大人のくせに

「マスターもコンサートに来てくれたんですよね?」

「ええ、行ったよ。店番をアルバイトさんに頼んでね。うっふっふっ」

 大きな花束を持った可愛いアルバイトさんがマスターに手渡す。

「はいヨ、マスターチャン」

「ありがとう、ヒツさん」

「アナタ、すぐ忘れるノ、良くないネ」

「最近、物忘れが激しくて。ヒツさんも忘れてたんだから、これでおあいこだね」

「オアイコ、意味がわかりまセン。どして、フクオカサンが知ってる、花束」

 何度か姿は見かけたことはあったが、彼女が話しているのを初めて見た。いや、単純に私が気にしてないだけなのかも。

 外国人か。片言だったから、すぐにわかった。ヒツという名前はどこの国だろう。

「日本語、上手ですね」と話しかけると、「ありがとうございマース」と満面の笑みを浮かべてくれた。

 人懐っこさと話し方が可愛くて、ほんわかする。

「コンサート、お疲れ様でした」

 マスターはそう言って、私に花束を渡してくれた。

 丸い花のダリアという花。赤やピンク、オレンジ、白の様々な色に、緑の葉が添える大きな花束だった。

「え、え? え?」

 私は突然のことに言葉を失う。

 そうくんに「ほら、受け取らないと」と促されて立ち上がり、それを受け取った。抱えきれないような大きな花束に、じんわりと目に涙が溜まる。

「ありがとうございます。嬉しいです」

「喜んでもらえてなによりだよ」

「俺達からもマスターに渡したいものがあります」

 そうくんは、チョコレートが入った青い紙袋を手渡した。

『俺達』という響きが、なんだか良いと思ってしまったことは、口に出すまい。彼の向こうに座る気配が恐ろしい。

「このロゴは駅前にあるお店だね。ありがたく頂戴します」

 マスターは嬉しそうに受け取っていた。

「ちょっと待ってよ! 『俺達』ってどういうこと⁉︎ 湊と年増のこと⁉︎」

 梶瑛かじあきさんが不服そうに口に出した。なにが気に食わないんだよ、あなた。

 腕の中にある花束をじっと見つめていると、本当にコンサートが終わったんだと実感する。

 心をくすぐる、寂しさ。まだ演奏がしたい。そうくんと一緒に演奏がしたい。あの感覚が忘れられない。心が震えるような、揺さぶられるような、全身に感じた感動を。

 でも、もう終わったんだ。

 もうそうくんと演奏はできない。

 そう思うと、一層暗い影が落ちる。

「しほりさんもチョコどうぞ」

「あーうん、ありがとう」

 自分で選んだナッツのチョコレート。心なしか、チョコレートの味がしない。チョコレートの脂肪分の塊を食べているようだ。見た目はこんなに甘そうで、美味しそうなのに。

 口に入れてみたものの、なかなかチョコレートが喉を通らない。カフェオレを飲んで流し込んだ。

 一枚アンケートを捲ると、書かれた感想に『また二人の演奏を聴きに行きたいです』の文字。ぼちぼちと見かける言葉を読んで、最初は夏希なつきと始めたコンサートだったけど、フルート二重奏というコンサートも悪くないのかなと思う。

 だからといって、実現させることが難しい話なのは変わらない。

 不満を紛らわせる為になんでも口に入れてしまおうと、次のチョコレートを手に取り、口に付けた瞬間、

「あ」

 そうくんの声で、ハッと我に返った。

「ごめん……そうくんのチョコ、食べちゃった」

「いやいや、いいですよ」

 苦笑していた。

 その後ろでは「グルルルル」と野獣が唸る声がする。もうこの人なに。心の中で涙を浮かべる。

「……そろそろ帰りましょうか」

 そう言って彼は立ち上がった。

 彼の言葉を聞いて、心臓が握られたような痛みがした。

「あの、そうくん」

「はい」

「本当に助けてくれてありがとう。こうやってコンサートを無事に終わらせることができたのは、君がいてくれたからだよ」

 次のアンケートにも『フルートって吹く人によって、全然音色が違うのですね。二人で吹く曲も凄くて、鳥肌が立ちました』と書かれていた。

「この演奏会で最後なのが……凄く勿体無い気がする、けど……」

 散らばったアンケートをまとめて、端を揃える。そして、私はただ笑った。

「凄く楽しかった」

 カウンターに置いたシャイニーケース。その中にある、彼から借りたフルートともお別れをしなければならない。

 勇気を振り絞って、言いたいことを言おう。

 大丈夫。そうくんならきちんと耳を傾けてくれる筈だから。

「もし、そうくんがよければ、なんだけど……」

 きょとんとする彼に上目遣いで、

「社会人のお疲れ様会には、二次会というものがございまして〜……」

 悪戯っぽく、彼の顔色を伺う。

「show先生のお家で、二次会しない?」

「はあああ⁉︎ なんで年増が先生のこと、知ってんの?」

 今度は身を乗り出して、梶瑛かじあきさんが叫ぶ。非常に不愉快だと言わんばかりに。この子、どうして私に攻撃的なのかなー。

「昨日、先生ん家に泊まったから知ってるよ」

そう! なに勝手に泊めてんのよ⁉︎」

「いや、本人の承諾済みだし」

「ま、まさか、二人っきりでお泊まりしたわけ⁉︎」

「まあね」

「不純交際禁止!」

の教え子がそんなことを言っていいのか」

「それはそれ、これはこれ。もしかして、そこの年増、あたしの部屋で寝たんじゃないでしょーねえ⁉︎」

「いい加減、年増って言うなよ」そうくんは注意してくれたが、彼女はあまり聴く耳を持たない。

梶瑛かじあきの部屋を貸したんだけど、結局、俺の部屋で寝たんだよ」

「つか、お前の部屋じゃないよな」と言うが、やはり聞く耳持たず。階段を駆け上がっていくように、彼女はヒートアップしていく。

「はあああああああ⁉︎ 一緒に寝た⁉︎ 年増と⁉︎」

「俺は楽譜の書き換えをしていたから、一緒には寝てないって」

「だから年増って言うなって」そう言ってくれるそうくん。

 もう気持ちだけで十分だよ。だって、梶瑛かじあきさんは本当に聞いてくれないもんね。と思っていたら、不意に視界がぐらりと揺らぐ。彼女が胸ぐらを掴まれていた。

「アンタ、年上年増のくせに、そうに徹夜までやらせたわけ⁉︎ 信じられない……!」

 殴ってきそうな表情だった。でも、もし本当に殴ってきても、私は黙ってそれを受け止めようと思っていた。

 やっぱり、そう思うよね。いい歳した大人が、高校生にいろんなことをやらせてしまった。その人を大事に思っている人程、私のことは許せないだろう。

「不甲斐ない私の責任です」

「こんのクソッ——」

 右手を振り上げられ、私はギュッと瞳を閉じた。

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