第17話 乙女心は別問題

 狐との交流を早々に断ち切り、リタはすぐに行動を開始した。

 名残惜しそうな狐の視線には必死に気付かないようにして――。


「急がないと……!」


 まずリタはすぐにルビスホーンの足元にあった草を採取した。

 それにはべったりと、ルビスホーンの唾液がかかっている。

 汚いなどと言っている場合ではない。

 この分泌液ぶんぴつえきこそが、エイトールを救うかもしれない希望なのだから。


「さて――」


 リタはすぐに、エイトールの元へと戻すため駆け出す。

 他の魔法生物に鉢合はちあわないよう、周囲の気配を探りながら。

 すると――。


『きゅう!』


 先ほどの白い狐が、先導するようにリタの前を走る。

 人間でも通りやすい道を選び、早く進み過ぎれば立ち止まってリタの到着を待つ。

 そして不思議なことに、狐が選んだ道は他の魔法生物の気配がしなかった。


「……なんでお前は、私を助けてくれるのですか?」

『きゅう!』


 問いかけてみても、リタに狐語はわからない。

 未知の要素だらけだが、今はこの好意に甘えておくことにしよう。

 今のリタの最優先事項は、エイトールの救出なのだから。


「エイトール!」


 そして程なく。

 リタと狐はエイトールの元に辿り着く。

 無事……だとは言い難い。

 他の魔法生物の襲われなかったのは幸いだが、エイトールの身体は見るからに毒が侵攻していた。

 絶え絶えの呼吸、異様な発汗、そして紫に変色した肌。

 どうして生きているのか不思議なほどの有り様――。

 その姿に息を呑みながら、すぐにリタは採取してきた草を差し出す。


「エイトール! この草を食べてください!」


 ルビスホーンの唾液がかかった草を小さく千切って、エイトールの口に運ぶ。

 しかし――。


「ぅうっ……げほげほっ……!」

「え、エイトール!」


 毒で嚥下えんげ能力も落ちているのだろう。

 唾液の生臭さにも原因があるかもしれない。

 エイトールは草を口に含んだ先から、えずいて吐き出してしまう。

 このままではエイトールは助からない。


「――っ」


 それを察してからのリタの決断は早かった。

 唾液のかかった草を自らの口に放り込む。

 その生臭さに嫌悪を覚えるが、吐き気を我慢して噛み砕いた。

 自分の唾液と混ざり、草がドロドロの半液状になったのを確認して――。

 リタはそっと、自分の唇をエイトールのものと重ねた。


「んっ、んんっ……んっ……」


 リタは口移しで、唾液まみれの草を押し付ける。

 やはり無意識に吐き出そうとするエイトールだが、リタは舌を無理やり相手の口の中に捩じ込むことでそれを許さない。

 少しでも喉奥に流し込むために、自分の唾液をエイトールの口の中へと押しつける。

 そして、どれほどの時が過ぎただろうか。

 ごくん、とエイトールの喉が鳴り――。


「――ぷぱっ! こ、これでどうでしょうか……!」


 頬を赤く染めながら、リタはエイトールの唇から離れる。

 つー、とお互いの口を伝う唾液の糸。

 それを見て、リタの頬はより赤く熟れていくが――。


「……ま、まだダメですか」


 エイトールは苦しげな表情のままだ。

 量が足りない?

 そもそもルビスホーンの唾液では効果がない?

 その原因はわからないが、リタにできることが限られている。

 すぐにリタは次の草を噛み砕いて、エイトールに唇を重ねた。


「ん……んむっ……んっ……」


 そして、五度目の口づけが終わった頃――。


「……リタ……」

「――! エイトール!」


 うっすらとまぶたを開いたエイトールがリタの名前を呼ぶ。

 顔色はだいぶ良くなり、肌の変色もほぼなくなった。

 朱を帯び始めた肌を見て、リタは唾液が毒にいたことを確信する。


「エイトール! もう大丈夫なのですか?」

「……ああ……まだちょっと身体は重いけど……苦しさはなくなった……」

「よ、よかった……!」


 リタは涙目になりながら、エイトールの顔を見る。

 まだ目はうつろだが、身体からは確かな生命力が感じられた。


「ちょっとだけ、寝てもいいか……?」

「はい。好きなだけ休んでください」


 最後の確認をとって、エイトールはまぶたを閉じる。

 看取みとったリタはほっと息を吐き――。

 それからゆっくりと、頬に熱が生まれるのを自覚した。


(わ、わ、私……エイトールと、キ、キ、キスを、あんなに……!)


 いくら緊急事態と言えど、エイトールと五回も唇を重ねてしまった。

 純朴な乙女としては、十分に顔が沸騰ふっとうする案件である。


「こ、これは医療行為ですから!」


 真っ赤になったリタは、誰に聞かせるでもなく言い訳を口にする。

 それを唯一聞いていた白狐が、首を傾げながら『きゅう?』と鳴いた。


 ***


「うっし、復活だ!」


 しばらくして、エイトールは立ち上がりそう言った。

 無理をしている様子はない。

 頬にはだいぶ赤みが戻ってきている。

 どうやら本当に毒を克服できたらしい。

 ルビスホーンの唾液のおかげもあるのだろうが、一番はエイトール自身の身体の抵抗力も強いからだろう。


「本当に大丈夫なのですね、エイトール?」

「ああ、ありがとうリタ! お前のおかげで助かった!」

「ふふっ、構いませんよ。私こそ、エイトールには何度も助けられましたし」


 リタは穏やかに笑う。

 エイトールの元気な声が聞けただけで、命をかけた甲斐があったと思えてしまう。

 随分と安い女になったものだな、と少しだけ呆れた気持ちを浮かばせながら。


『きゅん!』


 と、そこでふたりの間に割って入る獣の影。

 くだんの白狐が軽快に駆けてきて、リタの足を登り始めた。

 そして肩に自分の居場所を求めれば、エイトールを眺めて『きゅん!』と泣く。

 これにはリタもエイトールも驚きだ。


「なんだ? いつの間にペットでも飼ったのか?」

「違います……けど、お前が助かったのはこの子のおかげでもあるのですよ」


 そう言って、リタはこの白狐と会った経緯を説明する。


「なるほど。お前も俺の命の恩人……恩キツネってわけか。ありがとよ」

『きゅん!』


 エイトールが礼を言うと、白狐は嬉しそうにリタの肩の上でぴょんぴょん跳ねる。

 なんとなく、エイトールと白狐の仲がいいのがリタには嬉しかった。

 どれどれひと撫でしてやろうかと、エイトールが腕を伸ばすと――。


『きゅん!』


 元気な鳴き声と共に、白狐はエイトールの手を躱してしまう。

 そのままリタの肩から飛び降りて、地面に着地。


「こら、エイトール。ダメですよ、そんな急に触ろうとしちゃ」

「わ、悪ぃ、お前の身体に登るくらいだから人懐ひとなつっこいのかと……」

「それは私とこの子が仲良しだからですよ。ほら」


 謎の優越感で笑みながら、リタは白狐に手を伸ばす。

 が、先ほどと同様に白狐はリタの手をひらりとかわしてしまった。

 あれ? あれれ? と首を傾げるリタにエイトールはにんまりと笑いながら――。


「仲良しが、なんだって?」

「……真の友情に芽生えたもの同士はあまりベタベタしないものなのですよ。そこらへんがわかっていないから、お前はデリカシーがないと言われるのです」

「無理やり俺の悪口に持っていかれた!?」


 驚きの表情を浮かべるエイトールだが、ふとそれに気づく。

 リタの手をかわした白狐。

 少し離れた位置にいる獣は、首だけをこっちに向けてじっと待っている。

 まるで――。


「ついてこい……って言ってるみてぇだな」

『きゅん!』


 元気な鳴き声と共に、白狐は森の奥へと進んでしまう。

 リタとエイトールは一度だけ互いの顔を合わせ――。

 すぐに頷き、白狐の姿を追った。

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