第29話 フクロウ亭

 次の日もベアトリクスとエリクは広場にきた。


「さあ、物件探しです!頑丈で清潔で、人がいっぱいでも大丈夫な物件が良いですわ」


「そうだな、とりあえず聞き込みをしようか」


 二人がミード蜂蜜酒を飲みながら昨日と同じ食堂で相談していると、机にトンとパンと野菜の煮物のセットが二つ置かれた。食堂フクロウ亭の奥さんだ。


「注文してないぞ。他のテーブルじゃないか」


 エリクが奥さんに聞くと、


「いやいや、昨日のお嬢さんの立ち回りを見てねぇ、久しぶりに胸がすいたよ。この国も捨てたもんじゃあないってね。おかげで心残りなくこのフクロウ亭を閉められる」


と顔中をしわしわにして満面の笑みで答えた。よっぽどだったんだな、とエリクは笑いをこらえた。


「いえ、そんな…頂くわけには…」


 ベアトリクスが腰を浮かせて断ろうとしたのをエリクが押しとどめた。強いものに抗えないが精いっぱいの心を表そうとしているのを無下にしたくなかった。


「では、ありがたく頂戴しよう。ご亭主にも宜しく言っておくれ」


「えーえー、どうぞどうぞ。厨房のじじいも喜ぶよ」


「じじい…ご亭主様ですか」


 ベアトリクスはぼそりと言ってから、料理を口にした。昨日と同じく優しい味だ。


「…ねえ、エリク。こちらの食堂を買い取れませんでしょうか?こちらなら十分奥行きもありそうだから雨の日でも大丈夫ですし。さっき奥さんがここを閉めるっておっしゃっていましたわよね?これほど美味しいものを作れるのになぜかしら」


「おっ、それはいいアイデアだな。じゃあ、これをたいらげてから相談してみよう」



 

「ベアトリクス様はエリク様と昨日訪れた広場に行かれました。どうも、食堂を購入するようです。しかし、いいのですか?あのような場所にベアトリクス様を放っておいて…」


 苦い顔のクローディアスは、濃い茶色の瞳を曇らせて言った。昨日の大立ち回りももちろん報告済だ。自分が出しゃばる場面は一切なかったので、護衛とはまったく名ばかりだとも正直に。


「いいのだ、干渉し過ぎは良くない」


「そうですか…」


 クローディアスの報告を受けているのはヴァルデマー王子だった。クローディアスは引き続き王からベアトリクスの警護の命を受けていた。昨日のバイエルン家のヘルヴィヒの件を報告した後、王が大臣に小声で指示をしたのを聞いてぞっとしたものだ。


(近日中に爵位は返上か…子供の不始末でご当主も可哀そうに)


 バイエルン家のヘルヴィヒは城下で何度も事件を起こしてきたが、バイエルン家の力でもみ消してきたこともクローディアスが調べて報告した。どうも母親が甘やかし放題のようで、母子ともども手が付けられないようだ。


(バイエルン家はハリス教に献金が多いから上層部に顔が利く。今回の沙汰でハリス教有力者に忖度する空気が薄れるとよいのだが…)


 王子も同じように考えていたようで、これまでに事件をもみ消したものたちの悪事をうまく露見させて降格させるよう指示した。

 それにしても王子の顔色が良くない。昨日は『危ないからベアトリクスにきつく注意する!』と怒っていたのに、今日は『干渉は良くない』だ。

 もちろんベアトリクスが危ないというよりは、彼女にやられる者のほうが格段に危ないのだとクローディアスが説明したからではなさそうだ。


「どうしたんだ、ヴァル。何かあったのか?」


 クローディアスが友達としての立場に切り替えて聞くと、王子はいきなりガクリと膝を床に着いて俯いた。


「ベアトリクスに怒られてしまったのだ!『わたくしは殿下のお人形になりたくない』と…俺は別に彼女を人形のように手元に置いて愛でるつもりなど…」


(いやいや、結構人形扱いしたがってるぞ…とはとても言えないな。こんなに落ち込んだヴァルは初めてだ)


「た、確かにベアトリクス様は言いなりになるようなお方ではない。陛下の命令でも気に食わなかったら言い返す」


 友人の慰めにも全く反応がないヴァルデマーを目の前にしたクローディアスは、下手な慰めはやめてはっきり言うことにした。


「…な、ヴァル。ベアトリクス様に相応しくなるしか方法はないと私は思う。ヴァルならなれるさ。彼女もヴァルの事を嫌っていない」


 エリクならばベアトリクスがヴァルデマーを憎く思っていないどころか恋しているのがわかるが、クローディアスは王子と同じ朴念仁だ。


「すまぬ、クロード。おまえの言う通りだ、彼女に夫として認められたいならこのように落ち込んでいる場合ではないな。よろしく頼む」


 単純なヴァルデマーはすっくと立ち上がり、深い緑の瞳に再び力の火を灯した。




 そのような王子の心も知らず、ベアトリクスとエリクは着々と『フクロウ亭』を子ども食堂にする準備にとりかかっていた。

 二人で食堂を切り盛りするのが限界となって引退を考えていた食堂の亭主と妻ごとまるっと買い取ることにした。ヨアンとヘレの母親であるインゲビョルグには店の配膳や洗い物など作る以外をすべて任せるのだ。

 インゲビョルグは思った以上に偉丈夫で、テキパキと仕事を的確にこなした。ベアトリクスはすっかり姉御肌の彼女のとりことなり、出会って2日で『インゲ』『ベア』と呼び合う仲になった。


 庶民の服装をしたベアトリクスが銀髪をおさげにして楽しそうに働く姿は見ものだった。


(おいおい、普通の女性みたいに可愛いな。伯父上ベアの父に見せてやりたいよ…)


 エリクがベアトリクスをぼんやり眺めているとげきが飛んできた。


「エリク!ぼうっとしてないで、席を用意して下さいませ!!」


「はいはい、了解しましたよぅ」


 しぶしぶ返事をして立ち上がるエリクをインゲビョルグとヨアン、ヘレが笑う。


「まあ、エリク様ってばもう尻にしかれていますのね。いいご主人になりますわ」


「本当だよなー」


「お母さんもお兄ちゃんも、エリクはとっても素敵なんだからいじめないで!」


 5人のやりとりもルーティンになってきた。


 食堂ではまだ働けない子供たちが無料でごはんを食べられる。持ち帰りたいと希望する子供にお弁当を渡したら、親にすべてあげてしまう子供が続出したので基本持ち帰りはできないことにした。

 7回食堂を利用したら焼き菓子のプレゼントをひとつ渡すというのはベアトリクスの案だ。

 なんせ子供たちはハリス教の間違った僧たちの教えのせいで親よりも先に食べることは罪だと思い込まされていた。焼き菓子を両親にプレゼントする為にご飯を食べに来る子供がいると、ベアトリクスは心が痛くなった。

 今まで通り大人からはお金を取るが、焼き菓子のプレゼントができたので食堂は夜まで盛況だ。食事が美味しいのは言うまでもないが、うさぎ・鹿などの肉料理を安価で提供してるのも人気の理由だった。

 食堂の材料費と人件費で足が出る部分は王からベアトリクスがもらうおこづかいから出ていたが、安定したら司教とオーロフに任せる手はずになっている。この慈善事業を各地で行う事で司教の地位が回復し、オーロフ王子が次期司教になる支持が得られるようになるだろう。

 二人の後押しで始まった事業は、次の段階に入っていった。


 学校である。

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