第13話 小山内家3

 夕方まで打ち合わせは続いた。前任の村瀬君とどういったやりとりをして仕事を進めていたのか等を交えながら、いま書き終わっている部分から次巻分の執筆時間をだいたいで決め、発刊は三ヶ月後の予定で纏まった。



 時刻は16時半前。



――久内刑事との約束まで2時間半か、暇だなぁ。



 疲れていたので執筆する気力も起きない。映画を一本観れば丁度良い時間にはなるだろう。人は時に何もしたくない、身体を動かすのが億劫になってしまう時がある。それが今なのだ。



 須藤君を駅まで見送って帰宅してみれば、なんとも陰鬱な気分に苛まれるのは、窓から差す不気味な夕陽色に部屋が染まってしまっているからかもしれない。いつもは籠もっていたいと思える狭いアパートの一室が、今だけはまるで殺人現場のように思えてならない。



 壁に背を預けて座ると、隣室からの生活音が壁伝いに聞こえてきた。



 テレビの音。油の跳ねるような食欲を掻き立てる音。調理器具が時々ぶつかりあって高い音が鳴る。隣室の間取りはこの壁の向かい側はキッチンなのかもしれない。この部屋は玄関と居間の間にキッチンがあるが、どうやら全室同じ造りではないようだ。



――隣人の生活を盗み聞くのもいい趣味ではない、か。



 無気力に蝕まれながらもなんとか立ち上がって、部屋の空気を入れ替えるべく窓を全開に開けた。



 カーテンを揺らしながら冷気が部屋に雪崩れ込む。正直もう閉めたいくらいに冷え切ってしまった。寒さが怠惰に甘える脳を刺激する。今後の執筆ペースをおおまかに整理しながら書棚から一本のDVDケースを抜く。デッキがDVDを読み込んでいる間に冷蔵庫から数本の酒とつまみを引っ張り出して座卓の上に並べた。



――村瀬君とこうしてDVDを垂れ流しながら酒を飲んだこともあったな。



 彼は直ぐに酔い潰れてしまう。潰れてしまう前には決まって彼は自分の失敗談などをベラベラと喋り続けていた。俺も酔っていて内容なんて頭に入ってきてはいないが、相づちを打つだけでも彼は満足そうに怪しい呂律で言葉を必死に紡ぐ。



 DVDが再生される。日は落ちて暗闇が部屋を満たしていく。テレビ画面の光に釘付けになる。酒とつまみを交互に口へと運んでいくと良い感じにふんわりとしてきた。酔いが回ってきたのだ。



 あるシーンにさしかかり、「あれ、ここのシーン」異様に村瀬君が食らいついていた場面で、彼はなんと言っていたか。



 科学者が殺された恋人と見紛うことないロボットを創りだし、亡くなった恋人として人間社会で正体を秘匿にしながら生活をする。科学者とロボットは、恋人を殺した犯人に復讐をするといった内容のものだ。そんな彼が食らいついたのは物語のエンディング手前、復讐を果たして、彼女がロボットであることを世間に公表した後にあった。



「あんまりですよね! 極悪の犯罪者一人殺しただけで……、人間に反逆する可能性があるからって解体処分なんて……、彼女が報われないバッドエンドじゃんか!」

「だいぶ酔っているね。でもね、人を殺すのは罪だ。どんなに相手が悪党でも、人を裁くのは人が取り決めた法であって、人やましてやロボットじゃないんだよ」

「だったらホラー映画はどうなんですかぁ! 幽霊が人を呪い殺しますよ。でも、あいつらが人の法で裁かれたエンディングが用意されている映画、観たことあります? ないですよね!」

「一回落ち着こうか。ホラー映画で悪霊が法廷に立たされて、有罪判決を下されたらそれはもはやギャグだよ。幽霊は既に死んでいる、懲役で閉じ込めても簡単に逃げられるし、死刑なんてのは意味の無い行為だ」

「幽霊は二度も死ねませんもんね。すみません、ちょっと正気に戻りました。飲み過ぎちゃったみたいです、僕」

「いや。面白い話が出来たから気にしないで。ほら、水を飲むといい」

「うえっ、気持ち悪いです」

「え、吐くの!? ちょ、ちょっと待って。トイレまで我慢して」



 そんなやりとりも懐かしく、曖昧ではあるがこんな会話だったと思う。確かにハッピーエンドではない作品だ。解体処分される前にあのロボットの子は科学者の男性に笑みを浮かべた。その笑みの意味とはなんなのか。プログラムによって感情や思考を用意されたものを使って人間社会に溶け込むうちに本当の感情が芽生えた瞬間であり、あくまで個人的な意見ではあるが、最期の彼女は確かに生きていたしまぎれもない人間であった。



 一つの使命を与えられた先に待っていたのが解体処分。



「評判はあまり高くない映画だったけど、俺は好きだけどな」



 時間もあと三十分ほどだ。主観的な酔い度でいえばほろ酔い気分。



 ニュース番組を付けるとやはり例の事件を報道していた。まだ犯人に繋がる手掛かりは見つかっていないようだ。海津原さんも千葉県に情報屋の繋がりはないと言っていたから、情報入手にはまだ時間が掛かるだろう。その間にも新たな犠牲者が出てしまうに違いないが、それを阻止するのは俺の役目では無く警察の役目なので、俺がばたついていても仕方がない。



 俺に出来るのは得た情報を警察に伝える仲介役くらいだ。



 一番心配なのは東儀さんだ。



――あの子、犯人に対して凄く怒りや憎しみをあらわにしていたからなぁ。本当に無茶なことはしないでくれればいいんだけど。



 口では何もしないと言ったが、腹の底では犯人を特定してやろうという思いもあるのかもしれない。もし彼女が犯人を見つけた場合、彼女は大丈夫だろうか。この大丈夫というのは彼女の安否もそうであるが、犯人を怒り任せに殺してしまうのではという心配事だ。東儀さんは実戦剣術道場に通っていて、そこの師範からも筋が良いと褒められていた。実際に犯人と対峙した際に、彼女の経験が活きて、自分が生き残る以上の成果をもたらしてしまう可能性がある。



 一人の大人として彼女に誤った選択はさせるべきでない。



 彼女は平穏に将来の夢である時代作家になって成功してほしい。



 そのためには一日でも早く警察には犯人を捕まえてもらう必要がある。



――罪人後六人、か。七つの原罪になぞらえるのかな。



 詳しくは知らないが、高慢、怠惰、暴食、色欲、嫉妬、憤怒、強欲の七つの罪を総じて七つの原罪と言ったか。



 断定するにはまだ情報不足だ。



 しかし、煩悩を宿す脳と身体を切り離す斬首の祭儀。罪人を罪から解放することを目的とされる様式を真似ているのであれば、その可能性も高いと言っていいだろう。



――ああ、なんてことだ。俺はSF作家であって探偵やミステリー作家じゃないのに。



 犯人や犯行動機を考えるのではなく、サイエンスフィクションであるSF的な思考に切り替えなければ、と今一度自分の立ち位置を見直し、事件のことを無理矢理に忘れる。



 そうこうして悩んでいる間に時刻は19時になろうとしていた。そろそろ久内刑事から着信も入る頃合いだ。携帯の充電も十分。



 通話が終わったら二次会を開催しようと、酒とつまみのストックを確認して今のうちにDVDを選んでおく。



――楽しめるときに楽しんだ方が良いからね。

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