第24話 楽天家(前編)

 静かな美術室に、かすかな音が響いていた。


 それは紙の上を鉛筆が走る音。

 モデルを見て迷いなく、紙の上に新たなモノを形作る。

 白から黒へ。無数の線を重ねていき、陰影を濃くする。

 勿論完成した絵は好きだけど、こうして徐々に絵となっていく過程もボクは好きだった。


 ボクは高校の美術部員だ。

 今は石膏デッサン中。いつもは校内の風景を描いていたんだけど、最近人物画を描いてみたくなったので基本から練習している。

 だけど、やっぱり難しい。

 ここ数日はずっと経験が足りないと実感している。満足いく出来にするにはまだまだ時間がかかりそうだった。


 そろそろ部活も終わりの時間。続けたい気持ちはあるけど、今日のところはひとまず片付けないといけない。

 とはいっても、勝手に延長して中々帰らず怒られる先輩は多かったりする。今日ももう終わりの時間なのに、外へ風景や部活中の人を描きにいっている人達が帰ってきていなかった。

 この学校の美術部は本当に自由な部だと思う。


「おお、ジョニー。カトリーヌから引き離して悪かったね。でももう今日は終わりだからね。モデルになってくれて感謝してるんだよ。ありがとう」


 ボクはモデルを労いつつ元の位置へ戻す。そこそこの力仕事だけどこのくらいなら簡単だ。描かせてもらったんだから自分でやるべき責任がある。

 ただ、その途中、後ろから物音。そして冷ややかな声が聞こえてきた。


「何やってんのポチ川……」

「あ、帰ってきたんだね。天音さん」


 声をかけてきたのはよく知る女の子だった。

 蒲生がもう天音あまねさん。同じ学年なのに、落ち着いていて凄く大人っぽい。いわゆるクールビューティという感じの女の子だ。

 前はいつも一人でいて他人を避けている節があったけど、最近は割とよく話してくれる。自分から絵のアドバイスを求めるようにもなっていた。見せてはくれないけど頑張っているみたいだった。

 時期的に考えると、先日あったとある一件が変化のきっかけみたいだ。ボクの行動で良い方向に変わったのなら嬉しいと思う。


 ちなみにポチ川というのは天音さんがボクに付けたアダ名だ。彼女いわく「飼い主の言う事を聞かないバカ犬みたいだから」らしい。

 キツい悪口みたいだけど、遠慮がないのはそれだけ気を許してくれているという事だろう。


 その天音さんだけど、何故だか顔が物凄くひきつっている。まるで理解出来ない奇行を目にしたかのような表情だ。

 一体何が不思議なのだろう。

 首をかしげていると、天音さんは冷たく言葉を重ねてきた。


「前々からおかしいと思ってたけど、まさか石膏像と話すまでとは思ってなかったわ」


 ああ、なんだその事か。

 天音さんは今まで部でも一人でいる事が多かったから、知らないみたいだ。確かに外から見たら少しおかしいかもしれない。

 納得したボクは説明を始める。


「彼はジョニーだよ。美術室を守ってくれる守護神なんだ」

「ごめん。全然意味が解らない」

「だからね、ジョニーっていうのはずっと前の先輩から十何年も引き継がれてきた名前なんだよ。ちなみにあっちの髪が長くて右を向いてるのがカトリーヌ。下向きなのがピエール。代々の美術部員は皆お世話になってきたんだ」


 ボクは天音さんへ、順々に指し示しながら紹介していった。本当はもっと詳しく説明したかったけど、時間が時間なので省略するしかないのが残念。

 でも、これで天音さんにもこの部の伝統を分かってもらえたはず。


 だと思っていたのに、天音さんの顔はまだ未知の何物かを見ているようなものだった。


「うんだから? 名前と設定があるからって石膏像と話すのが正当化されたりはしないわよ?」

「駄目だよ。石膏デッサンをした部員は皆挨拶するのがルールになってるんだから」

「そんな謎のしきたり絶対やらない」


 ほぼボクの言葉に重なるくらいの速さで拒絶した天音さん。

 キッパリした声と真っ直ぐな眼差しからは、いくら説得しても折れそうにない堅い意思を感じた。とても強そうな雰囲気は歴戦の勇士のそれだ。


 だからといってボクも簡単に引き下がりたくなかった。先輩とジョニー達の為にも。


「もっと親しみを持たないと失礼じゃないかな? 部長なんて漫画も描いてるんだよ。ジョニーとカトリーヌの純愛物なんだってさ」

「興味無いわ。アンタらだけで読んでれば?」

「あ、ボクは読んでないよ。『ドロッドロの愛憎劇だからお前にはまだ早い』って部長に言われたから」

「アンタってこの部じゃマトモな方だったのね」


 天音さんからは、冷たいを通り越した鋭く刺さってくるような声をつきつけられた。

 見下したり馬鹿にしたりは感じない。ただ純粋な事実をつきつけているだけ。そういった様子。

 この言い方だとまるでこの部には変な人しかいないみたいじゃないか。


 そう反論したかったんだけど、唐突に強制的な邪魔が入ってきてしまった。






 周りは個性的な色使いの景色。暗くて不気味で、落ち着かなくなるような不安定さに満ちている。

 ボクは魔界にいた。天音さんも一緒だ。偶然美術室で話している時にエンカウントが起きたから。

 ほとんどの人には理解されないけど、やっぱりこの独特な感じは好きだ。表現の幅を広げる為にも見ておいて損はない。


 現れた魔物は角が生えた馬みたいな見た目だった。

 流れるたてがみはサラサラしていて、銀色の毛並みは美しい。その一方で瞳はドロドロと濁り、角は禍々しくねじれている。ユニコーンらしい神々しさと、魔物らしいおぞましさが同居していた。

 珍しくて印象的で、モデルとして魅力的に感じられる。

 紙も鉛筆も持ち込めないのが惜しい。せめてよく覚えておこうと思う。


 その為にも戦って勝たないと。


 ボクはM字に曲がった弓を持っていて、天音さんは小さめのナイフを何本か持っている。

 どちらも革の装備で比較的軽装。魔物を引き付けたりするのに向いていない。

 簡単には勝てないと思う。

 だからひとまずボクは、頼りがいのあるクールビューティに相談する。


「天音さん、どうしようか?」

「……アンタはとにかく矢を射ってればいいわ」


 天音さんからはそれきりで、詳しくは話してくれなかった。

 それでも何か考えがあるみたいだ。流石は歴戦の勇士の雰囲気を持つだけあって頼りになる。


 だからボクはボクの仕事を。

 とりあえずは先制攻撃。言われた通りに矢を放った。連続して二発。

 狙いに従い、魔物の顔へと飛ぶ。

 だけど、魔物が首を振っただけで二本とも角で弾かれてしまった。角は堅いようでダメージのある様子はない。


「それなら……」


 弓の角度や引く力を調整。

 少し山なりに飛んでいき、角の届かない位置を通り背中に刺さった。悲鳴らしい苦しげな鳴き声があがる。


 でもそれで限界。

 魔物との距離はもうほとんど残っていない。狙える余裕がなかった。


「天音さん? 逃げないの?」


 後ろ向きに離れるボクとは反対に、天音さんは魔物の方へ歩いていく。心配になるくらい、ゆっくりと。

 そして更に近付き、突進は目前。

 そこでも天音さんは逃げなかった。逆に、斜め前へと踏み込む。

 それもこれ以上はないという完璧な、一歩間違えば危険なギリギリのタイミングで。

 右に避けた天音さんは魔物自身の勢いを利用し、構えたナイフで胴を切っていた。


 そして聞こえたのは不穏ないななき。怒りを感じる、奇怪な声だ。

 魔物は通りすぎるも、反転して天音さんへ突進していく。獲物と定めたみたいに。

 天音さんは恐れず動じず、淡々と踏み込んだ。


 そこから本格的に戦いが始まった。

 天音さんは常に動き、魔物側面の位置を維持している。

 馬に似てるという事は、横にいれば蹴られる危険が少ない。角にも当たりにくいだろう。そう考えれば理にかなっている。

 実際体当たりされたり角がかすったりと、ヒヤヒヤする場面はあっても危ない攻撃は避けられていた。そして着実にナイフで切りつけていく。

 淡々と、まるで単純な作業でもするように。一切何も感じていないかのように。


 流れるように華麗で、洗練された動きは格好良くて。

 だけど、何処か危なっかしくてボクの方が怖くなるような戦い振りだった。






「やったね、天音さん!」


 戦いが終わり、風景は戻って美術室。

 ボクはハイタッチをしようと手を高く上げる。

 無事に勝利できた喜びを分かち合いたかったから。そしてそれ以上に、あんな危険な雰囲気から早く遠ざけたかっからだ。


 だけど天音さんはフイッと顔を背けてしまう。


「やらないわよ、そんな事」

「やらないの? 最近仲良くなれた気がしてたのに」

「それとこれとは話が別よ。そういう気分になれないの」

「勝ったんだよ? もっと喜んだり嬉しそうにしないの?」

「当たり前じゃない。こんな事、いちいち喜ぶようなものじゃないわ」

「……そっか、残念。天音さんにはまた笑って欲しいと思ってたんだけどな」


 ボクがそう言うと、そっぽを向いていた天音さんがこちらを見た。見るというより睨んでいた。

 その顔はとても嫌そうな表情だった。


「なにそれ。私を馬鹿にしたいの? 奇行を笑いたいの? あの時の事を思い出させないでくれる?」

「えっ? 馬鹿になんてしてないし、忘れるなんてとんでもないよ。笑った天音さんは凄く魅力的だったんだから!」


 ボクは天音さんの思い違いを訂正する。本人にも気持ちが伝わるよう、力を込めて。

 だけど天音さんは沈黙して、目付きをより鋭くする。それから不機嫌そうに思わぬ言葉を返してきた。


「……は? なにそれ、口説いてるの?」

「口説く? そんなつもりはないよ。ボクはただ、魅力的だからモデルになってほしいだけだよ? そういう意味なら確かに口説いてるけど」

「……モデルって、絵の? ……ああ、だから最近石膏デッサンしてたの」

「そうだよ。空の絵も好きだし描きたいけど、天音さんも同じくらい描きたいんだよ。その為に人の顔を描く練習してたんだ」


 なりゆきで言ってしまったので、ボクは最後まで言った。


 あの日以来、天音さんの絵を描きたいと思っていた。

 人物画は描いてなかったのに。今まで誰を見ても描きたいとは思わなかったのに。どうしても描きたくて堪らなくなっていた。

 天音さんが初めて描きたいと思った人だった。


 だから改めてお願いする。


「引き受けてくれる? あの時みたいな笑顔を描かせてくると嬉しいんだけどな」

「無理よ」


 一瞬の即答。

 断固とした強い意思での否定で、実に天音さんらしいものだ。

 だけど、今の返事には気になるところがあった。

 強めの口調で問いただす。


「嫌じゃなくて無理? どういう事なの?」

「ええ。ただのモデルならともかく、さっき言ってたのは無理よ。だって笑えないもの」

「……笑えない?」


 心配になるような事を言われた。

 確かに天音さんの笑顔はあれ以来見ていない。前よりは和らいだけど、冷たい雰囲気の時が多かった。


「言っておくけどね、あの時の絵には感謝してるのよ。もう世界には絶望しかないなんて言わないわ。でもね、問題は世界じゃないのよ。私なの」

「天音、さん……?」


 ボクは言葉をつまらせる。

 天音さんにそれだけの変化があったから。

 不機嫌そうだった顔から、苦しそうな顔に。耐えがたい苦痛に必死で抵抗している、こちらにまで苦しみが伝わってくる、そんな顔に。


「世界が変わっても、私は全然変われないのよ。いつ死んでもいいと思ってる人間のままなの。自分であの時みたいに明るい絵を描こうとしてもね、どうしたって暗くしちゃうのよ。うわべを取り繕ってるだけのちっぽけな人間だから」


 天音さんはその言葉を証明するように、スケッチブックを乱暴に開いた。

 見せてくれたそれは、魔界みたいな絵だった。どの絵も暗く不気味。

 そしてそれ以上に雑だった。何度も何度も塗り直した跡がある。一度描いてから、それを全力で否定したみたいに。

 そういった絵が何枚も、スケッチブックを開く限り続いていた。

 そこから読み取れるのは、深刻な葛藤だ。


「そんなみじめな自分が嫌いなのよ。ついでに全然追いつけないアンタも。だから……魅力的だとか、そんな事はもう言わないでくれる? 余計苦しくなるから」

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