好奇心は人を殺す?

粉川航畄

好奇心は人を殺す?



「あれは絶対に犯行予告だ!」



時刻は朝の8時25分。教室に大きな声が響いた。


登校時刻ということもあり教室内の人口は増え、その全員の視線が声を発した男子生徒へと集まる。


彼の名前は中野なかの慎太郎しんたろう。眼鏡をかけた長身の黒髪の青年。黙っていれば利発そうな線の細い見た目だが、容姿とは裏腹に考えるよりもまず行動派であり、脳みそまで筋肉が詰まっているのではないかともっぱらの噂である。


教室内の全員が「いつものことか」とまた各々が自身の話へと戻っていき、にわか騒がしくなる。


彼は今、昨日自身が目撃した奇怪極まりない出来事を目の前に座る女子生徒に語っていた。彼女は眠たそうにあくびをすると至極面倒臭そうに慎太郎を見た。



「朝からうるさいよ。慎太郎君。もう少し声の大きさを下げてよ」



彼女の名前は日比谷ひびや透子とうこ。慎太郎の幼稚園からの幼馴染で長い黒髪のストレートが特徴の黒目が大きな少女。朝が弱く、そのせいでホームルームに遅刻することもしばしばあり、いつも1限目は彼女の睡眠時間で2限目まではあくびをしている。今日は珍しくホームルーム前に登校できたようだ。



「朝はね、頭が働かないの。だから静かに過ごすか二度寝の時間なんだよ。後で聞くから自分の席に戻って」


「いや、今話したい!人命がかかっているかもしれないんだ」



慎太郎は元来知りたがり・話したがりな性格で、疑問なことがあれば即透子に話を持ってくる。その性分は死ぬまで治りそうにない。


あくびで出た涙を指で拭きながら、透子は観念したように小さくため息をついた。



「……あと10分でホームルームが始まるけどそれまでに話は終わる?」


「終わらせる!」



彼はそういうとニヤリと笑い、透子の前席の椅子を引いて座ると事の顛末を語り始めた。



*



慎太郎は半年ほど前から知り合いの紹介で街中まちなかの喫茶店でバイトを始めた。それなりに古い喫茶店だが、蔦が絡まる赤茶色のレンガ造りの外観・内装はどこか外国の洋館のようで美しい。店内の要所に並ぶ本は客であれば自由に読める。慎太郎は仕事にも慣れ、やっと常連客の顔と名前を覚え始めた。常連の半数以上が近所に住む者なのだが、その中で1人、素性が明らかでない女性がいた。


50〜60代くらいの背の高い“婦人”。席はいつも奥の壁際の席を選ぶ。以前窓際を進めたところ「壁際で良い」と断られてしまった。職業は不明。服装はシンプルで持ち物はオレンジ色のレザートートバックのみ。大体水曜日と土曜日に訪れコーヒーを一杯だけ頼み、本を読んで数時間後帰っていく。はじめはかなり不機嫌そうに眉間にシワを寄せていることが多いが、退店時は気分が良くなったような顔で出て行く。


ここまでで少々謎な人物である事は明らかだが、つい先日の火曜日、慎太郎は見てしまった。


シフト外だった筈が間違えて出勤し、成り行きでそのままバイトをこなしていた所、例の“婦人”が来店しいつもの場所で同じコーヒーを頼む。すると少し経ってから40代くらいの男性が来店し、“婦人”の座る席へ同席した。



*



「半年間!俺は半年間も働いていて、“婦人”が誰かと同席したのを見たのは初めてだった!」


「うるさい、声がうるさい」



慎太郎は拳を握り、まるで未確認生物を目撃したかのような勢いで熱く語る。彼の声の大きさに透子は眉間にしわを寄せ、目を細めて椅子にもたれかかる。



「その“婦人”が男性と同席したから何だっていうの?」


「言いたい事はわかるがこの後が重要なんだ」



*



2人はとても小さな声で話をしており、店内に流れる心地の良い音楽も相まって話の内容は全く聞こえなかった。“婦人”と同席した男性のコーヒーを運ぶと、慎太郎はそこで奇怪な言葉を耳にした。



「ーー先月は2人殺した。今月はあと1人殺さなくてはならないわ」



発言をしたのは、あの“婦人”。続いて男性が口を開いた。



「しかしーーでは、そうなるとーー」



視線に気がついた2人は話す事を止めると、不機嫌な顔で“婦人”は慎太郎を睨んだ。彼は一瞬たじろいだが、背筋を伸ばし堂々とコーヒーを置いた。



「失礼いたします。コーヒーをお持ちしました」


「ありがとう」



“婦人”はお礼を言うと先程よりも小さな声でひそひそと話を続けた。


数時間後2人が退店し不思議に思った慎太郎は店長に“婦人”が何者なのかを問い質したものの、店長は何も知らないの一点張りだった。



*



「あの2人は殺人について話していた、今月どこかで死体が出るかもしれない。あれは絶対に犯行予告だ!」



彼は朝一番に放った言葉を再度繰り返した。「しかも連続殺人」と付け加えて。彼女は腕を組んだまま閉じていた瞼をゆっくりと開いた。



「予告っていうか慎太郎君がたまたま勝手に聞いたんじゃない。……火曜日ねぇ……その日の変わった様子は?」


「そうだなぁ……あ、“婦人”がいつになく不機嫌そうだった。男が先に去った後その日は変わらず不機嫌なまま出て行ったよ」


「ふーん……」



透子は机に肘をつき、手に顎を置くと再度目を閉じる。彼女は何かを考える時、目を閉じる癖がある。



「慎太郎君、シフトはいつもどのくらい入れてるの?」


「平日は水曜と木曜の16時から。あとは土曜の開店11時から17時まで入っている。その中で俺が婦人を見かけるのは水曜と土曜だけだ」



すると慎太郎はあっと声を上げて話を続ける。



「そういえば店長は開店前、時折常連に喫茶店の場所を開放しているらしい」


「場所を開放?」


「開店前のまだ客を入れていない時間帯、軽い商談や面接、在宅勤務の人にね。常連客だけ特別に、どうしても場所がないとか家じゃ話しにくい会議とかの時に。時折そのまま開店まで居座ってのんびり休憩していく人もいるようだけど」


「“婦人”は常連なんだよね。ならそれに該当するわけだ」


「そうだな。店長は“婦人”の素性を詳しくは知らないと言っていたけど、常連なのは確かだ」


「ちなみに喫茶店の平日の開店時間は?」


「平日は午後13時から開店だ」


「なるほどね」



彼女がそう言いながら大きくあくびをすると、丁度教室に教師が入ってきた。立ち話をしていた生徒たちは次々と席へ帰ってゆく。慎太郎は残念そうに席を立つと彼女は小さな声で言った。



「慎太郎君、なんとなく答えはわかったよ」


「何だって!?」


「……でもわざわざ隠し事を暴くのはどうかな」


「どういうことだ……?」



教室内に慎太郎の声が木霊し静まり返る。教卓に立った教師がため息をついて一言を放つ。



「……中野、ホームルームの時間だ。早く席につけ」



*



慎太郎と透子の2人はお昼休み、学校の屋上にいた。透子はかなりぐったりとしている。というのも休み時間の度慎太郎に詰め寄られ彼女は疲れ果てていたのだ。しかしそんな彼女とはお構い無しに慎太郎は再度詰め寄る。



「透子、答えを教えてくれ!それに隠し事とはどういうことなんだ?」



彼女はサンドイッチを噛んで飲み込むと、遠くを見ながら静かに口を開いた。



「……好奇心は猫を、あるいは人を、あるいは貴方を殺すかもしれない。あまり勘繰らない方がいいよ」


「そうだとしても黙って見過ごすわけにはいかない。そういう性分なんだ」


「……なら今から確かめにいく?」



透子の意外な一言に慎太郎は彼女の顔を見る。



「今日は水曜日」


「婦人が来る日か!なら行こう!街の平和のためだ」



慎太郎は勢いよく立ち上がると、だらしなく壁にもたれかかった透子の手を引き、立たせる。



「私の平穏は崩されているけどね……」


「透子の平穏も必ず俺が守ってみせる」



彼は至ってまっすぐな目でそう言うので、彼女はほんの少し驚いて目を奪われてしまう。



「さあ行くぞ!」



しかしすぐにいつもの脳筋に戻るので全ては一瞬の出来事である。



*



午後の昼下がり、街中に制服姿の男女はかなり目立つ。そこで「部活動の大会帰り」という設定でカモフラージュをする為に彼らはむき出しの木製のバットと竹刀を体育準備室で失敬した。しかしはたから見ると殴り込みのようでかえって目立つことに2人はかなり時間が経過してから気がついた(ちなみに透子は友人にスカジャンを借りて羽織っている)。


そんな中、なんとか2人の目の前には慎太郎のバイト先の喫茶店が見えてきた。



「あ!あの“婦人”だ」



慎太郎の目線の先にはシンプルな格好の背の高いオレンジ色のレザートートバックを持った例の“婦人”が歩いていた。きょろきょろと軽く周囲を伺うと、彼女は「clause」の札がかけられたままの喫茶店にするりと入って行った。


そのまま店の斜向かいの植木に隠れて暫く待つものの、“婦人”は一向に出てこない。



「店長は何か知っていそうだね」


「そういえば秘密を隠しているような濁し方だったな」



2人は喫茶店に駆け寄ると、慎太郎が勢いよく喫茶店のドアを開けた。



「店長!一体何を隠しているんですか!」


「わぁ!中野君!?君、学校は!?その女の子誰!?」



カウンターの中にいた店長は驚いた様子で慌てふためく。それもそのはず、慎太郎は忘れかけているであろうが、バットを左手に握ったままなので単純に「怖い」という反応が正しい。そして目の前のカウンターを挟んだ向かいには“婦人”が鎮座し目を丸くしている。


その様子を見るや否や、慎太郎はカウンターに入り店長の両肩を掴むとガクガクと前後に揺らす。



「今日はサボりです!一緒の彼女は幼馴染!“婦人”に何か弱みを握られているんですか?話してください!俺では力不足ですか!?」


「お、落ち着いて!一体何の話!?」


「そうだよ慎太郎君。まず落ち着こう」



後ろにいた透子は丁寧に扉を閉めると、カウンターを通り過ぎ竹刀をステッキのように床を軽く叩くと店内をぐるりと見上げる。



「いいお店ですね。本もたくさんある」


「透子、いい店なのはわかるがこの“婦人”は一体誰なんだ?殺害の犯行予告をしていたんだぞ」


「何の話よ」



“婦人”は表情こそムッとしてはいるが落ち着いたまま頬杖をついている。透子は混沌としたカウンターの眺めを見るとくすくすと笑った。



「慎太郎君。彼女は作家だよ。ジャンルは……そうだね、ミステリーとか。そうでしょう?」


「作家!?」



店長はちらりと“婦人”を見ると、彼女はつんとした表情のままコクリと頷いた。すると店長は深いため息をつき、ゆっくりと口を開いた。



「彼女の名前は市ヶ谷いちがや芳乃よしのさん。又の名を……」


「“吉野谷よしのたにいち”。ご明察のミステリー作家。紙の上で人を殺すの」



店長の声に被せて“婦人”……もとい作家の“吉野谷壱”ははっきりとした声でそう言った。慎太郎は驚いて目を丸くするが透子は微笑んだままだった。



「本当なのか……」


「慎太郎君が聞いた『先月は2人。今月はあと1人』の話は物語の中の出来事だよ。現実の犯行予告じゃあない」


「じゃあ、あの一緒にいた男性は……」


「担当編集者ってところでしょう。多分編集者と会うときは慎太郎君のシフト外の時に会っていたんだろうね。でも先日たまたま慎太郎君は来てしまった」


「“吉野谷壱”は俺でも聞いたことがある。しかし、顔を見たのは初めてだ」


「そりゃあそうよ」



“吉野谷壱”はじろりと店長を睨むと、彼は眉をハの字に下げ「申し訳ない」と謝った。その様子を見て慎太郎は首を捻る。



「もしかして意図的に姿を隠しているのですか?一体なぜそんな必要が?」


「人前に出るの嫌いなんだもの。目立つのも嫌い。担当編集や家族にも口止めしてるくらいよ。私の住所を知っている人はごくわずか。あと子供はすぐに色々と勘ぐるし苦手だわ。この通りバレちゃってるし」



彼女はそう言うと不機嫌そうに、ふんと鼻を鳴らすとコーヒーを飲んだ。透子が言っていた『隠し事』とはそういう訳だったのかと慎太郎は納得して何度も頷いた。しかし隠し事がバレた割には“吉野谷壱”はあっさりとした態度である。



「だから俺のシフト外で、窓際の席も好きじゃないのですね」


「店長は“吉野谷壱”さん……つまり市ヶ谷さんと仲が良いんでしょう。それか昔からの知り合い。だから彼女の事情を把握している。だって店内の本棚に彼女の本が全部並んでいるもの」


「彼女が昔、作家になりたての頃からの知り合いでね。初版本をいつも彼女がプレゼントしてくれるんだ」



店長が優しくそう言うと「余計なことをいうんじゃない」と眉間にしわを寄せる。その様子を見ていた透子はまたもくすりと笑い話を続けた。



「基本は休憩でここに来るけど、時折執筆作業も行うんじゃないかな?例えば水曜日とか。で、慎太郎君がバイトに来る頃には作業を終えて休憩してる。土曜日は仕事も全部お休みで来ているんじゃない?」


「そういえば確かに水曜日はバイトに来るとすでに来店しているな……」


「きっといつもお持ちのレザーのトートバックの中には作業用のノートパソコンが入ってるよ。窓側の席にはコンセントプラグが限られている。壁際なら独り占めができるし、原稿を後ろから見られることもないだろうしね」


「これまた当たり……このお嬢さん感が鋭いわ」


「店長、失礼しました」


「や、やっと離してくれた……」



慎太郎の強い力で肩を握られた店長はようやく解放され肩を回す素振りをした。


透子がにっこりと笑うと、“吉野谷壱”が一際感心の眼差しを向ける。彼女は慎太郎と透子の2人の顔を交互に見つめると、ぱあっと笑顔になった。



「いいわ!すごくいい!店長、私今日は家で書くわ!いいアイデアが浮かんだの!」



目を丸くする一同を置いて、彼女は席を立ちバックを持つと足早に去って行った。



*



「何故俺が殺されるんだ。この街の危機かもと働きかけたのに」


「働きかけたというよりは“引っ掻き回す”じゃないかな。まぁ、よく頑張ったよ。謎も解けて街も平和なら何よりじゃない」



数ヶ月後、慎太郎は喫茶店で本を読みながら納得のいかないという顔をしていた。著者名は“吉野谷壱”。後日、喫茶店で彼女から2人と店長宛てに本が手渡された。



「最近、次回の展開に煮詰まっちゃっててね、担当編集と話していたの。そういう時はどうしても不機嫌になりがちなのよ……アイデアが浮かばない時はあの喫茶店を利用していてね。今回はあなた達にいい刺激をもらったわ」



彼女の新作書籍では探偵の女子学生と依頼人の男子学生が登場するのだが、途中で依頼人の男子学生は解決の糸口を見つけ口封じに殺されてしまう。しかし、見事それに気がついた女子学生探偵が謎を解決に導く。といった内容だった。


つまり依頼人が慎太郎で、女子学生探偵が透子というわけだ。


売り上げは好調でシリーズ化するつもりらしく、彼女は意気揚々と執筆に勤しんでいるらしい。



「次巻では俺が登場しないじゃないか。そこが一番の不服だ」



やや不貞腐れた慎太郎を見ながら、透子は大きくあくびをする。



「慎太郎君。好奇心は人を殺すんだよ。文字通りね」



透子は本で顔を隠すようににっこりと笑った。



end

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

好奇心は人を殺す? 粉川航畄 @wawawawamozuku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ