第39話 職人

 快晴とは真逆のおどろおどろしい空の下。遥か遠い稜線まで続く暗色の地平には、見ただけで嫌悪感を抱く表面の岩と木立が点在する。そんな悪夢のような景色を背景にして、剣や鎧といったファンタジー風の装備を身につけた七人組が並ぶ。

 エンカウントが起きていた。


 だが今回巻き込まれた彼らの反応は、それにしては少々変わったものだった。


「よしっ! 運がいいぞっ!」


 辺りを見渡した人影が喜びを叫びながら大きくガッツポーズ。おぞましい魔界の荒野に生まれた明るい声は、更に幾つもの歓声を重ねていく。

 その主である七人の男達は、全員いい年齢をした大人の外見だが自重もせずはしゃいでいた。まるで目当ての玩具を前にして興奮した子供のように。


 だがそれでも今はエンカウント中。

 当然、男達の前には魔物がいた。風船のように浮かぶ丸く膨らんだ体に手足の生えた、奇妙で滑稽な形。ただし異形の顔つきには魔物らしい敵意と狂暴性が満ちていた。

 それに対処すべく、初めに声を出したリーダーらしき男が指示を出す。


「いつも通り抑えは頼んだ! なるべく持たせてくれ!」

「分かってる!」

「おう、任せとけ!」


 意気揚々と応えたのは仲間内でも重武装の二人。左右に別れて走り、挟み込む形で魔物に接近していく。

 それを異形は迎え撃つ。宙に浮く魔物は手足で空気を押し出す事で前進。牙を剥いて右側の男に突進した。

 鈍い衝突音。

 狙われた彼は腰を落として構えた盾で体当たりを防いでいた。そこに魔物の背後からもう一人が加わり、そのまま両側から挟んで潰すように押さえ込む。

 力ずくで身動きを封じたのだ。

 それでも抵抗は続く。手足を振り回し牙を突き立てようとする魔物。暴れるそれに対し、二人は防御するのみ。反撃もせずただ耐えていた。

 仲間の援護を信じて自分の役割に徹するように。

 それは普通のエンカウントにおける模範的な戦闘の形だ。


 だがまたしても、今回の戦士達の反応は違っていた。

 懸命に戦う彼らをよそに、リーダーは反対方向を向いて剣を地面に突き立てる。


「さあポイントはここだ! 皆散れ!」


 その号令を合図にして、残る男達は一度剣の下へ集まり、そこからそれぞれの行動を開始した。

 まずリーダー以外の四人はバラバラの方向に別れて歩いていく。ある者はヘドロめいた表面の岩に、ある者は腐食したような木立に向かって。それも奇妙な事に、四人とも正確に一定の歩幅を守っている。

 彼らは目的の物にぶつかると、辺りを確認するように見回してからなにやら数字を地面に書いた。そしてまた歩き出し、ぶつかれば止まってメモ。それをひたすら繰り返していく。


 リーダーは剣を突き立てた場所にいた。遠くに見える山々の稜線の高さと剣の柄を見比べ、やはり地面に数字を記す。それから数歩離れて同じように見比べ、また数字を書いた。


 五人がしているのは、エンカウント中らしからぬ魔物を完全に無視した奇妙な行動。とはいえ誰もが真剣な面持ちをしており、黙々と取り組む姿からは情熱すら感じられる。単なる奇行とは言い難い張り詰めた空気があった。


 ただやはり、そんな時間にも終わりが来る。

 地面の数字を難しい顔で睨んでいたリーダーの下に、焦りで揺れた声の報告が届く。


「すまん! そろそろ限界だ!」

「情けないが終わる準備を頼む!」


 戦っていた二人の全身からは負傷と疲労が見てとれた。

 だが表情からは、それよりも無力さを悔やむ気持ちの方が大きく感じられた。自分達だけが辛い思いを。そのような不公平を恨む感情は皆無である。


「気にするな、無理はしなくていい! お前らはよくやってくれた!」


 作業を止めたリーダーは戦士を厚く労った。そして次に散った仲間達へと呼びかける。


「聞いた通りだ皆! 結果は覚えたか!?」


 間もない内に全員から肯定の返答。

 彼らが終わる準備とやらをスムーズにこなしたのだと確認し、リーダーは新たな指示を出す。


「こっちは大丈夫だ! もういいぞ!」


 それを受けた二人は戦斧と戦鎚を勇ましく構えた。放置されていた二つの武器が、ようやくその役目を全うする。 

 狂暴そうな顔面へ両側から衝撃。叩き込まれた重い鋼鉄が、敵意ある異形を潰し砕く。

 致命傷を与えられた魔物はしぼんで重力に逆らう力を無くし、まるで割れた風船のように墜落した。


 その最後だけは、普通のエンカウントとなんら変わらないものだった。






 軽快な音が途切れる事なく響いている。

 そこは窮屈な部屋だった。狭い中に無理矢理並べられた七つの机と、その上のパソコン。ほぼそれだけの空間である。


 キーボードを忙しなく叩く男達はエンカウントを終えたばかりの七人だ。なのに心を休めもせず、帰還直後から今の作業に取りかかっていた。

 魔界の時と同じく、誰もが真剣な顔で近寄りがたい雰囲気すら放っている。


 その顔が、目を見開いて固まった。リーダーの手はキーボードを叩くのを止めて震えている。

 そして彼はエンカウントで最初に出したもの以上の大声をあげた。


「お……おおおっ! 一つ、繋がったぞっ!」


 リーダーに呼応して仲間の嬉しそうな歓声が狭い室内に響く。完全に羽目を外した、近所迷惑を考慮しないものだった。


 その理由はパソコンの画面に表示される図だ。

 岩や木立の大きさや配置、中心に設定した地点からの山岳までの距離。今回のエンカウントで移動させられた先の地形が、正方形に区切られた範囲で正確に再現されていた。


 男達が作っているそれは――魔界の地図。

 過去に測量した地形の一部と今回測量した岩の配置がピッタリ重なり、ジグソーパズルのように地図が広がったのだった。

 それは滅多にない機会の中で少しずつ少しずつ進めてきた測量の、目に見える進歩。

 祝杯だなんだと騒ぎ立てるのも無理のない快挙なのだ。彼らにとっては。


 エンカウントの最中に魔界の地形を測量し、その結果をインターネット上のサイトに纏め公開する。その場所で交戦した魔物の特徴も併せて細かく記す。その為の作業が七人組の奇行の真相だった。

 真剣に取り組んでいる、彼らの趣味である。


 ただそれは言葉にすれば簡単だが、実行するには相当に困難だ。

 魔界には測量器具どころか筆記用具すら持ち込みは不可能。更に持ち帰り出来るのは記憶だけ。歩測などの単純な方法で測量し、その数値を記憶力を頼りに覚えて帰るしかないのだ。

 それを可能にしているのは、ひとえに並々ならぬ――どんな苦労をも上回る情熱のおかげ。

 この部屋に集まった彼らは、そんな他人からすれば骨折り損のくたびれ儲けでしかない活動を生き甲斐にする物好きの集まりだった。




 後に同士が増えていく彼らの活動が実を結ぶのは、まだまだ遥かに遠い未来の話である。

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