第6話 2年越しの初対面

 本庄に頼み事をした翌日。

 いつもと同じ時間の電車に乗ると、向かって正面のいつもの場所に小川が座っていた。彼女はいつも通り英単語帳に目を通している。


 ただ、一つだけいつもと違うのは。

 彼女の鞄の持ち手に、猫のキーホルダーが付いていたこと。


「あっ……」


 驚きと嬉しさからか、思わず声を上げてしまった。

 目の前の小川にも、その声は届いていたようだ。

 彼女は単語帳から顔を上げ、形のいい眉を軽くひそめるようにして、じっとこちらを窺っている。


 ばっちりと、目が合った。

 この2年間で一度も生まれなかったきっかけが、予期せぬ形で生まれた。


 やばい、何か言わなきゃいけない。

 未だかつてないこの状況に、脳みそをフル回転させて言葉を絞り出す。


「えっと、その……小川、だよな? C組の」

「……そっちは確か、小林だったよね? B組の」

「うん、そう……というか、よく知ってるね、俺の苗字」

「まあ、野球部のキャプテンだし……電車でも、ちょくちょく見かけるから」

「そ、そうか」


 そこで一度、会話は途切れた。気まずい沈黙が、その場を覆う。

 何か、何か話題を捻り出さないと。

 こちらが焦り始めたその時、 小川の方から口を開いた。


「……座る? 隣」

「え? ……でも、いいのか? その、俺なんかが隣に——」

「私は別に、構わないけど」


 つい出そうになる卑下の言葉を聞きたくないというように遮って、小川が言う。

 彼女の声は、心なしか震えているような気がした。


 もしかしたら、緊張しているのかしれない。

 それでも彼女は、勇気を出してこちらに一歩踏み込んでくれた。

 なら、俺もそれに応えないと。そう思うと、不思議と勇気が湧いた。


「……じゃ、遠慮なく」


 小川の身体に触れないよう、肩を精一杯窄めて座った。

 その距離まで近づかないと分からなかった、彼女の匂いがフワッとこちらまで漂ってくる。何が何だか分からなくて、やっぱり俺は何も言えなくて——。


 ふと、例のキーホルダーが視界に入った。

 そうだ、こうなったそもそもの原因もこいつだった、と思い出し、その場しのぎの話題にとそれを指差す。


「……その、キーホルダー」

「……ああ、これ? 友達から貰った。本庄亜美って子。B組だから、小林も絡みあるかも」

「うん。というか、前の席」

「そっか。……どう、亜美?」

「どうって、まあ、普通にいいやつだと思うけど……」


 小川は探るような目でこちらをじっと見つめた後、ふっと息を吐いた。

 それから、キーホルダーの猫を撫で、軽く微笑む。


「……ちょっとブサイクだよね、こいつ」

「そ、そうか? そんなことないと思うけどな」

「同じこと、亜美も言ってた」

「……へえ、そうだったのか」

「……何、今の間。なんか怪しい」

「え? いや、怪しいことなんかないって。フツーだよフツー」

「ほんとかな?」

「ほんとだって」

「……」


 再びこちらをじっと見つめる小川相手に、冷や汗を流しながらも沈黙を保つ。

 すると、小川がくすりと笑った。

 冗談、と彼女は言い、なんだ、と俺はほっと一息つく。


 それからまた少しの間、その場に沈黙が舞い降りた。

 でも、さっきよりは居心地がいい。

 不覚にもキーホルダーが、1年分くらいの距離を縮めてくれたみたいだ。

 もう1年分は、自分で頑張るしかないけど。


 そんなことを考えていると、今度は小川の方が「……それ」と何かを指差した。

 その指の先を目で追うと、そこにあったのは昨年純平から貰ったお守り。

 俺がこれ? とお守りに触れると、彼女はこくりと頷く。


「……そっちと同じで、友達から貰ったんだよ。畑中純平ってやつ。って、ウチのエースだし、小川も知ってると思うけど」

「うん、去年同じクラスだった」

「そっか……まあ、なんだかんだで気に入って、ずっと付けてるんだ。ご利益があるかどうか、ちょっと微妙だけど」

「……私はあると思うけど、ご利益」


 その時の小川の声に、ほんの少し不満げなものを俺は感じた。

 隣を窺うと、そっぽを向いて軽く口を尖らせる彼女が見える。拗ねているみたいだ。


 その顔を見ていると、なんだかたまらなく彼女が愛おしく感じた。

 野球とは全く関係ないけど、確かに今のこの状況は、ご利益があると言えるかもしれない。そう思った。


「……やっぱりあるかも、ご利益」

「でしょ?」


 俺が意見を翻すと、小川はなぜか勝ち誇ったように笑う。


* * *


 電車が学校の最寄り駅に着いた。

 それまでの時間は、あっという間のようにも、永遠のようにも感じられた。

 不思議な時間だった。まるで魔法がかかってたみたいだ。


 鞄を肩にかけて立ち上がると、隣で小川も同じようにしている。

 自然と二人、並んでドアから出る格好になった。


 なんとなく顔を見合わせてから、同時に駅のホームへ一歩踏み出す。

 朝日の眩しさに目を細め、改札口へ向かおうとしたその時——。


 彼女の右肩にかかっている鞄に付いたキーホルダーと、俺の左肩にかかっている鞄についたお守り。

 二つが持ち主の動きで揺れて、そっと触れ合うのが視界の端に見えた。


 魔法はまだ解けてない。そんな気がした。

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2年越しの初対面 佐藤湊 @Kabutomusi

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