだよな? てかもうヤッ――あ、愛一郎……?」

「ちゃんと彼女いる人ほど未来が大事って言うの。ね、愛一郎く――ひっ……!?」

 下劣男女コンビが僕の存在に気付くや否や、椅子を鳴らして後ずさる。失礼な奴らだ。

「過去と未来を区別することに果たして意味があるのだろうか。『今』を起点とした時間の前後など所詮は人間が恣意的に生んだ偶像でしかない。いや、そもそも時間という概念自体が、僕たちの目を曇らせ、人間存在の価値を見誤らせるために悪魔あのおんなが作り出した情報兵器なのやもしれぬ……! しかし僕は騙されない! 僕は人間の本質を見抜いているのだから!」

「い、意味わかんねぇ……! てか絶対意味とかねぇ……! 何でそんなに目ぇバキッバキなんだ、お前!?」

「この人、物理の成績学年最下位じゃなかったっけ……変なクスリとかやってないよね? てか蒼依ちゃんは? いつもいっしょにいんのに」

「ヤッてなどいないッ! 僕があんな売女とヤるわけがないだろ!」

「クスリはヤってる可能性残ったね。シラフの人間が公衆の面前で売女とか口走らないしね」

 なぜか心配そうに語りかけてくる下劣ギャル市原律子だったが、ふと何かに気づいたように、

「あれ? え、てかそれ蒼依ちゃんのことっしょ? あんなにイチャついてた彼女のことそんな風に言うなんて……なに、別れたってこと?」

「え、マジかよ!? そんでお前、ヤッてもいねーんだろ? じゃあ蒼依ちゃん処女でフリーってことじゃん! え、俺いっちゃってもいいってことだよな!?」

「その『別れ』という言葉が関係の終焉という意味を指しているのであれば、僕の答えはノーだ。何故ならば、物理的であれ精神的であれ、二つ以上の存在が一度でも接触してしまえば、永遠に影響を与え合うことを止める術はないからだ。たとえそれが、観測できないほど小さくあったとしても、ゼロになることはない。関係は相互作用的に伸長し続ける、いや、循環しているという表現の方が適切なのかもしれない。にもかかわらず、別れというものがあると錯覚してしまっているのであれば、それは悪魔あのおんなの仕業に他ならぬ! 奴は関係というものの価値を矮小化させるために人間の脳細胞を破壊する電磁波を自らの子宮から振り撒いているのだッ!」

「ねぇ、大輔はどっちだと思う? 110番? 119番? どっちにしろ手遅れかな」

「愛一郎、お前はずっと何を言ってるんだ……」

 愚かだ。やはり民衆には理解できないのか。これだからみんな騙されるのだ。

 しかし、だからといって放っておくわけにもいかない。分からないなら分からせる。

「つまりだな、坂戸大輔」

「え、な、何だよ、」

 僕は卑俗ウルフカットの襟足を掴んで引き寄せ、そのちっぽけな脳みそでも理解できるよう、端的に言い放ってやった。

「つまりテメェが間男かって聞いてんだよおおおお!!」

「ええええええ……」

 本日三人目の調査開始である。

 僕は復讐のため、蒼依の浮気相手を探し始めていた。といっても浮気関係が始まるのはこの一か月の間という長期スパン。まだ始まっていない可能性が高い以上、証拠を掴むのは難しい。そして、そもそもあの女がこの時間軸においての浮気不成立を達成させてしまう可能性もゼロではない。だからこそ、僕が先に間男を見つけ出し、浮気のサポートをしなければならないのだ。

 何としてでも奴を死に追いやるために……!

 どう行動するのが最適なのか見出せなかった僕は、とりあえず怪しい奴らを一人ひとり尋問する作戦をとることにした。

 まずは父さんだった。僕の父親である。あの男は息子の彼女である鈴木蒼依のことを大層気に入り、常日頃から褒めまくっていた。早く嫁に来てほしいというのが口癖だった。

 絶対寝取るつもりだ……!

 田中家に嫁入りし、義父の賛意もあって専業主婦となる蒼依。一方の夫は新築二世帯住宅のために仕事に精を出し、出張続きで家を空けることも多くなっていく。寂しさと共に募っていく欲求。そんな息子の妻に自分の子種を仕込むつもりだったんだ、あの親父ッッッ!!

 冷静になってみれば思い当たる節なんていくらである。息子カップルを生温かく見守るあの目線も、蒼依の体をデレデレと視姦しているだけだったのだ。

 あの日、「馬鹿な息子だけど、蒼依ちゃんを想う気持ちだけは本物みたいなんだ。情けないところを見せることはあるかもしれないが、蒼依ちゃんのためなら何度だって立ち上がるはずさ。だから、どうかこれからも愚息をよろしく頼むな」なんていう優し気な言葉をこっそり聞いてしまって感動していた僕だけど、息子の意味を取り違えていただけだった。あの男は息子の彼女に自分の情けない愚息の相手をさせようとしていたんだッ!!

 くそぉ……! 父さんめぇ……!

 僕は早朝に父さんを殴り起こし、蒼依を性的な目で見ていることについて問い詰めた。呆然とする父さんと号泣する母さん。興奮していたので具体的に何を口走ったのかまでは覚えていないが、とりあえず結論として父さんはEDだった。

 勃起できないからといって蒼依を孕ませられないわけではない。そう詰め寄っているうちに気づいたが、そもそも僕の父親が間男で蒼依と心中していたなら、孫である愛朱夏がそれを知らないわけがない。よって父さんは初めから容疑者に入りようがなかった。

 くそ! 紛らわしい真似しやがって! 切り落とせ、そんな愚息!

 二人目は担任教師の佐久間だ。あの男、普段から僕と蒼依の進路希望についてイチャモンをつけてきやがる。

 大学を出た後は僕と結婚し専業主婦になるのが夢という蒼依に対し、「恋愛・結婚は応援するが、もっと広い視野を持つべきじゃないか? 君には高い能力があるんだから。心配しなくても彼は待ってくれるさ。愛があるからこそ焦る必要なんてないんだ」と強要する一方、蒼依と同じ大学を志望する僕に対しては「落ち着け。無理だ。偏差値が先生の年齢ぐらい足りない。今どき恋愛が第一という考え方が出来るのは素晴らしいし、そんな若者がいてくれることを誇らしく思う。心から応援したい。ならばこそもっと最適な道があるはずだ」と体罰をチラつかせながら矛盾した命令をしてくるのだ。

 全ては生徒指導という名目の下、僕と蒼依を引き離し、蒼依を篭絡するため――佐久間の目的に気づいた僕は、朝一で職員室に乗り込んだ。奴は毎朝誰よりも早く出勤し、彼氏持ち女生徒のリストをまとめて寝取り性癖を満たしているので、二人きりで問い詰めるのには都合が良かった。

 人を殴っているときの記憶というのは曖昧になるものなのか、詳細は覚えていないが、とりあえず結論として、佐久間は重度の真性包茎だった。

 皮が剥けないからといって蒼依を孕ませられないわけではない。そうも思ったが、果たして真性包茎の間男なんて存在するのだろうか? 仮性包茎様である僕が真性包茎に負ける? 大罪に手を染めてまで教え子を孕ませようとする男が包茎手術一つを躊躇うようなことがあるだろうか。ひとまずこいつは容疑者リストに危険性最低ランクとして保留しておくことにした。

 くそ! 紛らわしい真似しやがって! 早く切り落とせ、そんな包皮!

 あと冷静になって考えてみると学校で人を殴るのはまずい。停学・退学になってしまえば、調査が進まなくなってしまう。特に教師に対する暴力はリスクが大きい。幸い佐久間は「そこまで一途に誰かのことを愛せるなんて、君達は本当に尊いよ。今回のことは不問にする」と微笑していた。微小真性包茎が何カッコつけてんだ。

 他にも養護教諭、用務員、生徒会長、教育実習生、ブラウン管の中のニュースキャスターや天気予報士、CМ中にも関わらずテレビの前の蒼依を探している俳優など、意識を変えてみるだけで、蒼依の身体を狙っていそうな男がこの世には溢れていた。

 奴ら全てを探っている時間はない。優先順位をつける必要がある。いくら画面越しに蒼依の体を舐め回すように見てくると言っても、押尾学や小出恵介がこの一か月の間にこんな片田舎の女子高生と繋がるとは考えにくい。

 というわけで厳選を重ねた結果、僕はいまクラスメイトのチャラ男を取り調べていた。あくまでも冷静に客観的に、である。僕の目的は間男を殴ることではない。むしろ逆――彼をサポートして、正史通り蒼依とくっつけることなのだから。

「てめぇかあああああ! このワックスべちゃ男がよおおおおおお! 顔面ボッコボコに腫れさせて髪型の小顔効果台無しにしてやろうか、あぁん!?」

「ぐ、ぐるじ……っ、はなじで……っ」

「ちょちょちょ愛一郎くん!? 首絞めはやめたげて! 目玉飛び出てるから! こいつ死んじゃうから!」

 巻き髪ギャルの制止でハッとして手を離す。危ない、殺してしまってはあの女と死んでもらえない。未来を変えてしまう。

 蒼依の交友範囲なんて広くない。いや、めちゃくちゃ狭い。常に僕といっしょにいたんだ。僕の知らない男が射程に入ってくるとは思えない。そういう意味でも、やはり可能性が高いのはクラスメイトのはずで、しかも調査も簡単。蒼依を狙うような態度を見せた奴をあえて候補から外す理由がない。

 とはいえ、こんな汚らしい男を蒼依が選ぶ可能性があるのかは疑問だ。僕を裏切ってまでだぞ?

 あり得ないか、さすがに。

「ごほっ、ごほっ、はぁはぁはぁ……何なんだよ、愛一郎……なんちゅう夏休みデビューかましてんだよ……頭は悪くても真面目で誠実そうな奴だっただろーが……」

「ホントよ、愛一郎くん。頭は悪くても真面目で誠実そうだったのに。で、蒼依ちゃんは? 真面目で誠実そうなだけで頭が悪いから振られちゃったの? まぁあの子は真面目で誠実で頭もそこそこいいからね。釣り合ってなかったんだね」

 崩れ落ちたバカ男の背中を擦りながらバカ女がふざけたことをほざいてくる。

 あの女が? まぁ確かに頭は良くて、ある意味では真面目でもあったのかもしれない。だからこそ僕のことを欺き続けることができた。でも、誠実だと? あんな清楚な見た目して、僕との大切な約束を忘れ去っていたあの悪魔が?

 温厚な僕もこれにはさすがにキレた。女だからって手加減すると思うなよ、この茶ギャルがッ!

「ふざけ――」


「ごきげんよう。あー、あっついわね。蒸れるわー。腋汗ビチョビチョだわー」


「「「は……?」」」

 と、間抜けな声を漏らしてしまったのは、僕と卑俗男女コンビと――それだけではなく、クラス全体だ。

 それくらい、わからなかった。

 わからなかったのだ、その気怠げなのにもかかわらず、どこまでも澄んだ声の主が、誰なのか。

「――え、は……?」

 三秒後、ようやく僕は、それが誰なのか気づく。さらに三秒から五秒間で、他のクラスメイト達もその正体に思い至る。

 それでもわからない。わからない、そのビジュアルの理由が。

「あー、本当に蒸れるわね。まんこかゆい。かゆいわー。かゆいのに掻けないわー。アレつけてるからなー」

 わざとらしく独り言ちながら、僕の隣の席へと腰を下ろすその女。

 ピッカピカの金髪にゴッテゴテのピアス、その派手さに相反するような野暮ったい超ロングスカート。ギャルともヤンキーとも呼べない奇妙な見た目の中でもひときわ異彩を放っているのは――ていうかヤベェのは――左目の下から顎にかけて入ったフェイスペイントで。

「あー早く彫りたいわー。こんな仮初の落書きじゃ満たされないわー。早く顔面に一生消えない墨で『愛一郎専用』って刻み込みたいわー。あと下腹部にも。あ、でも貞操帯つけてるから彫れないわね。あー、まんこかゆい」

「な、な、な――」

 アホウルフカットが、僕の変化にドン引きしていたときの三百倍くらい驚愕した様子で声を震わせ――そして耐えかねたように叫ぶ。

「――なんちゅう夏休みデビューかましてんだよ!?」

「うっさいわね。愛一郎以外の男が私に話しかけんな。それ以上近づいたらマンカス食わせるわよ」

 スカートの上から内ももの付け根をボリボリと掻きむしりながら、蒼依はそう宣言した。

 ええー……。

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