曲のイメージ



   ■ ■ ■



 私と夏希なつきは小学校時代からの友人関係。

 音楽系の学校を卒業したわけではないが、私はフルート奏者として、ピアノ奏者の夏希なつきとタッグを組んだ。

 特に私は誰かに師事したことはなく、独学と夏希なつきのアドバイスをもらいながら、ソロのコンテストに出て結果を残してきた。

 ちなみに、夏希なつきはプロに師事しながら、教師を続けている。

 フルートは人気が高く、ライバルが多い。ただでさえフルート奏者が音楽の世界で厳しい中、私は仕事をしながら、フルートの演奏活動をしている。

 アマチュアであり、独学の私がどこまで音楽の世界で名を残せるか、夏希なつきに助けてもらいながら挑戦している真っ最中。

 私にはフルートくらいしか自信が持てるものはないので、いつか音楽で生活ができたらいいなと思っている。

 現在は、秋のコンサートに向けて頑張っている。夏希なつきとお金を出し合った、二人のコンサート。少しずつ知名度も上がってきて、今年は初めての満員で、今まで以上に気合を入れている。

『クラシック好きの為のコンサート』をテーマにしている為、有名なものからマイナーなものまで用意してみた。

 そして、今から練習する曲は、ロドリーゴの『ある貴紳のための幻想曲 第2楽章エスパニョレータとナポリの騎兵隊のファンファーレ』。

 ギターと管楽器のための協奏曲。

 初めてこの曲を聴いた時のイメージはだった。苦しさもある。言い換えれば、絶望に近いのかもしれない。でも、希望がある。光のような小さな希望が。

 さあ、その希望の光を掴みに行こう。

 そう思った時だった。夏希なつきの弾く手が止まった。

「しほり」

 少しムッとした表情。これは怒られるパターンだ。

「……はい」

「似たようなフレーズを繰り返すでしょ? 同じ吹き方じゃあ、聴いてる方は変化がなくてつまんないよ」

 やっぱり、それ言っちゃいます?

「はい、わかってます」

「ピアノも同じリズムなわけよ。こんなに何回も同じメロディがあって、ただ音域が変わっただけじゃあ済まされないでしょうが」

「はい」

 ごもっともです。

「イメージ、少し弱いんじゃない?」

「……イメージ、かぁ。大体は決めてるんだよ? ロドリーゴの時代背景から、内紛でつらい思いをしている中、希望の光を……」

「つらい思いって、例えば?」

 彼女の追求の眼差しは緩まない。

「えっと、貧困してたらしいから、お腹空いたとか」

「他は?」

「他はー……うーん」

 大体のイメージはある。でも、細かいところは決めていない。

 夏希なつきは、別に内容はどうでもいいのだ。彼女が言いたいのは、漫画や小説の物語が移りゆくように、音楽も常に変化している。その変化が足りない、そう言いたいだけ。

 言葉に詰まっていると、夏希なつきはわかりやすく溜息を吐いた。

「アンタさぁ、本番がもう少し後だからって気を抜かないでよね。生徒みたいに合わせる時間は多くないんだから」

「わかってますよー」

「『アランフェス協奏曲』の方が良かったかなー」とつい呟いてしまい、夏希なつきは「そういう問題じゃない!」と頭を叩いてきた。

「しほり、なにかあった?」

 ドキ。

「え、なんで?」

 出来る限り平静を装う。だが、夏希なつきの訝しむ視線は変わらない。

「アンタが悩んでたり、嫌なことがあったら、顔も出るけど、演奏にも出る。素直に出る。誰よりも出る」

「そんなに言わなくても……」

 落ち込むから言わないで。

 昨日の夜は言わずに、母の小言の話だけでいいや。

「お母さんだよ。いつもいつも彼氏とかいないのか? ていう話。老後の面倒を見なさいよって、勝手に言われちゃってさ。嫌になっちゃう」

「本当にそれだけ?」

「はい」

 思わず否定しそうになったが、ぐっと首元まで登ってきた言葉を飲み込む。

「ど、どこでわかったの? その、なにかあったって、気づいたの」

 恐る恐る訊いてみると、夏希なつきは未だに怪しむ視線を止めないまま、『カヴァレリア・ルスティカーナ』を弾き始める。暗譜しているようだ。

「最初のピッチ合わせ」

 何度も演奏してきたのだろう。指を動かしたまま、そう言った。

「始めからじゃん」

 夏希なつきとの付き合いは長い。だから、音合わせの時に、ピッチは合っているが、ぶら下がり気味だと言ったのだろう。奏者である私のテンションが低いから、フルートは素直に音で表してしまった。

 私はフルートを縦に抱き、夏希なつきの演奏に耳を傾ける。そんな様子に、彼女は眉をハの字に寄せた。

「なにしてんの」

夏希なつきのピアノ、聴いてるの」

「そんな暇ないでしょ?」

「だって、弾いてるからさー」

「あたしはアンタと違って、体を動かしてないと落ち着かないのよ」

「焦ってる?」

「焦り……とは違うね」

 夏希なつきは曲の中に強弱をつける。落ち着いて、静かになったと思ったら、次のフレーズから音をハッキリ弾き、雰囲気が一転した。

 彼女はニヤリと笑う。

「アンタの〝本気〟と早く合わせたいだけよ」

 上半身を曲の感情に合わせて揺らす。顔の表情も、両腕の力の入れ加減も、曲の構造とフレーズ、そして伝えたい想いを計算して変化する。

 彼女のプロとしての顔、それを目の当たりにして少し面食らう。そう言われるとは思わなくて。

 こんなプロの演奏家にそう言わせるということは、私の演奏は捨てたものじゃない。そう捉えていいんだよね。

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