私の音楽とは

「だーかーらーさー! カルメンは最後ホセに刺殺されるでしょ?」

「うん」

「カルメンの気持ちはエスカミーリョに向いてるんだよ? ホセはカルメンへの想いを抑えきれずに殺してしまう……そうでしょ?」

「うん」

 そうくんは淡々と答える。

「……わかってるなら、どうしてあんな演奏するの!」

 キッと彼を睨みつける梶瑛かじあきさん。

 一方、その怒号のような声を、さらりと受け流すそうくん。

「『あんな演奏』て?」

「言葉にしなきゃわかんない⁉︎ カルメンとホセの恋が成就したような情熱的な演奏はおかしいって言ってんの!」

「ラブラブだったでしょ」

 彼は肘をつき「ハハ」と笑う。どうやら確信犯のようだ。

 しかし私の方はというと、そうくんの言葉にドキッとした。ラブラブなんていう言葉を使うとは思わなかった。知れば知るほど、彼は可愛い。

 と思っていたら、突然、グラスを乱暴に置く音で我に返った。梶瑛かじあきさんが飲んだグラスを叩きつけるように置いたようだ。

 私達の演奏についての話だとわかっているのに、頭はそうくんばかりを意識しすぎてるなぁと反省する。

 一方、グラスを握り締め、わなわなと震え上がる梶瑛かじあきさんは、何故か私を睨み付けていた。

 なぜ私?

「確かに曲の解釈は演奏者それぞれ……でも、『カルメン』はオペラがある。明確で正しい物語が存在する。それに沿ったイメージで演奏するのが筋じゃない?」

「たまには型破りもいいと思って」

「型破り? ふざけるのもいい加減にして! そうらしくないよ。普段だったら楽譜に忠実じゃん! プロ並の演奏をしてるじゃんか! なんでなの⁉︎」

「……」

「……そうくん?」

 怪訝そうな表情をする彼女に、彼はなにも反応しない。思わず名前を呼ぶと、彼は一息ついてから、カフェオレを一口飲んだ。

「今回のコンサートは俺の演奏会じゃない」

「でもそうだって演奏してるじゃんッ!」

「俺はただのエキストラ。主役はしほりさんだ。でしゃばるような真似はしたくない」

「……」

 そうくんの意見を否定したくないが、私のことは認めたくない。私の目にはそんな心情に見えた。彼女は口を固く閉じ、チラリと私を睨みつける。

「しほりさんの作る音楽は〝人間〟そのものだから」

「はあ?」

「悲しい時は音も悲しくなる。楽しい時は音も楽しそうにしてるんだ」

「……へぇ」

 梶瑛かじあきさんは渋々納得してやるといった表情。やはり、彼女はそうくんの言う言葉を頭ごなしに否定したいわけじゃないらしい。

「子供が大人になるように、音楽も成長してるなぁと感じる日もある。どうしようもないくらい嬉しいことがあったのかなって、奏る音楽が踊ってるように聴こえた日もあった。その自由っぷりには感心したよ、本当に」

 ちらりと私を一瞥いちべつする。

 本当にそうくんは、あの日以外にも音楽室での私の演奏をずっと聴いてくれたんだ。そういえばこの前、私の演奏が面白いって言ってたの、こういうことだったのかな。

「最初は、ただ音が聴こえるなっていう程度だったのに、気づけば、毎日耳を傾けてた。今日はどんなふうに吹くんだろうって」

「……そう、まさか部活が終わってからも居残ってたの……?」整った眉がピクッと動く。

 バラしたらマズかったんだったと言わんばかりに、そうくんは焦った表情を見せた。一旦咳払いをして、間を置く。

「演奏が上手い人はいくらでもいるけど、人を惹きつけるような音楽ができる演奏家って、案外少ないよ」

 私の音楽を思い出しているかのように、穏やかな表情。

 静かに彼の話を聞いていた私に「ね」と笑いかけた。

 あまりの唐突なそうくんの行動に、思わず赤面する。その仕草が顔の良いそうくんだったからこそ破壊力が計り知れず、「んんっ⁉︎」と声が漏れてしまう。

「そんな人と一緒に演奏ができたら、今よりももっと楽しいんだろうなって。そう思い始めたら、どんな人が吹いてんだろうって興味が出てきちゃって」

 それで音楽室のドアの前にいたわけか。とても納得。ということは、音楽を聴いていたのは、それよりももっと前からなのか。

 彼は箱からチョコレートを出した。

「で、今回エキストラを進んで引き受けて、年増の音楽に合わせたってこと? 別にわざわざ演奏会じゃなくてもよかったじゃない」

「まあまあ。まずは梶瑛かじあきも一緒に吹いてみなって。吹けばわかる」

「マジ勘弁ッ‼︎」

 そんな青筋を数個も浮かべながら言わなくても、と私はしょんぼりした。

梶瑛かじあきが言った通り、プロからしたらあの演奏は悪い評価を受けるかもしれないけど、純粋に音楽を楽しめたんじゃないかな」

 箱の中から出てくる私達のチョコレート。甘い匂いが店内に広がる。

「音楽とは、音を楽しむと書く。俺もそれを実感したコンサートだったな」

「確かに中学の吹奏楽部で先生も先輩も、そう言ってたけど……じゃあ、あたしが間違ってるって言いたいわけ?」

 梶瑛かじあきさんが表情に影を落とす。

 私は口を開いた。

「ううん、間違ってないよ。きっと梶瑛かじあきさんが正解なんだと思う。作曲者の伝えたい思いや気持ちを表現することが音楽であって、ただ自由にやればいいってものじゃないもの」

 僅かに彼女の視線が和らいだように感じた。

「ただ『カルメン』だけはそうくんと同じ舞台で一緒に吹きたかった。そうくんは私の我が儘に付き合ってくれただけだよ」

「…………そうと一緒に吹きたいっていう気持ちはわかる」

 ぼそりと呟いた言葉は、上手く聞き取れなかった。

 私が聞き返すと、「うっさい、年増」と睨む。

 ぐさりと胸に突き刺さる言葉。胸が痛い。胸が。確かにあなたから見たら年増ですけれども、何度も言われるとガラスのハートが割れちゃいます。

 そうくんはチョコレートを食べながら周りを見渡した後、テーブル席の掃除を始めたアルバイトさんを振り返り、「渡す物があるんじゃないですか?」と小声で訊く。

 心がつらいので話しかける相手を変えようと、私はコーヒーサイフォンの手入れをしているマスターに話しかけた。

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