第5話 魔術師は命を燃やす

 時間は少しさかのぼる――。


 リタを乗せた馬車はクリスタの街に向かうため、街道を進んでいた。

 ガタゴトと車輪が地面を転がる音。

 ただその音だけが耳に響く、静かな旅路だった。


「リムスフィア様、帝都には五日ほどかかる予定です。本来であればもっと早く着くはずなのですが、オフェーリア派の襲撃を考えると遠回りせざるを得なく」

「構いません。お任せします」


 気丈な態度でリタは言い切った。

 対面に座った女魔術師は、ふっと微笑む。

 年若い、昨日までは学生だった皇女。

 心の中は不安でいっぱいなはずなのに、その素振りを見せずに彼女は次代の皇帝であろうとしている。

 不遜かもしれないが、女魔術師はその姿に感動を覚えた。


「ご立派になられましたね、リムスフィア様」

「え?」


 女魔術師の声に、リタは驚きながら顔を上げる。

 その視線を察した魔術師は、フードを取って顔を見せた。


「ルミエラ! あなただったのですね!」

「はい。リムスフィア様が皇帝になられると耳に挟み、居ても立っても居られず護衛に立候補してしまいました」


 黒髪の女魔術師はそう言って、優しい笑みを浮かべる。

 彼女の名は、ルミエラ=パーチェム。

 先祖代々イスカ皇族家につかえる魔術師の家系の長女だ。

 そして幼いリタに魔術の基礎を教えた家庭教師でもある。


「授業をサボって遊んでばかりだったあのリムスフィア様が、こんなにも立派になられて……ルミエラは感動で涙を流してしまいそうです」

「わ、忘れてください! あの頃の私は若かったのです……」


 リタが恥ずかしそうに顔を赤くする。

 だけど、その顔はさっきよりも元気そうだった。

 学校をってからはずっと沈んだ表情だったのだが、どうやら少しは姫様の元気に一役買えたらしい。

ルミエラはそう心に思いながら、口を開く。


「リムスフィア様。あなたは賢いお方です。そして優しさもあり勇気もある。きっとよい皇帝になられるでしょう」

「……ルミエラ」

「この国をお願いします。そのために私は身命を捧げます」

「……」


 ルミエラが言葉にしなかったことを、リタは正確に読み取った。

 オフェーリアを皇帝にしてはならない。

 あの皇女の本質は悪であり、その先に待っているのは帝国の滅亡だ。

 それを止めることができるのはあなただけだと――。

 ルミエラは強い眼差しでリタを見つめる。


「わかっています。私がこの国の皇帝に――」

「悪いがそれは夢物語だ」


 無礼にも、皇女の言葉を遮ったのはルミエラの隣に座っていた騎士。

 と、同時に馬車が止まる。

 ルミエラは驚きながら声を上げた。


「な、何をしている! さっさと馬車を進めろ!」

「それは出来ない相談だな」


 先ほどの高圧的な口調のまま、隣にいた騎士が狭い馬車の中で剣を抜いた。

 それを見てからのルミエラの反応は早かった。


「――『爆ぜる火種よヴァルゴ』ッ!」


 リタを庇いながら、初級の爆発魔法を発動する。

 弾けた爆風に自ら乗って馬車から脱出したルミエラは、すぐに立ち上がった。


「ル、ルミエラ……っ」

「……私の後ろに。ご安心ください。リムスフィア様のことは私がお守りします」


 地面に尻餅をついたリタを背中に庇いながら、ルミエラは前を向く。

 火を上げる馬車。

 その煙の中から、剣を抜いた五人の騎士が現れる。


「……お前たち、裏切ったのか?」

「次の皇帝はオフェーリア様だ」

「くっ、そういうことか!」


 オフェーリア派の襲撃が来るとは思っていたが、まさか護衛の中に紛れ込んでいるとは思わなかった。

 否――もはや紛れ込むなどという生温い表現は適切でない。

 護衛六人のうち、五人が敵の間者。

 この場ではむしろ、ルミエラの方がはみ出し者だ。


「ようやく人気ひとけのないところまで来れたからな。これで心置きなくあんたたちをぶっ殺せる」

「……分かっているのか、お前たち。女帝陛下が次代の皇帝に指名されたのはこちらにおわすリムスフィア様だ。皇帝の命令に逆らうつもりなのか?」

「国への忠誠よりも出世だよ。オフェーリア様は約束してくれた。暗殺に成功すれば俺たちを貴族にしてくれるって。辺境出身の騎士にしちゃあ大出世だろ?」

「……この屑共くずどもめっ!」


 ルミエラは怒りを込めながら杖に魔力を込める。

 彼女の周りに、ボボボボボッ! と、炎の球が幾つも生まれた。


「リムスフィア様、逃げてください。街道から外れて林の中に」

「ル、ルミエラ……あなたは……」

「私はここで時間を稼ぎます。一秒でも多く」


 ルミエラは振り返らない。

 しかし、その背中が宿した意思は否応にも理解できた。

 その背中が物語る不屈の覚悟がリタには痛いほど伝わった。

 彼女はここで死ぬつもりなのだと……。


「だ、ダメです、ルミエラ……一緒に逃げましょう……だって……」


 朱色の瞳に涙を溜めながら、首を横に振るリタ。

 ひとりぼっちにしないでと。

 迷子の子供が母親を求めるかのようなその声に――。


「甘えるな、リムスフィア!」


 ルミエラが選んだのは優しい言葉ではなく、厳しさを孕んだ叱責だった。


「あなたは皇帝になるのだろう!? 多くの命をその肩に背負うことになるんだろう!? なら、私ひとりに慈悲など持つな! 切り捨てる覚悟を持て! 振り返らない強さを持て! 立って進め! 前へ進め! 己の足で!」

「――っ!」


 それは護衛としてではなく、家庭教師として。

 彼女を教え導く立場としての師としての言葉だった。

 おそらくは最後になるだろうルミエラからの教えを聞き――。

 リタは涙を飲み込みながら立ち上がった。

 そうして自らの足で走り、街道から外れた林の中に逃げ込んだ。


「ああ、やはりあなたはお強い方だ……」


 林の中に消えるリタの姿を見送り、ルミエラはそう微笑む。

 大切に想ったものを大切に想ったまま切り捨てられる。

 彼女には、涙を流しながらも前を向こうとする気丈な心がある。

 その強さは紛れもなく皇帝の気質だ。

 きっと彼女はいい皇帝になる。

 この国を素晴らしい方向へと導いてくれる。

 ならば、そのために己の命を使うことに躊躇いはない。


「……いえ、嘘です。強がりました」


 本当は、もっと彼女のことを見ていたい。

 彼女が皇帝となったこの国のいく末を見てみたい。

 でも、もはやそれは過ぎた願い。

 叶いそうにない妄想に線を引き、ルミエラ=パーチェムは眼前の敵を睨む。


「来るがいい、悪賊あくぞくども。命を捨てた魔術師の怖さを教えてやる」


 今ここで、ひとりの魔術師が未来の皇帝のために命を燃やしていた。


 ***


 あらゆる条件がルミエラに不利だった。

 詠唱を必要とする魔術師はそもそも単体での戦闘を想定していない。

 前衛を担う騎士がいて、初めて成立する後衛職だ。


 ましてや今回は守るための戦い。

 リタを追いかけようとする騎士がいれば、己の危険をかえりみず、その追跡を止めなければいけなかった。

 既に接近を許した騎士五人を相手に、孤軍での奮闘。

 それだけ不利な条件下で二時間の時を稼ぎ――ましてや三人を仕留め切ったルミエラ=パーチェムには万感ばんかんの喝采を送るべきだろう。


「はぁ、はぁ……こ、この化け物め……!」


 魔術で顔の半分を焼かれた騎士が悪態を吐く。

 その眼前には胸から矢を生やした瀕死の魔術師の姿があった。


「……ひ、姫様、は……私が、まも、る……」


 もはやうつろな目で決意を呟くミリエラ。

 流れ出る血を見れば、その命が長くはないことは明白だろう。


「……時間をかけ過ぎた。さっさとリムスフィアを追うぞ。街にでも逃げ込まれたら厄介だ」

「お、おう……」


 残ったふたりの騎士は、仲間の亡骸もそのままに林へと入る。

 彼らを止める力は、もうルミエラには残っていなかった。


(も、もう……私にできることはないのか……?)


 指先すらまともに動かないルミエラは――。

 それでもまだ、自分に何かできないかと考え続ける。

 だが、たいの身体で出来ることなどもはやなく――。

 ただ緩やかに死を待つばかりとなったその時間の中――。


「お、おい、どうしたんだあんたっ!?」


 ひとりの少年が、そこに現れた。

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