第27話 城外

「まあ、城の外の人びとはこのような生活をしているのですね」


 ヴァルデマーと共に帰国したベアトリクスは、城の外に活動の拠点を置くことにした。

 どうも城にいるとヴァルデマーがやたら話しかけてきたりご飯に誘ってきたりするので落ち着かない。以前にはなかったことで、ベアトリクスは戸惑った。なんせ3年契約の妻なのだ。

 その上、不安だと言っていたのに夜の警護はいらないと言う。


(助けられた恩があるからという殿下の誠実さの表れかしら。このままでは殿下のお仕事に支障が出ますので、わたくしは目につかない場所にいたほうが良さそうですわ)


 公国から連れてきていた護衛の兵士を帰したので、デーン王国にはベアトリクスとエリクだけになった。元々ベアトリクスに警護など必要ない。

 エリクがスタツホルメン一族の息子として遊学することで、二人は共に講義に参加するようになっていた。

 ベアトリクスは嫁いで3年で帰国するので王妃教育は受けていないが、自身の希望でハリス教と外国語や他国の歴史・地理・地政学を専門の講師より学んでいる。ヴァルデマー王子も時間を見つけてできるだけ参加していた。

 王子とエリクは年齢も近く友人になるのにそれほど時間はかからなかった。これだけでもベアトリクスは王国に嫁いで良かったと思う。

 エリクが立派な公主になるのは彼女の望みの1つなのだ。



 朝一番の鐘が鳴ったらベアトリクスは冷たい水で顔を洗い、真っ暗な中エリクと訓練に精を出す。

 その後に朝食をゆっくりたっぷり食べてから講義を受け、いつもであれば城で昼食をとる。

 しかしその日は違った。

 講義の後、ベアトリクスは庶民が着る長めのチュニックに着替えてエリクを誘った。


「エリク、城の外を見たいのです。付いてきて頂けませんか?」


「…いいけど、殿下には言ってあるのかよ」


「もちろんですわ」


 ベアトリクスはしれっとエリクをだました。正確には殿言ってある。


(なぜか最近殿下が過保護で困ります。このままでは何もかも自分でできないになってしまいますわ!そのようなになったら公国に帰れなくなってしまいますもの…)


 ヴァルデマーはベアトリクスを甘やかして自分の側にいさせたがった。


「さ、出かけますわよ」


「今すぐかよ?ちょっとはゆっくりさせてくれよなー」


 ぶつぶつと文句を言いながらもエリクはさっさと貴族の上着を脱ぎ、元々着用していた白いシャツの上に吊り下げ式の長いチュニックを羽織ってちょっとおしゃれな庶民仕様に整えている。

 彼女に一人で出かけられたら余計に大変なことが起こりそうだった。




「あちらは何ですの?」


「寄せ場だ。日雇いを雇う者と雇われたい者が集まるのさ」


 広場に面した小さな食堂ではベアトリクスとエリクが豚肉とキャベツとレンズマメが入った煮物に硬いパンをちぎっては漬けて口に放り込んでいた。燻製の豚肉はほんのちょっぴり香りづけに入っている程度だが、やたら美味しい。

 器は木製で、ベアトリクスたちが城で銀食器などを使っているのとは雲泥の差であるが、美味しいのでどんどんパンは小さくなっていった。

 ベアトリクスが見ていると、人がたくさん集まっている寄せ場では働き盛りの男性から連れていかれる。しばらくして残ったのは老人と子供だけだ。

 彼女は手づかみでキャベツや豆をさらえてから、指をぺろりと舐めた。指で食べるのは身分には関係なく同じだ。


「あの子供たちも、まさかですがお仕事に?」


「あたりめーだ。子供だって働かないと食えねーんだよ。こんなの日常茶飯事だ」


 ベアトリクスよりは頻繁に城下に出没していたらしいエリクは、バカにしたようにベアトリクスに言った。

 彼女が子供や老人が働くことに心を痛めているのは明白だったので、エリクは自分を悪者にするかのように言い放った。それほどこの国の生活環境は悪い。


 仕事にあぶれてがっかりした10歳ほどの男の子が、妹らしき女の子の手をひいて広場の中央を渡っていた。そこに、向こうより騎馬が勢いよく走ってきた。発達不良なのか女の子の足はとても遅く、焦った男の子は妹を抱えようとしてもたもたしている。そのうちに馬はすぐそこまでやってきている。


「どけ!邪魔だ!!」


 騎馬の上の男が叫んだが、全く速度を緩める気配がない。男は明らかに貴族らしい服装をしており、遊びで轢くつもりだ。

 とうとう男の子は間に合わないと妹をかばうように道で丸まった。


「危ないですわっ!」「こ、こらっ!ベアっ」


 馬に乗った男の頭部と馬の眉間に何かが当たり、馬が後ろ脚で立ったとたんに男性は落馬した。馬はいなないており、地面にはベアトリクスの投げた食堂の木製のお椀が二つ軽い音を立てて転がった。


「よーし、よし。ごめんなさいね、痛かったですわよね…」


 ベアトリクスは落馬した男に全く構わず、馬の首筋や腰を撫でた。落ち着いてきたのか、馬は鼻を伸ばして目を細めている。


「ケガはないか?さ、こっちにおいで」「大丈夫かい、坊やたち!」


 エリクと広場にいた女性たちが寄ってきて子供二人をさっさと連れ去った。貴族なんかと関わり合いになるとろくなことがないとわかっているのだ。


「おい、女っ!おまえ自分が何をしたかわかっているのだろうな?!」


 落馬のショックから回復した男は、馬を労わるベアトリクスにつかみかからんばかりだ。額には立派な青あざができているが、大した傷ではない。


「ベア…」


 助けに来ようとしたエリクにベアトリクスは『大丈夫だから』と目線を送りつつ、素早くウルフバートを男の目前に突き付けた。


 いつでもおまえを殺せるのだという彼女のメッセージを読み違えた貴族は、ビビッて彼女が自分に傷つけられないのだとみくびって長剣を抜いた。


「俺様に手を出すとは馬鹿な女だ、泣いて謝ったらここで引ん剝くくらいで許してやるぞ」


と自分の優位を確信し、あろうことか彼女のウルフバートに剣先を当てた。その瞬間、ベアトリクスの一振りで男の剣が根元から折れ、腿に軽く突き刺さった。


「ぎゃーっ!」


「人に剣を向ける時はすなわちどちらかの死を覚悟する時。貴方様にはその覚悟がおありですか?」


「な、なんてことをしやがる!俺は名門バイエルン家のヘルヴィヒ様だぞ、どうなるかわかってるんだろうなっ」


「もうやめとけっ!騒ぎを大きくすんな!!」


 広場には人が集まってきている。剣を振るっているのが皇太子妃だとバレたらマズいと判断したエリクの静止も聞かず、ベアトリクスの短剣が素早く動いた。


 ぼとん、と音を立てて落ちたのは男の首、ではなく後ろに三つ編みにしていた長い髪と血にまみれた左の耳たぶであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る