第2話 遭遇者

「んん〜……」


 太陽がまだ低い位置にある早朝。

 学生服を着た少年が人影の少ない街中を歩いていた。身長に比べ、やや幼さの残る顔立ち。髪型や着こなしから真面目そうな雰囲気を受ける。

 彼の名前は初馬はつまといった。

 所属する高校の野球部で朝練がある為に、早起きして学校に向かっているのである。

 ただ、彼は爽やかな朝に反して渋い顔をしていた。足取りも心なしか重い。気がかりな事がある様子だった。


 そんな彼に、背後から元気な声がかかった。


「よっす、初馬!」

「お、辰也たつやか。お前がギリギリじゃないなんて珍しいな」

「あー……まあ、な。たまにそんな気分になる日もあんだよ」

「なんだそりゃ」


 初馬に声をかけたのは、友人であり部活仲間でもある辰也。

 髪を逆立て、初馬と同じ学生服をだらしなく着崩している。初馬とは対照的に不真面目な雰囲気を持っていた。


 二人の少年は挨拶を交わすと並んで歩き出す。そしてすぐに、初馬へと質問が投げられた。


「それよりどうしたんだ? なんか悩みでもあんのか?」

「いや、それがさ、昨日変な夢見たんだよ。それが妙に夢っぽくなくて、なんか気になってさ」

「……夢? どんな?」

「なんか気味悪い場所で魔界がどうとか魔物がどうとか、って言うやつ」


 初馬がそう言った途端、辰也の顔色が変わった。

 軽薄な色がなりを潜めた、真剣な男の顔つきへと。


「……お前も?」

「も? って……え、もしかして、辰也も同じ夢見たのか?」

「……ああ、多分。というか、だったらあれは夢じゃない……んだろ」

「本物の、魔界の王……?」


 初馬の呟きは、普段ならば真面目に相手される事のない冗談めいた内容。

 だが今は、とても笑い飛ばせるものではなかった。


「どう、思う? 命を賭した殺し合いとか言ってたよな」

「どう思う、ってお前。まさか、あの話が現実に起こると思ってんのかよ……?」


 辰也が返した問いかけに、初馬は答えなかった。いや、答えられなかった。

 それは辰也自身も同様。答えを促すのも、新たな問いかけもできないでいた。


 重い沈黙が満ち、痛みを錯覚する程空気が張りつめる。

 先の見えない闇めいた不安が二人を包んだ。歩みは止まり、時間すらも止まってしまったように思えた。


「「……っ!?」」


 だが、そうして止まった時間の針は、突然生じた浮遊感によって無理矢理動かされたのだった。






 二人が擬似的な空中浮遊、落ち着かない感覚を体験したのは一瞬だけ。すぐ地に足が着き、その事実に安堵する。

 が、次の瞬間、両者揃ってすっとんきょうな声をあげた。


「うおぁっ?」

「な、はあっ?」


 一瞬にして辺り一帯の景色は変貌していた。

 建物や道路、見慣れた街並みの面影は何処にもない。

 そこはただっ広い荒野だった。しかも地面の色は濃い紫や錆びめいた茶色、それから乾いた血のような黒だ。僅かな草や歪な岩、見上げる空に至るまでも不気味な色に染まっている。

 これは初馬が見た「夢」の景色そのもの。

 魔界。そう言われれば確かに納得のいく、非常に醜悪で非現実的な空間であった。


 そして二人の姿も変化していた。

 初馬は銀色の鎧を身に付け長剣を携えた、西洋ファンタジーめいたもの。

 辰也は和服を着て日本刀を腰に差した、時代劇の剣客めいたもの。

 両者の趣は異なるが、どちらも創作の世界でしか馴染みのないような格好である。


「これが……魔界? あと、この格好が戦士の姿?」

「……って、事じゃねえか」

「この格好、何も無きゃテンション上がる所なんだけどな……」

「はっ。オイオイ初馬、そんな格好で満足なのかよ。オレの方が断然カッコいいぜ」


 二人が揃って冗談を飛ばすも、そこに笑いは生まれない。彼らの表情も空気も、以前として固いままだ。

 それも当然。

 常人ならば、こんな事態を簡単に受け入れられるはずもないのだから。それになにより、例の「夢」が事実であるなら、命の危険があるという事なのだから。


 二人は目を合わせて頷き合うと、同時に前方へ注目する。

 そこには奇怪にうごめく、ブヨブヨとした不定形の「何か」がいた。周囲の環境からは浮くような、蛍光色めいた緑色をしている。

 現実には存在しえない異形。


 だが初馬と辰也は「それ」の名前を知っていた。初馬の格好も連想の手助けになったのか、思い浮かぶ単語が一つあったのだ。


「あれって……スライム、でいいのか? それで、あれを倒せば元の世界に戻れる、で合ってるよな?」

「まあ、それでいいだろ」

「だったら弱い、よな? 俺達でも勝てる、よな?」

「だと、いいんだがな。見ただけじゃアレの強さなんて分かんねえよ」

「……不安になるような事言うなよ。言うならもっと気分が良くなる事にしてくれ」

「……だな。スライムなんてザコ、オレたちの相手じゃねえか」


 潜めた声でコソコソと相談。楽観的に、半ば以上現実逃避気味に、話を進めていく。

 ただ、彼らは話すだけで実際に倒しに行こうとはしていない。強い言葉で己を奮い立てようとしてはいるが、主導権を握っているのは未だに心の弱い部分だったからだ。


 その間も魔物は地面に跡をつけながら進んできていた。ゆっくりだが、着実に猶予は迫る。

 辰也は敵から目を離さず、緊迫感の増した声で相談を進めた。


「そろそろ来るぞ。どうする? どうやって戦うんだ?」

「……よし。まずは俺が行くよ。後ろから見て参考にしてくれ」

「お前……分かった。気ぃ付けろよ」


 友人の気遣いを背に、初馬が覚悟を決めて仕掛ける。その顔は必死にかき集めた勇気になんとか支えられた、酷く頼りないものだった。

 彼は慣れない装備のまま不格好に走り、持っていた剣を素人そのものの動作で振り抜く。風を切る音が高く鳴る。


 だが、標的には当たらなかった。

 魔物は不定形の体を器用に曲げて刃をかわしたのだ。見た目通りのデタラメな動きである。

 そして今度はそちらの番。ドロドロした体がガムのように伸び、初馬の右腕にまとわりつく。

 途端、苦痛に満ちた悲鳴があがった。


「ぐっわああああっ!」

「おい初馬っ! 大丈夫かっ!?」


 初馬の窮地を感じた辰也が慌てて駆け寄ってくる。

 彼が見ると魔物と接触したところからはブスブスと煙が出ていた。鎧に穴が空き、皮膚は火傷のようにただれている。


 生死がかかった魔界の娯楽。

 「夢」の内容を、二人は今こそ正確に認識した。


 認識したからこそ、彼らは本気で生き残りたいと思った。


「ぐ、ううっ……」


 初馬は歯を食い縛り、痛みを堪えながらも反撃を試みる。

 自身を傷つけぬよう、そっと刃を当て慎重に走らせた。液体を通り抜けたような感覚。手応えはない。

 けれど効き目はあったのか、軟体の魔物は腕から離れて地面に落ちた。


「よしっ! 今だ!」

「お……おう!」


 恐れを払うようぬ声をあげ、二人して追撃を叩き込む。逆手に持ち替えた武器を地面の敵へと突き刺したのだ。

 間違いなく命中している。

 それでも魔物は倒せていなかった。ダメージはあるのかもしれないが、未だ不気味にうごめき続けている。


 そして再び、「それ」の番だ。

 体の表面積を広げ、二人まとめて包み込もうと襲いくる。肉体を焼き、溶かす恐ろしい襲撃。

 一度苦しめられた初馬。その苦しむ様を見ていた辰也。

 両者の理性が外れた瞬間だった。


「うわあああああああ!!」

「ぬおおおおおおおお!!」


 広がった軟体を、二人揃って己の得物で斬りかかり、突き刺していく。荒い叫び声をあげながら、半狂乱になっての行動だった。

 独特の手応えも不快さも気にせず、接触により焼かれる肌も顧みず、がむしゃらに我を忘れて。


 そして、十何回と攻撃を繰り出した辺りか。

 突如粘体の魔物は地にべシャリと落ちた。しばらくはピクピクしていたが、やがて完全に動きが止まる。

 初馬が恐る恐る剣でつつき、もう襲ってこない事を確かめ、その後でようやく言葉を絞り出す。


「倒した、のか……?」

「さあ……?」


 二人の力無い声は、困惑と不安の表れ。

 勝利の味は限りなく薄く、今も尚濃い未知に覆われてしまっていた。


 そんな中で、彼らは再び突然の浮遊感を味わったのだ。






 気づけば景色は元の街並みに戻っていた。

 服装も鎧から学生服に戻っており、怪我をしていた痕跡も消えている。更には時刻を確認したところ、全く進んでいなかった。

 まるで先程の出来事は全て夢か幻だったかのよう。


 しかし、それで済ませられる程、あの経験は安くはなかった。どれだけ否定しても、記憶に刻まれた戦いの恐怖が重くのしかかる。

 あの戦いが現実に起きた出来事なのだと、本能で理解させられてしまっていた。


「これから、一体どうなるんだ……?」


 囁くような初馬の問いかけに答えを返せる者は、この世の何処にも存在しなかった。

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