推しと私の夢の夢物語

吟鈴

推しと私の夢の夢物語

これは夢だ。夢に違いない。

だって、私は社会人なのだ。学生だったとしても高校は女子高で男と接点など微塵もない。

だから、今この空間に私の好きな翠君と高校生活を送ってるなんてありえないのだ。

「此花、どうした?」

前の席である如月君が私の顔を覗き込んできた。

「う、う、ううんっ!なんでもない!」

如月黒鵜君。Blackcat'sのメンバーでグループのリーダーでもある。

そういえばこの前買った雑誌の取材に、黒鵜君と翠君は同じクラスって書いてあったな…。紫音君、青葉君、山吹君が同じクラスとも書いてあった。みんな人気者で男女問わず人気者だったらしい。

それより何で黒鵜君は普通なのだ?なんで違和感を感じてないの?

「そう?なんともないならいいけど…。なにかあったらすぐに言うんだよ?」

「うん、ありがとう…。」

とりあえず冷静になるんだ私。これが現実なわけないのだから。これは都合のいい夢。学生時代恋の青春ができなかった私の夢なのだ。

斜め右前の席に座ってる翠君の方を盗み見る。私の知ってる大人な翠君より少し幼さが感じられる。

私の視線を感じたのか、翠君が私に視線をよこして首を傾げた。

その姿があどけなさ過ぎて、私は何も言わずに目をそらした。



何事もなく1日が終わった。

夢の中の私は学校から離れたところにあるマンションに住んでるらしい。カバンの中に家から学校までの定期と学生証には住所が書いてあった。

「…は。のは。此花ってば!」

「わっ!み、翠君⁉」

「学生証とにらめっこなんかしてどうしたの?それになんか顔赤いし。」

目の前に翠君。つまり推しがいる。そしてなんか自然とおでこどうしが当たってるのだけど?

「んー、熱は無いな。」

「あ、あの翠君…?こんなことしちゃいけないんじゃ…?」

「なんで?これくらい友達同士でもするだろ?」

うん、そうだとは思うけどね?けど、ファンがたくさんいる翠君がごく一般人の私にやるのはダメだと思うよ??ファンが黙ってないよ?

それに周りにいる女子の視線が刺さる。

「あ…ごめん。回り見てなかったわ。取り敢えず、場所移動しよう。」

「ちょっ、どこに行くの⁉」

私は翠君に手を引かれて教室を後にした。


「よし、ここならいいな。」

連れてこられたのは軽音部の部室だった。つまり、Blackcat'sが誕生したと言われてる聖地。

部室には既に違うクラスである三人の姿があった。

「もぉー、みどりん遅いよー。あれ、黒君は?」

来るのを待ってたと言わんばかりに声を発したのは山吹君。グループの皆に特徴的なニックネームを付けている。

「山吹うるさいよ。此花ちゃんもいつもありがとうね。」

山吹君に突っ込んだのは紫音君。紫音君の言葉を聞く限り、私がここに来るのは初めてじゃないらしい。

「此花~。お菓子頂戴?」

「わっ、青葉君⁉」

背後から静かに抱き着いてきたのは青葉君。青葉君は学生の頃からお菓子が好きだったのかな?って、そんなのんきな事を考えてる場合じゃない。

「こら青葉。此花が困ってるだろ。それにほら。此花も忘れ物。」

後から来た黒鵜君が青葉君を私から引きはがしてくれた。

「あ…ありがとう。」

黒鵜君から荷物を受け取り、カバンの中からチョコレートを取り出す。

「はい、青葉君。チョコでいい?」

「わーい、ありがとう。流石、俺たちのマネージャー。」

「え…?」

マネージャー?誰が??

「おい、ずるいぞ!此花、俺にもくれ!」

今まで黙ってた翠君が顔を近づけてくる。

「ちょっと待って!私がマネージャー⁉」

いつから⁉夢だとしても都合よすぎる夢じゃない⁉

「やっぱり今日の此花おかしいよ。どうしたの?」

どうしたもこうしたもない。この夢すらまだ受け入れられてないのに、マネージャーと言われても信じられない。

「…ごめんなさい。今日はもう帰らせてもらうね。」

私は頭を抱えながら部室を出た。



翌日。次の日になれば現実に戻れるだろうと甘い考えをしていた私は馬鹿だった。

翌日になっても夢は終わってなかったのだ。

深いため息をつきながら教室に入る。

「此花おはよう。体調大丈夫?」

すぐさま話しかけてきたのは翠君だった。

「おはよう。うん、大丈夫じゃないけど大丈夫。昨日はごめんね。」

「それは大丈夫って思っていいのか?まぁ、無理はするなよ。」

「うん。ありがとう。」

これが夢なら長すぎるし、リアルすぎる。

どうしたらこの夢から抜け出せるのだろう…。早くこの夢から抜け出さなきゃいけないのに。

早く…?なんで早く目覚めなきゃいけないと思ったんだろう…。

いやでも、いつまでも夢にいるのはダメだし、いけないと思って当然か。

どうしたらこの夢から抜け出せるのか手がかりを探さないとな。

これまでに分かった事は、学校の敷地外に出たら強制的に意識を失って気付いたら次の日になっているということ。

この夢では学校以外の場所には行けないらしい。

そして、Blackcat'sのメンバー5人以外の声が全く聞こえないし話せないこと。話しかけることもできないし、視線が合うこともない。まるで私がこの場に存在しないかのような。

でも夢なら特定の人としか話せなくても仕方ないか。

まず、話すことができる5人からさりげなくこの夢の世界のことを聞き出してみよう。やることが決まったら善は急げ。私は早速、前の席の黒鵜君に聞いてみることにした。


授業の間の休憩時間。私は前の席にいる黒鵜君の背中をつついた。

「ん?どうした?」

「突然なんだけどさ、黒鵜君って進路決まってる?」

今、この夢の世界は高校3年生。何がきっかけで目覚められるか分からないから、取り敢えず適当な会話で探ってみることにした。

「ほんと突然だね。俺は就職する予定だよ。親にこれ以上負担かけられないし、弟たちもいるしね。」

就職?皆、高校卒業前から活動してたし他の仕事なんてしてる余裕なさそうだったけど…。

これは、他のメンバーにも同じこと聞いてみないとな。

「そうなんだね…。」

「そういう此花は?やっぱり進学?」

やっぱりってどういうこと?

「なんで進学と思ったの?」

「だって翠が同じ大学目指すって言ってたぞ?だから、バンドの活動もこれからは少なくなるって言ってたし。他の奴らも進学や就職活動で忙しくなるから活動が少なくなるのは仕方ないんだけどね。高校卒業したら本格的に活動はなくなるだろうし。」

どういうこと?バンドが無くなる…?Blackcat'sが世に出ずに散るということ?

「此花?」

「え?あぁ…ごめん。ちょっと体調悪いから保健室行ってくる。」

「お、おぅ。一人で大丈夫か?」

「うん。」

頭の中がごちゃごちゃの辿り着いたのは保健室ではなく屋上だった。

フェンスに背中を預けしゃがみ込む。皆、本当は進学や就職を考えててバンドなんてやるつもりなかったのかな…。

夢だったとしてもBlackcat'sが存在しなくなるのは辛い。

「グレーなコンクリートより上に広がる青い空を見たほうが気分明るくなると思うよー?」

頭上から声がして見上げると、そこには青葉君の姿があった。

「青葉君…。」

「此花授業さぼっちゃダメなんだ~」

そう言いながら隣に青葉君が腰を下ろした。

「そういう青葉君だってさぼってるじゃん。」

「俺はいいのー。」

そう言って青葉君は黙り込んだ。何も言わないし何も聞いてこない。

青葉君はグループの中で一番のほほんとしているが、誰よりも察しがいいし周りをよく見ている。

「何も聞いてこないんだね。」

「此花は聞いてほしいの?」

「ううん。」

「それなら聞かないよ。」

聞いてこなくても、私が何を思ってるのか既にばれてそう。

雲が少ない青空を見上げる。青葉君の言った通り空を見てたほうが気分が晴れそうな気がした。

「此花の想いを伝えるといいよ。」

「え?」

「言葉にしないと伝わらない。思ってるだけじゃ分からないよ。」

青葉君の言葉が胸に突き刺さる。言葉にしないといけないのは分かってる。だけど、整理のつかないまま言葉にしても意味がない。

またコンクリートに目線を落とすと頭を優しくなでられる感触がした。

「大丈夫。焦らなくていいよ。」

本当、青葉君はよく分からない。だけど最終的にいつも出てくる言葉は決まってる。

「いつもありがとう。青葉君。」



授業終了を告げるチャイムが鳴り、青葉君と別れた私は図書室に向かった。

理由はある人に会うため。

「山吹君。」

「あれ、此花ちゃん!昼休みに図書室なんて珍しいね?」

記憶のない私には山吹君がどこにいるかなんて分からなかった。だから青葉君に聞いてみたら暇なときは必ず図書室にいると聞いて来てみた。

山吹君曰く、私はほかの時間帯によく図書室に来ているらしい。

「何か聞きたいことでもあるのかなぁ~?」

読みかけの本を閉じて私のほうに顔を向ける。

「うん。ごめんね、読書の邪魔しちゃって。」

「気にしなくていいよ~。この本、もう何度も読んでるから内容覚えてるし。」

山吹君が読んでた本は厚くて表紙も少し色褪せていて古ぼけていたが、とても大切にされている本だと感じられた。

「この本、定期的に読みたくなるんだよねー。理由は自分でも分からないんだけどね。でもこの本読んでると、昔じいちゃんと楽しくピアノを弾いていた記憶が蘇るんだよ。…って、なんか俺のキャラじゃないよな。忘れてくれ。」

「そんなことない…キャラとか関係ないよ!その記憶や気持ちを無にしちゃだめ!それこそ山吹君らしくない!」

自分でもびっくりするくらい感情をむき出しにしていた。だけど、山吹君にはその気持ちを大事にしてほしかった。

「ごめん…。俺、ちょっと弱気になってたのかもしれない。皆、卒業後の事で大変な時期なのは分かってる。だけど、皆と卒業後もどんな形であれバンドを続けたかったんだ…。だから、この前みどりんに高校でおしまいだって言われたときショックでさ…。」

山吹君は普段他人に弱音を吐かない。どんなに辛くても周りを元気づけようと明るく振舞う。そんな山吹君が小さな声を震えさせて、腕で両目を隠しながら呟いた。

「山吹君の想い、伝えよう。隠さず伝えれば絶対伝わるよ。」

さっき青葉君に言われた似た言葉を山吹君に伝えた。

「ありがとう…。なんか、相談乗る側だったはずなのに乗ってもらってごめん。気持ち楽になった。」

気持ちが落ち着いたのか、山吹君の顔はいつもの明るい笑顔に戻っていた。

「ううん。私も山吹君と話せて良かった。ありがとう。」

「俺は感謝されるようなことしてないけどな。でもまぁ、どういたしましてがいいのかな?」

「うん、ありがとう。」



昼休みに色々あって放課後になった。部室には誰もいないだろうと向かってみたら紫音君の姿があった。

「あれ、此花一人?」

「うん、紫音君だけなの?」

「うん。他の皆は今日来ないよ。」

紫音君は何か作業してたのか、再びベースをいじり始めた。

「チューニング。こまめにメンテナンスしてあげないといけないからね。」

そういいながら作業をする紫音君の顔はとても優しい顔をしていた。

「そういう此花はどうしたの?」

「なんとなくここに来たくなって。ここってなんか落ち着くんだよね。」

「あー、分かる気がする。何も考えたくない時とかあると自然とここに来ちゃうんだよね。」

少しの間が空いてから、紫音君が懐かしそうに昔話を始めた。

「俺と翠は幼馴染同士で、小さい頃からよく一緒に遊んでたんだ。そんなある日、翠が音楽の魅力に目覚めて毎日一緒にやろうって誘われたんだよ。そもそも何も出来ない初心者2人が急に出来るわけないって思ってた。けど、あいつの想いはずっと変わらなかったんだよ。『俺とやりたい』って。『俺がいなきゃやる意味がない』ってな。そんなあいつが今、急に辞めたいって勝手すぎる…。俺だけじゃなく、黒鵜や青葉、山吹だって本気で将来バンド人生を覚悟してたのに。」

「紫音君…。」

紫音君が震える唇を強く噛みしめていた。

「悪い…。こんな事、此花に言ってもダメだって分かってるんだけど…悔しくてさ…。」

今日4人の本音を聞いて、皆本当はバンドを続けたいという気持ちが強く伝わってきた。私だってこのまま終わってしまうなんて絶対嫌だ。

この想い、翠君にぶつけよう。嫌われてもいい。どうなってもいい。

ただ、皆が納得してないのに解散なんて間違ってる。

私はまた明日と紫音君に別れを告げて部室を後にした。



「やっと見つけた。」

「此花…。」

翠君は教室の自分の席に顔を伏せていた。机の上には様々な教科書が重なっている。

部室を出てからどれくらい経ったのか分からない。日はもう沈みかけていて、教室の中は薄暗かった。

「どうしたの?帰ったんじゃ…。」

「ちょっと翠君を説教しに来ました。」

「え…?」

何のことか分かってない顔をしている翠君の前に立って、机の上にある教科書を手で思いっ切り払い落とした。

「翠君にはこんなことより他に叶える夢があるでしょ!大切な仲間がいるでしょ!自分で誘っておいていらなくなったら不用品扱い?ふざけるな!私が好きになった翠君はそんなんじゃない!私が好きになったのは、仲間思いでメンバーの中でも一番に輝いていて沢山の人に笑顔を届けられるスーパースターな翠君だよ!夢を諦めて仲間を捨てる翠君なんてだいっっきらい!」

自分でも何を言ったのか分からないけど、言いたいことは吐き出せた気がする。肩で呼吸をしてると静かに泣く翠君の姿があった。

「…俺だって続けたいよ。でも、そんな現実は甘くない…俺のせいであいつらを苦しめるくらいなら今やめてしまうべきなんだよ…。」

「皆の気持ちを聞いたの?辞めたくないって言ってた皆の気持ちを考えた上での答えなの?」

「それは…。」

「ちゃんと言葉にしないと伝わらないから伝えるね。」

私は一呼吸して目の前にいる翠君を見つめた。

「場所なんてどこでもいい。私はBlackcat'sのメンバーの中で楽しくキラキラ輝いて歌っている翠君が好きなの。皆が楽しくやってれば、その場所はステージになるんだよ。だから簡単に夢を諦めないで。」

やっと伝えれた。すると突然自分以外の世界が明るい光に包まれ始めた。やっぱりこれは夢だったらしい。何がきっかけで覚めることになったのかは分からないけど、この世界の翠君に伝えられたから悔いはない。

「此花!俺続けるから!諦めないから!だから……!」


『必ずまた会おうな!』



「ん…」

目を開けると、見慣れた天井に寝慣れたベットに横になっていた。

隣には愛しい人の寝顔がある。

翠君、ちゃんと会えたよ。貴方はちゃんと皆で夢を叶えたよ。

眠ってる翠君の頭を優しくなでると、翠君の目がゆっくりと開いた。

「…此花?」

「起こしちゃったね。ごめんね。」

「ううん。此花、おはよう。」

「おはよう、翠君。」


言葉にしないと伝わらない。夢を簡単に諦めてはいけない。

それらを乗り越えた翠君の現実(いま)の姿。

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