第3話 玄象(前編)


 敦煌の遺跡、通称「白い谷」で発見された機械人形の件は、すぐさま将軍へ報告され、その指示によりとりあえずその場に放置されることになり、翌日から毎日調査のための部隊が派遣され、最初の調査には私、サミル老人、将軍ゴード自らが同行した。

「これは…」

 駱駝から降りたゴードは被っていた小さな帽子を取って、機械人形を見上げ、呆然とした。

「ここまで綺麗な形で…俺はお伽噺の世界だとばかり…」

「私も半信半疑でございました。しかし、ハクガ殿が笛を吹くことにより、確信に変わったのでございます」

「これが、意のままににか?」

「いいえ」

 私は首を振った。私は笛を吹いた時、動けと言葉に出したわけでも、笛を吹きながら念じたわけでもない。感性の問題になるけれど、ただ笛を吹いただけなのだ。ゴードとサミル老人にそれを説明すると、ゴードは濃い顎髭をがしがしといじりながら、難しい顔をした。

「とりあえずこの場に置いておけ、と命じた昨日の判断は正しかったな。これをどうやって意のままに動かすか…長い調査が必要になるな」

「将軍、意のままに、というのは…」

 サミル老人が心配そうに言う。ゴードは首を振った。

「当然、本国におわす陛下の指示を仰がねばならんが、我がザナドゥは今、東の国を前に風前の灯じゃ。敦煌に機械人形があれば、国を守るための抑止力にはなろう」

「は…」

「機械人形一体で、今の状況が変わると思えんがな…」

 ゴードは寂しげに言った。私は少し驚いた。将軍ゴードはザナドゥの王とばかり思っていたが、彼は恐らくここ敦煌の領主に過ぎないようである。

「将軍、遅れました」

 我々3人の後ろから声が聞こえたので振り向くと、金髪で髪を短く束ねた40代くらいの色白の男が立っていた。髪型は軍人のようだが、顔つきはやや下膨れ気味で、文官といった印象であった。

「おおヤニスか。待ちかねたぞ」

 将軍は親しげにそう言い、ヤニスは頭を下げる。サミル老人は私に、

「彼はヤニス殿といって、敦煌の技術者をしている。元々は西方の国にいたらしい」

 ヤニスは私の方へ歩いて、無言で握手を求めてきた。握手をするというのが彼の親愛の情であるらしい。「どうも」と私は言い、握手をした後に頭を下げた。

「申し訳ありませんが、しばらく私に付き合っていただきたい。この機械人形がなぜ、どう動くのか、ハクガ殿の力がなくては、分からぬところもあります」

「いや、私は無我夢中で」

 ヤニスはふと私から目線を外し、

「実は、私もかつて住んでいた国で、これの発掘作業と動く様を見たことがあるのです」

「なんと!?」

 ゴードは仰天した。

「なぜそれを今まで言わなかった!」

「あ、いや、言ったところで信じてもらえないかと思いまして」

「た、確かにそうだが…」

 ゴードは唇に手を当てる。それはそうだろう。石像だと思っていたものが突然動き出したら、誰だって驚く。しかし、と思って私はもう一度機械人形を見た。頭部に細長い角のようなものがあり、右手には槍のようなもの、左手には楕円形の盾のようなものを持っていた。目らしき部分は細長く、吸い込まれるような黒さであるが、ここが私が昨日笛を吹いた時、緑色に光ったのである。

 ゴードはその場にいる我々、ヤニスを始めとした技術者、そして発掘をする学者たちに、この機械人形に対する箝口令を敷いた。敦煌での機械人形の話題は固く禁ずると。しかし、これが一時的なものに過ぎないだろうことは、発言したゴードを始め、全ての人々が分かっていることであった。なんせ、これだけの大きさである。いずれ、敵国らしき「東の国」にも知られるだろう。

 そして本国にも使者を送り事の次第を報告するという。本国というのがどこなのかは私には分からなかったが、特に興味もなかったので、何も効かずにいた。「東の国」についてもそうだ。ただ、とりあえずはこの地に滞在させてもらえ、食事をし、寝る所があればそれで満足だった。そして、サミル老人、ゴード将軍への恩義として、この機械人形にも携わらなくてはならないだろう。それは私の責任だ。それまでの自分はもしかしたら死んでいたのかもしれない。そしてここで生まれ変わったのだろう。そう思うことにした。


 それから、私は朝起きて朝食をとると、ヤニスと共に「白い谷」に向かい発掘調査の手伝いをし、夕方になると帰るということを繰り返した。単純に笛を吹けば動くのかと思っていたが、そうではないようだった。例えば私以外の者が吹いても動かない。もっとも、私以外の者は楽器をまともに扱ったことがない者ばかりだから、致し方ないだろうが。そして、私が「動け」と念じながら笛を吹いても動かない。ヤニスと私は首を傾げた。機械人形が動く条件が何なのかさっぱりわからなかった。

「…昔、見たことがある機械人形って、どんな感じだったんです?」

 私達は昼食を取りながら、ヤニスに質問をぶつけてみた。ヤニスは頭を掻いて、腕組をする。

「そうですね。発掘の時は、これと同じです。そこでは、リュートを持った奏者が、演奏していた。その演奏に従って、機械人形は動いた」

「リュート?」

「そう、まあ…なんといいますかね、弦を弾く楽器ですな」

琵琶びわのようなものですかね」

 と、私は言って、妙だなと思った。琵琶というものが何なのか、瞬時に頭に浮かんだのである。ヤニスは琵琶を知らないのだろうか、はあ、とだけ呟いて頭をかいた。

「しかしどうやって…」

「それが…まあ、結局、演奏者の心根ということになりますな。演奏者ではないと機械人形がなぜ動くか、分からんのですよね」と言って、ははは、とヤニスは笑った。だとすれば、結局機械人形がなぜ動くのか分からないというわけだ。演奏者の意思によって動いているのか、もしかしたら機械人形に意思があるのかもしれない。結局、分からないということらしかった。その後、ヤニスに請われて私も笛を吹いてみたが、不思議とピクリとも動かなかった。ただ笛を吹いているだけで動いても困るが、機械人形を目の前にして、何かを念じながら笛を吹いても動かなかったのである。これにはまいった。ヤニスらの調査によって機械人形には多くの歯車があり、何かをきっかけにして起動することは分かったが、結局動力や燃料については分からなかった。一方、機械人形の下腹部には人が1人入れる空間があった。


「まいりましたなあ…」

 作業が始まって何日目かの夜、ヤニスに誘われ古城近くの店で私達は食事をしていた。酒は、と言われ、ほどほどにと答えると目の前に紫色の液体が透明の器に入って出てきた。初めて見る酒である。ヤニスと杯を交わし、口に含む。少し酸っぱいが飲みやすい。しかし飲みすぎてしまいそうだと思い、一口でやめた。ヤニスは興味深そうに私の顔をじろじろと見ていたが、

「ハクガ殿は、どこから来たのか分からないとおっしゃっていましたね」

「ええ。記憶がないんです」

「実はね。私も、最初はそうだったんですよ」

 そうヤニスは言って、自嘲気味に笑う。私は仰天した。ヤニスは続ける。

「今から4、5年前、敦煌に入る門のあたりで行き倒れていたところを発見され、保護されたのです」

「それじゃ、私と同じじゃないですか」

「そうかもしれません。その後、科学技術に長けていると認めてもらって、技術者として雇われてますがね」

 ヤニスは紫色の酒を飲み干し、目の前の鶏肉と野菜の炒めものに箸をつける。

「正直、私の記憶はところどころ、黒くくすんでいるようなんです。…発掘作業で巨大な機械人形が発見されたのは覚えているけど、その場所がどこなのかは分からない。ただ、少なくともこういう砂漠ではなかったように思います。そして、駱駝とともに砂漠を彷徨っていたのはわかるが、なぜこの場所に居たのかは分からない。わからないことだらけなんですよ」

 私も彼と全く同じだ。「葉二」は私の龍笛だと認識できるが、なぜそう認識しているのかわからない。なぜ砂漠を彷徨っていたのか、その前は船に乗っていたはずなのに、ところどころの記憶がない。そして思い出そうとしても、靄がかかったように思い出せないのだった。私は無言で酒をあおり、目の前の料理を食べた。しばらく飲み、食べ、話して1時間ほど経った後、私達は別れた。酒を2杯飲んだ程度だから、すごく酔っ払っているというわけではないが、いい気分だった。古城に入り自分に割り当てられた部屋を確認していると。

 私は一瞬立ち止まった。遠くからなにかの音が聞こえてくる。一気に私の酔いは冷めてしまった。その音の元は撥だ。撥で何かをかき鳴らしている。いや、この音は琵琶だ。頭の中がぐるぐると答えを求めて回転しているのが分かった。間違いない、私はこの音をどこかで聞いたことがある。いや。聞いたどころか、自分でこの琵琶を演奏したことがあるはずだ。私は気づいたら、走っていた。アルコールを摂取しているはずだが、走っていてもくらくらすることはない。そして琵琶の音は一音一音が心を揺さぶって、何か、悲しいような懐かしいような、奇妙な気持ちを与える。私は思わず唇をおさえた。この音はどこから来ているのか?しかしなぜか、私にはわかるような気がした。私はその場に向かって走っていく。古城を抜けてしばらく歩くと、大きな広場があった。私は「あ」と声を上げた。髪が垂れ下がり、狩衣を来て琵琶と撥を持った者が楽座がくざで座っていた。狩衣が、と思ってから、私はまた奇妙な感情に囚われた。私はなぜ、狩衣を狩衣と認識できたのだろうか?茶色と紫色のコントラスト、そして雲鶴の紋。長い髪は両脇から垂れ下がり、色白の女、いや男か?

「ハクガ殿か」

 顔つきに似合わない随分と低い声だった。私はその場に立ち止まり、ただ頷くだけだった。その貴公子然とした男は撥でまた、持っている琵琶をかき鳴らす。

玄象げんじょう…」

 私は思わず呟いていた。男はにやりと笑った。後頭部で、鈍い痛みが走った。

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