第9話 首切り祭儀5

 緊急の全校集会は誰もが予想通り開かれるようだ。天井の高い真冬の体育館で列を作って並ぶ生徒たちは、ニュース番組で報じていた首斬り殺人事件の話題ばかりを口にし、何組の誰々じゃないかなどという予想で沸き、教師たちの注意なんて耳に入っていない様子。



 校長がステージに上がると、今まで注意を聞かずにいた生徒たちは一斉に口を閉ざして視線で彼を追う。普段は校長の登壇なんて異に返さず好き勝手お喋りする全校生徒たちから一身に注目を浴びていた。新しい情報を入手できるかもしれないという好奇心。これからの自分たちがどう行動すべきかの指示に期待して。



「千葉県松戸市内で起こっている事件は知っていることと思います。悲しいことですが、我が校の生徒から被害者が出てしまったこと、この場でご冥福を祈りましょう。当面、部活は活動を休止し、放課後速やかに帰宅してください。警察やボランティアの方々が習志野市街巡回をしますが、人数にも限りがあり全体を見回ることはできません。可能であれば近くに住むお友達と一緒に下校するように」



 やはり事件について深くは語られなかった。大方予想していた内容に落胆まではしなかったが、根本的な解決法ではないと未熟な学生たちでも重々承知している。だからこそこの中の多くの生徒は校長の話を途中から真面目に聞いていた者はいない。いまどきの若者は補導なんて屁にも思わず、夜間外出をしては友人恋人同士で遊び回っている。



 彼等の怖い物知らずは、犯人からしたら格好の獲物であり、より取り見取りの選別を楽しませる。



 寒い体育館での集会も終えて順々に校舎へと移動していく。移動中にはあちらこちらからと例の事件についての話題が聞こえる。誰が犯人か、どんな奴か。目を付けられる基準は。彼等の想像で造られる犯人像は十人十色で、自分なりの犯人像を描いてみたけど誰の物とも一致はしなかった。



 授業は誰もが上の空の中でも進んでいく。私も含めて真面目に教師の話を聞こうとはしていない。もしかしたら次は自分が狙われるのではないかという不安がる生徒。この状況を好奇心で楽しんでいる生徒に別れている。誰がどちらの考えに属しているかは顔色を見れば一目瞭然だった。



 まとまりのない生徒達を注意する教師と目が合ってしまった。曖昧な笑みを浮かべ、ノートに文字を書く振りをしてやり過ごす。



――この空気の中にいるのもしんどいなぁ。



 クラス内は締まらず、きっと他のクラスでも似たような状態だ。このまま早退でもして家に居た方が精神的には健康なはず、という考えに切り替わると段々とこの場所にいることに嫌気がさしてきた。



――よし。



「先生。具合が悪いので早退します」



 生徒の一人が、「次はお前が狙われるんじゃないか? 首回りに鎖でも巻いて帰ったらどう。時代小説好きなんだから、そういうの詳しいだろ?」意味不明な対策を投げられ、「来たらむしろ斬り殺す」とだけ返した。それを冗談だと受け取った生徒は何が面白かったのか、頬を引き攣らせて笑った。



 できたら斬り殺してやりたいという思いは本物だ。趣味で通っていた道場だったが、いまは強くなりたいという決意で通っている。しかし、その道場も夕方以降の稽古への参加も控えなくちゃいけない。打ち込むことで忘れられる場所であり、作家業の糧となり、強くなるための場所。三つの意味での拠り所を失ってしまったことになる。



――このまま家に帰っても誰も居ないんだよねぇ。



 正門を出てしばらく住宅街を歩きながら駅方面へ、携帯電話を片手にメール文を打っていく。相手はもちろんセンセだ。こんな時はセンセのDVDを漁って鑑賞会をしてリフレッシュするに限る。メールを送信してからコンビニで昼食のオニギリを一つ購入した。



 駅に近づいてくると人通りは多くなる。改札に切符を差す寸前、「東儀さん、早退したの?」振り返ると同じ制服姿の少女、藤井玲奈。彼女も早退したのだろうかとも思ったが、そういえばクラスに彼女の姿が無かったような気がした。



「藤井さん? あれ、今日学校に来てたっけ」

「東儀さんの私の位置づけが分かったよ」

「あ、ごめんね。そういうつもりじゃなくて、えっと、ほら、あんな事件があったから」

「ふふ、冗談。私は学校に行ってないよ。途中で行きたくなくなったからサボちゃった」

「そっかぁ。真面目な藤井さんもそういうことってあるんだね。あっ、これも別に含みとかじゃなくて」

「含ませられるほど、東儀さん頭良くないもんね」



 クスクスと笑う藤井さんにつられて笑っていた。あまりクラスでは話したこと無い相手でも、不思議と彼女とはすぐに打ち解けられるような気がした。それにしても遠巻きから見ていたイメージとかけ離れていて、結構相手にズカズカとモノを言える性分みたいだ。



「途中まで一緒に帰らない? 東儀さんともう少しお話がしたいな」

「うん、いいよ。ほとんど帰り道一緒だよね。元山駅でしょ」

「え……、どうして知っているの?」

「この間、センセが時代小説コーナーで藤井さんと話したって嬉しそうにしてたから。他駅の人がわざわざ足を運ぶ場所でもないからね。どう、私の推理!」

「たまたま用事があって来ていただけかもしれない、という言い訳はあの場所って何もないから通用しなさそう。知り合いが住んでいる可能性は思い浮かばなかった?」

「あ……、あはは。思い浮かばなかった」



 彼女は静かに微笑んだ。



「先生っていうことは、降旗久七さんの言っていた時代小説を読む知人は東儀さんのことかな。小説を書いているの?」

「時代小説。センセに見て貰ってるんだよね」

「そうなんだ。でもたしか、降旗さんってSF作家だったような。時代小説のアドバイスとかしてもらえるものなの?」

「うん、まあ……。誤字とか、ここはこうした方が読みやすいとかかな。全然物語については触れてくれないんだよね」

「面白い関係だね。ジャンル違いの師弟か。そうだ、せっかく会ったのも縁だと思うから、一緒にこれから何処かに出かけない?」



 藤井さんからの誘いはとても嬉しかったけど、センセ宅にこれから向かうという連絡を入れていたので断ろうかとも思った。でも、センセと顔見知りであれば、「一緒にセンセの所に遊びに行こうよ」試しに誘ってみた。



「うーん。私が行ってお邪魔じゃないかな。作家さんって忙しいイメージがあるんだけど」

「大丈夫、大丈夫。センセはDVDばかり観てる暇人だから。藤井さんが言ったように何かの縁だし、私はもっと藤井さんと仲良くなりたいしさ。ダメだった?」

「ダメなんかじゃないよ、全然。私もちょっと興味があったの、東儀さんにね」

「いまはちょっとでも、数時間後にはもっとに変えてみせましょう!」

「面白い子」



 松戸行きの電車で二十分も乗っていれば元山駅に着く。その短い時間で互いの簡単なことについて話した。同じクラスになってしばらく経つのにここまで知らないというのも可笑しな話なわけで、それだけ私がクラスから孤立していた証明になった。



 藤井さんは母方の祖父母と暮らしているそうだ。母親が亡くなってからは母方の両親のいる松戸市に移り住んでいるようで、お父さんとは暮らさないのかという質問に、「あの人は私のこと好きじゃないから」そう言ってその話は中断された。



 誰にでも優しく接することができて、常に群れの中心にいる彼女の姿からとてもそんな家庭環境で過ごしていたようには見えない。もしかしたら人知れず、近しい人にも知られない所で涙を流しているのかも知れない。



「ねぇねぇ、ケーキとか好き?」



 唐突な話題の転換に、「茶色のモンブランは好きかな」わずかな間を開けて、灰がかった眼をパチパチと瞬かせて答えた。



「よし! じゃあ、ケーキ買っていこうよ。センセもね、甘い物が好きだし、私も大好きなんだ。私は毎回ミルクレープ食べるから、お父さんがお前は安上がりな娘だな、って笑うんだよ。酷いよね、ね!」

「食べたときの食感が面白いよね、ミルクレープ。私もたまに食べるよ、スーパーで安売りしていたら」

「ミルクレープのこと馬鹿にしてるでしょ。しかもスーパーだなんて……。藤井さんって結構他人を弄ったりして楽しんじゃう人だよね、ぜったいに」

「違うよ。普段は弄らないかな。ちょっと変なテンションになってるだけ。でも、駅近くにケーキ屋さんって無かったような」

「うん。個人店でやってる場所はあるけど、茶色いモンブランもミルクレープも売ってる場所はないね。だから、ちょっと隣駅の五香まで行くけどいい? そこからでも歩いていける距離なんだ、センセの家」

「歩くのは好きだし、東儀さんは退屈させてくれなそうだから、いいよ」



 五香駅前のロータリーにチェーン店のケーキ屋があり、三人分のケーキを購入しようにも財布にケーキを買うだけのお金が入っていなかった。学校近くのコンビニでオニギリと飲み物を買ってしまったせいだ。自分の迂闊さを内心で叱咤してから、チラリと隣に並ぶ藤井さんを見る。



 財布の中身を隣から覗き込んだ彼女は、黙って自分の財布を取り出して支払いを済ませてくれた。センセの家に向かう道中、何度もお礼を言い続けると、「そこまで言うなら、今度何かで返してくれればいいよ。これでお礼は終りね」このご恩は何で返そうか。せっかくなら彼女が驚いて喜んでくれる代物で返したい。サプライズなんかで驚かせてみるのも良いかもしれない。



 嫌な臭いが充満する線路下を通るトンネルを抜け、十字路を曲がって元山行き方面に進む。元山駅まではそう時間は掛からない。駅からもセンセの自宅までは五分と掛からず、アパートの階段を上り、二つ並ぶ扉の手前側のインターフォンを鳴らした。



 一度鳴らしてダメならばもう一度、「ちょっと遅かったね。その手に持っているのはケーキのようだけど、俺の好きなプリンパフェは買ってきてくれた?」扉を半分だけ開けて顔を覗かせたセンセの視線は手に持っているケーキの箱に。次いで、「お友達を連れてきたの? 困ったなぁ、今は部屋が散らかっているんだ」隣に並んだ藤井さんの容姿を見て、「ああ……、この間の子だね。ええと、藤井玲奈さんだったかな。俺の小説はもう買ってくれた?」センセはちょっと声に弾みを付けて聞いた。



「まだ買った本も読み終わっていないよ。来月には買うから。私が生きていたらね」



 なんとも表現に困る笑みを浮かべた。彼女の口から出た言葉は冗談にも聞こえず、私は困惑しつつドアを手で押さえているセンセを見た。



「生きてるさ。キミに死相は出ていないからね。まあ、俺には死相とかそういうのは見えるわけでも、どういったものかも判らないんだけど」



 迎えるように半身を引いて、「そんな所に立たれると通報されかねない」苦笑しながら私たちを招き入れた。



 キッチンでお茶の用意を始めるセンセ。



 小さく細い彼女の手を引いて玄関で靴を揃え、「事件が怖いなら今度から一緒に帰ろうよ。私が守ってあげるからさ。こう見えても剣術道場でそれなりの実力者なんだよね、私って」先ほどの彼女の笑みが気になり、「私は悪い子だから、藤井玲奈はいつか誰かに殺されるかな」独り言のように言って、「私は冗談が下手だね」首を傾げた。



「下手っぴすぎ!」



 お茶の用意もできたところで小さなテーブルを三人で囲む。もちろん周辺に散乱する趣味の物は部屋の隅に追いやって。センセは一番高かったプリンパフェを遠慮もなしにパクついている。とても幸せそうな顔をしていた。



――そんなに、可愛い、女子校生の奢って貰ったプリンパフェが美味しいのか。



「そういえば二件目の事件。キミたちの学校の生徒らしいね」



 一人先に食べ終えたセンセは茶を啜りながら話題を振る。



「学校中で犯人はこういう奴じゃないか、って話題が盛り上がってるんだよね。どうして私の周りで被害者が出るんだろう」

「私の周り?」



 藤井さんは首を傾げた。



「一人目の犠牲者は俺の担当編集者でね。東儀さんとも仲が良かったんだ」



 湯飲みに視線を落としたセンセ。「後任の編集者と明日顔合わせをする予定だ。俺の作品のファンらしいから、上手くやっていけるだろうってさ」小さな溜息をつくと、急須を手にキッチンへと向かった。



「ごめんね。こんな暗い雰囲気にさせちゃって……。早く犯人が捕まってくれないかなぁ、できればぶん殴ってやりたい」

「自分の手で殺してやりたい?」

「まあね。でもやらない。犯人は法律に裁いてもらうから」



 センセの後ろ姿を一瞥してから彼女に視線を戻し、「でもさ、どうやって人の首を刎ねてるんだろう。今時、ギロチンとかなんて無いだろうし。そもそも、そんなもの持ち歩けないよね」ずっと疑問に思っていたことが口から出た。



「殺してから運んだ、と考えた方が現実的だね。遺体がある場所がイコールで殺害現場とは限らない。運搬には車でも使えば目撃される可能性もだいぶ抑えられる」



 お茶をもう一杯注いだセンセは湯飲みに視線を落として考える素振りを見せた。



「そうだよね。でも首を落とすのって、首切り役人みたいな熟練した腕と、知識がないと落とせないんだよ。時代劇とかでは簡単に一撃で刎ねてるけど、下手っぴは何度も刀を首に振り下ろしてたって聞いたもん」

「落ちた首に意識はあると思う?」



 血生臭い話をしつつも二人でケーキを口に運ぶ。その様子を見ていたセンセはうんざりとた顔で、「美味しかったプリンパフェを戻しそうだ。ペーストだよ、もう」三人分の湯飲みに茶を注ぐ。



「うっわ。想像させないでよ。気持ち悪いじゃん」

「うん。少し食欲が無くなるね」

「いや……。キミたちの話している内容のほうが、俺には気持ちが悪い」



 しばらく三人で、主に藤井さんが作家の仕事について興味深く質問が続き、センセがその問いに答えて、私が茶々を入れて場を乱して過ごした。



 事件を忘れるくらいに楽しく、後半は藤井さんの話題が中心となり、私が質問し、彼女が答える。センセが時折に冗談を差すという位置替えをしていた。



 夕陽が窓から差すと、「そろそろお開きにしよう。送っていくから、支度を済ませてくれるかな」立ち上がったセンセはハンガーに掛けてあるコートを手に取った。



「私は大丈夫だよ。自宅は離れているわけでもないし、帰りにお使いを頼まれているから。今日は楽しかったよ降旗先生、東儀さんもまた明日ね」

「仲良くなったんだし、東儀さんなんて他人行儀な呼び方は止めようよ。沙穂、そう呼んで」

「そうだね。この短時間で沙穂との距離が縮まったし、気が合うことも判った。私たち、親友になれそう」

「なれそうじゃなくて、もうなってるつもりなんだけどなぁ。私も藤井さんのこと、玲奈って呼ぶけど、いいよね?」



 身支度の手が止まっている様子を見かねて、「手を動かしたらどう、二人とも」呆れた声に私たちは互いに笑い合う。仕方なくという動作で身支度を済ませ、ドラッグストアやレンタルビデオ店が並ぶ大通りで玲奈と別れた。

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