第26話 願い

「この時間でもまだ明るいのだな…不思議な場所だ」


「北に行くともっと明るくなるのです」


 王子のスタツホルメン公国滞在により、二人の間にはこれまでになく親密な空気が生まれていた。

 目的地に到着した一行は天幕を張り夕食をとった。そしてクローディアスのすすめで明るい夜の散策にでかけることになった。


 王子はベアトリクスについてトールの鉄槌の山に向かって馬を歩かせた。


(夕飯の後もこのように明るいと時間感覚がなくなるな。このまま時が止まってベアトリクスと共にいられたなら…)

 

 王子は常足なみあしで斜め少し前を栗毛の馬で歩かせる真剣な表情の彼女を見つめた。彼女は馬に慣れており、馬も彼女を慕っているようだ。

 そこにはクローディアスの目論んだような甘い雰囲気は全くない。


「ベアトリクス、どこまで…」と王子が聞くと同時に少し小高い丘に到着した。


「こちらです。やはり殿下は強運を持っておられますわ。あちらをご覧くださいませ!」


 彼女が指を指した雲一つない明るい夜空には彼が見たこともない淡い緑の滝のようなものが現れていた。その天を覆う滝は下から上に流れているように見える。


「な…なんと不思議な…あれは地に落ちてこないのだな?!」


「もちろんでございます、危険なものではありません。若くして亡くなった女性があの世からこちらに戻って来ているとわが国では言われております」


「…そうか」


「たまにしか現れませんので、殿下は強運だと申し上げました。殿下のお母様が会いにいらっしゃったのかもしれませぬ」


 そう言ってから、ベアトリクスはぼんやりと口を開けたままの王子に笑いかけた。


「お願い事をなさいませ。時間が経つと消えてしまいます」


「…そうか」


「先ほどから『そうか』ばかり。もしや不吉に感じられますか?」


「いや、とても美しい…見惚れてしまっていた」


「それは良かったですわ。わたくしも美しいと思いますゆえ、殿下にお見せしたかったのです」


 ベアトリクスは目を閉じてスタツホルメン公国の安泰を祈った。そして隣にいる王子をますます愛しく感じている自分を追い払う為に、彼が望む女性と結ばれてデーン王国を盛り立てていくことも願った。

 万が一気持ちが通じたとしても所詮は貴賤結婚だ。ベアトリクスの子供がみじめで不自由な一生を過ごすと思うと目が覚める。

 

(殿下を守る仕事もひと段落ですし、デーン王国に戻ったら未来の王妃候補を探すとしましょう。浮ついた気持ちではいられませんわ)


 しばらく真剣にお祈りをしてから、二人は馬を野営している湖のほとりに向けた。


「殿下は何をお願いされましたか?」とベアトリクスがなんとはなしで訊ねた。


「俺は…いや、そなたの願いを先に聞かせてくれないか?」


(もちろん俺はベアトリクスとずっといられる将来を望んだ。しかし…)


「そうですわね、スタツホルメン公国とデーン王国の末永い友好と、殿下にふさわしい王妃ができること、ですわ」


 王子は眉間をハンマーで殴られて目の前が真っ暗になった気がした。足に力が入らなくて落ちそうなので馬を止める。もしや彼女も自分と同じ気持ちではと淡い期待を抱いていたのだ。


「殿下?どうされました?」


「…いや、ちょっと考え事をしている。先に帰ってくれぬか?」


「おひとりでは心配です、クローディアス様を呼んで参りま…」


「大丈夫だ」


 突き放すように言い放ったヴァルデマーは、俯いて猫を追い払うように手を振った。情けない顔を見られたくなかった。


「…では、わたくし先に参ります」


「そうしてくれ」


 彼女の馬音が消えてから王子は先ほどの丘まで足を戻した。そしてその不思議な緑の光に誓った。それはゆらゆらと揺れて今にも消えそうになっていた。


「母上、俺は必ずベアトリクスを本当の伴侶にします。どれだけ身の程知らずかもわかっていますが、彼女がそばにいないと…俺はまともに息が出来ないのです」


 彼がしばらく一心に祈ってから目を開けると、空にはすでに光は消え去っており、ただほの明るい夜空が広がっていた。




 王の散歩道で野営した一行は無事にカルマル城に戻り、あらかじめ手配して取り寄せておいたロブスターを王子に振舞った。ビルイェル公主と兄のホルムイェル、エリクも最終日なので同席している。

 バリバリと茹でたロブスターを自分で裂き、身に特製ソースを付けて口に運ぶ。貴族であってもちまちま食べずに手づかみで豪快な食べ方を好む家なのだ。

 さすがにヴァルデマーは器用に指の先だけを使って上品に食べている。


「ほう、美味いものだな…これが名高いスタツホルメン公国のロブスターか」


 王の散歩道で野営した夜は王子の様子がおかしかったが、今のご機嫌な様子を見てクローディアスはほっとした。しかしどうもあの夜の遠乗りから二人の様子がおかしかった。


(ヴァルがベアトリクス様に少しだが積極的になった。ベアトリクス様となにかあったのか……)


 ヴァルデマーがロブスターを堪能するのを目を細めて見ていたベアトリクスは、急に何かを思いついたようでここぞとばかりに前のめりに聞いた。


「それはよろしゅうございました。殿下の為に産卵前の雌を集めさせた甲斐があります。そうですわ、殿下にはこれをお土産に持っていきたいお方はいらっしゃらないですか?」


「いや、いない。さ、ベアトリクスもたんと食べておくのだ。明日は帰国するのだからな」


「…ではわたくしも頂きますわ」


 ばりばりとロブスターを裂いては食べるベアトリクスを見て公主とホルムイェルは不思議そうに目を合わせている。


(そりゃそうだろう。以前より仲が良くなったかと思いきや二人は変だ。ベアトリクス様の気を引こうとする殿下と、親愛の情は見えるが一歩引いたベアトリクス様は暗にヴァルにお気に入りの令嬢がいないかと探っているし…これはヴァルの一方通行が酷くなっただけでは…)


 親友の恋の行方が心配でロブスターなど食べられないクローディアスと、ベアトリクスが王子への恋を諦めたことを察してほくそ笑むエリク、ベアトリクスがどうも王子に微妙な態度を取っているのを目にして複雑なヤール兄弟。

 そしてベアトリクスの心を必ず射止めると決めたヴァルデマー王子と、王子への愛情を庇護愛にすり替えたベアトリクス。


 奇妙な食卓はお酒が入って深夜まで続き、胃が痛いクローディアス以外はそれなりに楽しい夜を過ごした。

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