第32話 外道(前編)

 潮山しおやま千次せんじは街中の大通りを歩いていた。

 周囲には少なくない数の人間が流れており、平均より頭一つ分は高い長身の彼を注目する者は多かった。

 ただし千次自身が見ているのは、そして誰に注目されても目を離さないでいるのは、たったの一人。


枯村こむら軍毅ぐんき……!」


 彼はその顔を憎悪で醜く染め、憎々しげに呟いた。

 決して忘れはしない、「彼女」を奪った仇敵の名前を。




 それは、半年近く前のエンカウント中に起きた出来事だった。


 その日は休日。千次は高校からの付き合いである彼女と一緒だった。大学は違っていたので、貴重な二人の時間である。

 だから、いいところを見せようと張り切っていたのかもしれない。

 同行者を完全に無視し、単独で突っ走ったのだ。それは危険で、愚かで、そして後々後悔し続ける事になる行動だった。


 一人でも無事に魔物を倒せた千次は、これで二人の時間に戻れると、後ろにいた彼女へ振り返る。 


「終わったぞ! これ、で……?」


 喜ばしい勝利の報告は、しかしその途中で驚愕と疑問に呑み込まれた。

 彼女の胸に、先の平たい刃が生えていたからだ。横腹から入り込み、肉体を裂いて中心近くまで切り進んだ凶器が。


「潮、山……」

「え……は……?」


 何故?


 石像のように固まる千次は突然の事態に全くついていけていなかった。

 魔物は倒れ、危険は排除されたのだ。なのに何故こんな事になっているのか。

 魔物に攻撃されたのだとしたら、やはりなかなか受け入れられずに呆然としただろうが、納得は出来たはずだ。


 混乱する千次が我に返ったのは更に状況が動いてからだった。

 刃が引っ込み、彼女の体が力なく崩れたのだ。それを見た千次は反射的に飛び出し、優しく抱えこむ。

 彼の腕の中、瀕死の彼女が出したのはとても弱々しい声だった。それこそ生気の感じられない、死にゆく者のような。


「あたし、が……ても、も――」


 その先は聞こえなかった。

 唇は喋っているように動いているものの、声は発されない。そして、口の動きから言葉を読み取る術など千次は身に付けていないし、彼女との間柄であっても心を読むなど不可能。

 だから、千次には分からなかった。

 彼女の、最期の言葉だったというのに。


「枯村軍毅」


 代わりに聞こえたのは、何者かの名前だった。

 聞かねばならないと直感した千次は、ガバッと弾かれたように顔をあげる。

 そこにはいかにも悪人らしい薄笑いを浮かべる男が立っていた。

 つい先程まで彼女が立っていた場所の真後ろに当たる位置に。つい先程見た刃を見せつけるように持って。


「よぉく覚えておけよ。手前テメエの女を殺した、仇の名前だ」


 その男の挑戦的な悪意が、思い違いや早とちりでない事を証明していた。

 彼こそが彼女を殺した、張本人だと。


 魔界から元の場所に戻ると、男の姿は消えていた。だが探しに行く余裕はない。

 それよりも、優先すべき事がすぐ隣にある。

 力を失って倒れる彼女。慌てて支えた体は既に何もかも動いておらず、冷たくなっていた。

 残酷に繰り返された、二度目の喪失。周りの風景と服装が違う事で、この哀しみと憎しみが現実の物なのだと思い知った。

 彼女はもう、いないのだ。

 小柄な亡骸を愛しく抱え、千次は誓う。


「……絶対、仇は取るからな……!」


 その為に殺人者の容姿と発言の全てを覚え、脳と胸に深く強く刻みこんだ。


 エンカウント中の殺人は、彼女の件が唯一の話ではない。以前起きたそのニュースは大きく報じられていた。

 だが、その犯人は重い罰を受けなかった。

 エンカウントのシステム的に、物的証拠は絶対に残らない。そもそも法律はあんな特殊な状況下に適応していない。

 よって現行の刑法では裁くのが難しかったのだ。

 これも千次が自らの手を汚そうと決意した理由の一つである。

 とはいえこれは、あくまで理由の一つ。そんな事情が無くても千次は自らの手を汚す事を決意していただろう。

 この手で裁きを下さなければ、気が済まないのだから。


 だから、その日を境に千次の生き方は変わった。

 通っていた大学には行かなくなり、ほぼ全ての時間を復讐の準備に費やすようになったのだ。

 エンカウントでは積極的に危ない役割に身を投じ、こちら側では格闘技に没頭し、そうして技術と度胸を磨く。必ず目的を果たせるように、考えられる手は全て打った。


 そうして自信を得た千次は名前と容姿から相手の居場所を突き止め、遂に決行に及んだのだ。






「少し、話そうぜ。ここなら邪魔は入らねェ」


 仇の男が世間話のような調子でそう言ったのは、放置された廃屋に無断で入り込んだ後だった。

 どんどん街の中心から離れていくので薄々思っていたが、やはり尾行には気づかれていたらしい。

 あの時わざわざ名乗ったくらいだ。向こうもこういう展開を望んでいたのだろう。


 ただ、相手の思惑はともかく千次の方に話す事などなかった。当然だ。今すぐにでも消えてほしい存在なのだから。

 入り口から鬼気迫る形相で見張るだけで、沈黙を貫く。

 それでも軍毅はあくまで気安く、まるで友人に対するように話し始めた。


「どうせエンカウントまで待つんだろ? 暇なら有意義に潰そうぜ。それともコッチでやりあうか? コソコソしてる野郎にんな度胸あるたァ思えねェが」


 千次はあからさまな挑発にも動じない。無言のまま険しい目つきで睨み続ける。

 そんな反応に対して、殺人鬼は不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「つまらねェ野郎だな。仕方ねェ。俺一人で勝手に喋ってるぜ」


 思惑があるのか、ただ黙っていられない性分なのか、男の態度からはいまいち読み取れない。だが、どちらにせよ無関心を貫く事を決めた千次。

 彼に尋ねる形で、話題は提示された。


「魔王って奴ァどう思う?」

「…………」

「俺ァな。なかなか気に入ってんだ。最高の刺激だよ。今までの人生はなんだったんだ、ってくれェだ。……ただ、一個だけ。奴とは合わねェとこがあんだけどな」


 千次が無視しようと、宣言通り軍毅は勝手に喋る。その内容にはやはり、常人らしからぬ忌避すべき悪意があった。

 それでも聞いてしまう。耳を傾けてしまう。

 不快な思いをすると分かっているのに、闇の中、明るい炎に誘いこまれるように。


「どう考えたって……殺し合い、ってのァ、見るより実際にやる方が楽しいだろう?」


 それを聞いた瞬間。千次の顔に青筋が浮き、目が血走った。理性の蓋が弾け飛ぶのを感じた。

 激昂。

 本気で狂った殺人者だと理解して、とうとう堪えきれなくなったのだった。


「ふざっけんなっ!」

「お? なんだやっぱお話してくれんのか?」


 千次が反応した事で、軍毅はあからさまに機嫌が良くなった。どこまでもふざけている。

 勿論千次の方は更に怒りを募らせていくばかりだ。


「あんな事のなにが『楽しい』だっ!?」

「なぁに言ってんだ? 手前の事は棚上げして。なんでここまでついてきたんだ? 手前だって殺し合いしてェからだろうが!」

「違う、復讐を彼女が望んでいるからだ!」

「……へえ。そうかい。女の方がねェ」


 千次の力強い否定に、軍毅はニヤニヤとした悪趣味な笑いを返してきた。含みのある言い方も神経を逆撫でする。

 だから千次は冷静さを保てない。完全に相手のペースに乗せられていた。


「……なんで、彼女だった?」


 これは本来なら訊くつもりはなかった質問だ。

 どうせ大した理由ではないのだから。どうせ余計に憎しみが増すだけなのだから。

 なのに、理性を上回った衝動が勝手に口を動かしていた。


 問いかけられた軍毅は満足げに笑う。まるで、ずっとこの問いを待ち望んでいたかのように。


「俺ァな、鼻がきくんだよ。同類と、同類になりそうな奴ってのが分かるんだ」

「……何の、話だ?」

「だから、テメエだよ」


 本気で意味を理解できない千次に、ピンと真っ直ぐ指がつきつけられた。

 そして殺人鬼は残酷な理由さえもつきつけてくる。


「テメエが。連れが殺された時。泣き寝入りしねぇで、ちゃんと敵討ちに来てくれそうな人間だったからだ。……ホラ見ろ、大当たりじゃねェか!」


 吠える獣が主張したのは、千次にとって理解不能な理屈。

 今までの発言から考えるに、本気で殺そうとしてくる相手と本気で戦い、返り討ちにしたい。そういう事だろうか。


 なんだその理由は。


 千次はただ一つの感情に支配された。怒りなんて生易しいものではない。

 憤怒、激情。そんな言葉でも足りない程の、熱の奔流。

 熱く、息苦しい。頭が、心が、全身が沸騰したようだ。


 だが、まだ行動に移してはいけない。

 歯が砕けんばかりに噛み締め、暴走しそうになる手をもう片方で抑える。未だ冷静な部分が残っているのは奇跡に思えた。

 到底我慢などできない。だから、せめて言葉だけでも。

 込められるだけの憎悪を声に込め、千次は仇に叩きつけた。


「外道が。地獄に落ちろ!」

「は。温い事言ってんじゃねェ。ガッカリさせんな」


 強烈な憎しみにも、軍毅は即座に嘲笑をもって対応した。

 そこから二人は無言で、激しく睨み合う。

 バチバチと火花散る緊張感の中――


 そしてエンカウントが起きた。







 汚く暗くおぞましく、まるで地獄のような魔界。ここはまさしく外道に相応しい死に場所だった。

 だから千次はここでの決着を選んだのだ。


 ここでの千次は肩や胸など部分的に金属鎧を身に付けており、二刀のナイフを持っていた。

 憎き男は革と布の身軽な装備に、鉈や包丁のような大振りの平たい刃物。記憶に焼き付いた姿だ。


 それから、もう一つの影。魔物は不気味な骨格と毛色をしているが、熊に近いものだった。

 この魔物がいる以上、一対一とはいかない。

 敵の両者を注意深く警戒する千次。


「あ?」


 その彼が不覚にも呆けた声をあげてしまった。

 すぐにでも戦いを仕掛けてくると思っていた殺人者が、魔物の方へ走っていったからだ。

 直前までの発言とこの行動は食い違う。一体どういうつもりなのか。


 意図を推測しようとする千次の前で――その行為は始まる。


 向かってくる軍毅に反応して、魔物は二足で立つと凶悪な爪の生えた腕を振るった。

 凶悪な一撃との交錯。

 その直前、軍毅は右足を軸に回転した。流れるような動作で容易く爪を避ける。

 そして回転の勢いを乗せた攻撃で、魔物の左腕を肩口から斬り飛ばした。

 次に、そのまま振り抜いたナイフを追い抜くように地面を蹴り、猛進。鈍い輝きが再び閃く。

 今度は右腕が魔物の体から離れて落下した。

 怒りに満ちた魔物の唸り声が響く。牙の揃った口を開け、噛み殺そうと獲物を追う巨体。

 反転した軍毅はそれさえも容易く避けると、すれ違い様に得物の峰で魔物の後頭部を殴打する。

 その衝撃に対して後ろ足だけでは重い体を支えられず、無様に地に倒れる魔物。

 そこにドカッと足が乗る。腰の辺りを踏みつけた軍毅は、最後に両脚を容赦なく切断した。


 あまりに一方的なそれは、戦いとは呼べない何かだった。

 千次が倒すべき男は、あっという間に、しかも無傷で魔物の四肢を刈り取ってしまったのだ。

 魔物を圧倒した軍毅は千次の方へ向き直ると、ナイフをくるくると弄びながらニヤリと笑う。


「これで、邪魔は片付いた」


 千次はその台詞から意図を理解し、戦慄する。

 魔物を倒せばエンカウントは終わってしまうし、放置しておけば「殺し合い」の邪魔になる。

 だから、文字通り手も足も出ない状態にしたのだ。


 ゾクリ。千次の体に悪寒が走る。

 奴は本物の狂人だ。魔物より遥かに危険で、常識から離れた存在だ。今更ながら理解した。


 熱が冷めていく彼に反し、前に立つ男は益々機嫌を良くしていく。狂気的な笑みを浮かべて、心からの楽しそうな声で、待ちかねていたように始まりを宣言するのだ。


「さァ思う存分っ、楽しもうじゃねェかッ!」

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