第6話 蜻蛉と僕
川沿いの原っぱには、秋風を胸いっぱいに吸い込んだ蜻蛉が銀河の星々のように夥しく集まって飛んでいた。淡く満ちた金色の夕日に照らされて翅が輝いている。
僕は立ち止まって膝に手を付き、弾む息と変に高鳴る鼓動を鎮めようとした。
僕の走ってきた遊歩道は、蜻蛉の飛び交う原っぱの真横に延々続いている。川の向こう岸にも原っぱと遊歩道があり、堤防の先には壁のように高い山が佇んでいた。秋の静けさの中にまだ夏の匂いが残っていると感じるのは、山の木々や原っぱの雑草が青々と繁っているからかもしれない。蜻蛉は静かな空気の中、夏の残り香の上で宝石のように飛んでいるのだ。
遊歩道脇の東屋に腰を下ろし、疲れた体を休める。
こんな時、川までの距離が近かったらそこら辺の石でも拾って投げ入れるところだけれど、川まではずいぶん距離があるし、東屋の中には手頃な石も落ちていないし、何かを投げる元気もない。
はぁ、と溜め息を吐く。
僕は自分でも知らないうちに、幻想や理想、願望というものを心のどこかで抱いていたのだろうか。そうでなければ、こんなに動揺するわけがないと思うのだけれど。
元々あの子は高嶺の花だし、あの子を射止めた先輩はいい人だし、なるようになっただけだ。
あーあ、と思わず声が漏れた。
夏の間、ずっと心が透き通っていたような気がしたのは、きっとあの子のことが好きだったから。
蜻蛉は僕の目の前で滑るように飛んでいる。透き通った翅を震わせながら。
ベンチに手を付き、胸を広げて静かな秋風をいっぱい吸い込む。
このまま肺が破れて星屑が舞って――僕も幻想になれたらいいのに。
優しい夕日が西から原っぱを打つ。山の上に光るのは、本物の星だ。
帰ろう。呼吸も整ったし、もうじき暗くなるから。
東屋を一歩出ると、僕の頭上にまで蜻蛉が飛んできた。
寂しい心を見透かしたのだろうか。ぱたぱた翅を動かしながら、しばらく僕に付いてきてくれた。
夜空からこの町を見守る、月や星のように。
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