第3話 クラス3モンスター:オーク持久戦

 上段から振り下ろされた棍棒をサイドステップで回避すると、迫力ある激突音が尾を引いた。


 ……すごいな、棍棒を中心に地面が抉れてしまっている。

 もしこれを生身で受けようものなら、文字通り身も心も1つになる濃密な口付けを大地と交わすことになるだろう。

 ファーストキスは海の見える綺麗な夜景でと決めているので、それは御遠慮願いたい。血の海はデートスポットではなくデッドスポットなのである。


(……それでも、まだマシな相手ではあるんだよな。)


 他のクラス3第3階層モンスターが相手であればそもそもここまで善戦出来ていないのだから、一撃の威力が目を逸らしたくなるほど強力でも時間を稼ぐだけならばまだ戦いやすい相手なのだ。


 ただ、だからと言って気を緩める余裕まであるかと言うと、そこまでの優しさをクラス3に求めてはいけない。

 オークは棍棒を振り切った体勢からでも膂力任せに横薙ぎの追撃を繰り出してきた。


(この攻撃がキツい!)


 棍棒のサイズもあって避け難い横方向からの攻撃が実に厄介だ。攻撃速度は遅くとも攻撃範囲が広すぎる。

 事前にバックステップで距離を離していなかったら捉えられていただろう。常に動き続けなければ容易く死に呑み込まれてしまいそうだ。


(綱渡り過ぎる……!)


 これが筋力の、そして階層の差か。そこには生物としての『格の違い』が確かに存在していた。



 ダンジョンは階層が増す毎に加速度的に難易度を上昇させる。要するに、第1階層では冒険者に狩られていたモンスターが、次の階層からは立場が逆転するのである。

 魔道具を駆使したとしても、人の身で・・・・対処できる限界はせいぜい第2階層。


 それなら第3階層は?

 第3階層では……ついに人の常識が通じなくなる。


「GAAAAAA!!」

「くっ……!」


 棍棒の大振りはまるで台風のように、オークを中心として辺り一面に暴力を撒き散らす。

 攻撃範囲からは逃れているので直接的なダメージこそ無いが、突風による衝撃と撒き散らされたつぶてまでは防ぎようがない。このレベルの攻撃になってくると、致命傷を避けるだけで精一杯だった。


(こっちはもうボロボロだって言うのに、オークは元気だなぁ……。)


 衝撃を生み出す攻撃フルスイングならばそれなりに体力を消耗してもおかしくはないのだが、オークが動きを止める様子はない。そして、この攻撃も既に1度や2度では無い。


 もしかして、傷の治癒能力だけじゃなく体力も尋常ではないのだろうか。オークの見た目はどちらかと言うと肥満体型なのだが……このままではこちらの限界が先に訪れそうだ。


 肉体的だけではなく、精神的にも追い詰められていくのが分かる。このままではいけない。



「なぁ、オークさん! ここらで不毛な戦いは止めにして、平和的な解決ってのはどうだろうかっ!?」


 状況の打開策として咄嗟に思い浮かんだのはモンスターとの対話だった。


 モンスター相手に話しかけるなんて普段であれば馬鹿馬鹿しいとさえ思える行動だが、深層モンスターの中には人間の言葉を解するモノも居ると聞く。


 つまり、クラス3のオークならば会話が成立するかもしれないのだ。

 これまで言葉らしき発声は無く、見た目も人より豚に近いが、二足歩行で棍棒を振るう姿からは知性の片鱗を感じられなくもない。これは、イケるのでは?



「無論、タダで見逃せとは言わない。 見逃してくれるのなら、相応の品を提供する!」


 敵対しておいて今更の命乞いは虫が良すぎるだろう。それでも、初撃以外に一切攻撃的行動を起こしていないのだからそこまでヘイトを買っていない可能性はある。

 であれば、言葉さえ通じれば命乞いも通じるかもしれない。


 もしかしたら羽虫がまとわり付く感覚でヘイトを買っている可能性もあったが、会話を試みるだけならばデメリットはない。

 なんなら、交渉が成立しなくとも時間稼ぎになってくれるだけでも良い。言葉が通じないなら、身振り手振りボディーランゲージでも受け付けるよ?



「Booooo!!」

「え、それ、交渉成立? それとも……ぐわっ!? 意思疎通出来ていないのに、交渉拒絶なのだけはしっかり伝わった!!」


 こちらの言葉を無視して振り回される棍棒を見れば、流石に拒絶の意思表示としては十分だろう。そっちの肉体言語ボディーランゲージはお呼びじゃないんだよ!


 図体の割に小さ過ぎる頭部からは知性の一欠片も感じていなかったので、そうなる気はしていた。つまり、自身のことを『オデ』と呼ぶオークは存在しなかったのだ。



 通じれば儲けもの程度の試みではあったが、それでも可能性の芽が潰えたことには逼迫ひっぱく感を抱かずにはいられない。


(くそっ! 援軍はまだ来ないのかッ!?)


 オークの足止めを始めてから、もうそれなりに時間が経っている。本来であれば既に援軍が来ていてもおかしくはないだろう。

 なにせ、インストラクターは近くに居たのだ。


 オークの攻撃に合わせる形でステップを3度。十分な距離を取ると、それまで使用していなかった遠見モノクル遠聴イヤリングの魔道具に一瞬だけ魔力を込める。

 遠くの情報を瞬時に得られるこれらの魔道具は非常に有用ではあるのだが、さすがに戦いながら使用するには隙が大きくなってしまう。




「……は?」


 一瞬ではあったが、間違いなく魔道具は起動した。慣れ親しんだ魔力が魔道具に流れていく感覚と、聴覚と視覚が遠方でフォーカスされる独特な変化を体感した上で……人影も物音も、何も拾うことが出来なかったのだ。

 近くに居たはずの学生集団は1人残らず居なくなっていた。


(……インストラクターが学生を遠ざけるのは、分かる。)


 学生が居たら戦闘の邪魔になるだけでなく、万が一のことがあればインストラクター資格の停止どころか罰則まで発生するのだから、学生が居なくなっているのはむしろおかしな事ではない。

 おかしいのは、なんでインストラクターが3人も着いていて1人もこっちに寄越さないんだって事である。階層渡りの足止め・討伐は第2階層到達者の義務だろうが!


 動き出したオークに捕まらないよう、サイドステップで回り込みながら居なくなったインストラクターの顔を頭の片隅に留めておく。

 生きて戻れたら、階層渡りを前に逃げ帰った彼らを絶対に報告してやる。



(しかし、そうなるとマズイな……。)


 生き残ったあとの楽しみは1つ増えたが、勿論楽しいことばかりでは無い。むしろ状況は楽しくない方向へと推移している。

 近くに誰も居ないと言うことは、援軍も暫く来ない事が確定してしまったのだ。


(っ!? 今の攻撃は危なかった……!!)


 棍棒が俺の横ギリギリを掠める。忍び寄る絶望感から、思考と肉体操作のバランスが崩れ始めているのかもしれない。



(死にたくない)



 それに、疲労で頭の働きが鈍くなってきた気がする。何かを考えていないと恐怖で体がすくんでしまいそうだと言うのに……そうなってしまえば致命的だ。



(死にたくない)



 援軍はまだ来ないのか?やはり挑むべきではなかったんだ。学生が死ぬことになろうとも、自分の命を優先すべきだった。そうだ、今からでも逃げよう。逃げて、誰でもいいから召喚術師を探すんだ。その人にオークを擦り付けてしまえば良い。



(死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない)






 それは、折れかけた心がどんな形であれ可能性を探し求めたからこそ、目に留まったのだろう。

 叫び声を上げながら棍棒を振るうオークの顔にはモンスター特有の『人間への嫌悪』こそ見受けられたが、そこに『死への恐怖』は含まれていない。


 オークからしてみれば格下を相手にしているのだからそれは当然と言えば当然なのかもしれないが……それでも、どれだけ実力に差があろうともこれは命を懸けた死闘なのだ。

 それなのに、敗北を一切想定していないと言うのは…………いささか傲慢が過ぎるのでは無いだろうか?

 端的に言うならば、そう。






(俺のこと、舐め過ぎでは?)


 それが引き金になったのだろう。自身の内側で燻っていた種火が急速に熱量を上昇させていくのを感じる。

 風前の灯火にだって、燃えている事への矜恃きょうじがあるのだ。


(死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくないけど死ぬのなら……せめてお前も死の恐怖を味わえ)


「はっはははははははははははは」


 オークから視線は逸らさずに慣れた仕草で妖精丸薬を取り出すと、適当な数を纏めて噛み砕く。

 デメリットがなくとも薬物乱用して良い訳では無い。確実に過剰摂取オーバードーズだが、知ったことか。


「GAAAAAA---!!」

「そんな攻撃がっ、当たるかぁぁーーッ!!!」


 再び上段から振るわれた棍棒をステップ1つで避ける。ただし、これまでと違うのは避けた後の立ち位置。後ろではなく前へ潜り込む事でオークの暴力をやり過ごしたのだ。


 振るわれた棍棒が発した風をこれまで以上に強く感じる。今までよりも死が近付いているのだろう。これからは1つのミスが死へと繋がっていく。

 だが、そうして辿り着いたここが俺の戦場だ。


 下手をすると自傷に繋がりかねない足元への攻撃はオークにとってはやりづらいだろう。それに、体型的に足元はあまり見えていないんじゃないかっ?


「Vaoooo!!」

「っ!?」


 攻撃方法を棍棒から蹴りに切り替えてきたか!行動の切り替えが早い。さすがはクラス3モンスターだ。


 だが、蹴撃ならば可動域が決まっているし、初動モーションから先の攻撃を読み易い。避けながら、オークの蹴りの軌道に添える形で短剣を押し当てる。

 これなら、紙で手を切るように俺の力ではなくオークの力で傷が増えてくれるだろう。


 あわよくば、攻撃する度に傷付くことから攻撃を控えてくれれば嬉しいんだが……控えないよなぁ。傷、治るもんな!



「Gooo!!」

「死ぃぃねぇぇぇえッ!!」



◇◇◇



 流石にオークの動きにも陰りが見えてきた気がする。それに、いくら治癒能力が高いと言っても瞬時に回復する程では無かったのだろう。オークの足には少なくない傷が刻まれていた。


 ただ、そのどれもが致命傷とはなり得ない。大口を叩いたところで、俺に出来ることはせいぜいが擦り傷を悪化させた程度なのである。


「っはぁっは……」


 満身創痍なのはオークだけでは無い。オーク相手に至近距離戦を仕掛けた代償はそれまで以上の体力消耗。次の動作に移ろうとした俺の足腰はガクンと滑り落ちた。


 あれ?おかしいな。大怪我をしている訳でもないのに……体が思う通りに動かない。既にオークは棍棒を振り上げている。早く動かないと。

 あ、これ死…………







「ミリー、【ホーリーレイ】!」


 雑多溢れる戦場でさえ凛烈りんれつに鳴り響いた声音と、その直後に発生した一条の光芒を俺は一生忘れ無いだろう。


 『希望の光』を具現化したのなら、このような光彩をしているんじゃないだろうか。そう思えるほどの無垢な輝きは一瞬にしてオークの頭部へと到達。棍棒が振り下ろされるよりも早くに眉間みけんを貫いた。


「くぅ……っ!?」


 間近に発生した極光は俺の視界をも容易くくらませるが、それ以外に肉体的なダメージは感じない。と言うことは、これは完璧に制御された光属性の魔法だろうか?



 時間にして僅か数秒の出来事。

 それでも、光の消失後には頭部を無くしたオークが棍棒の振るう先を見失って消滅していくのだった。

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