作家探偵はジャンル違い!?
幸田跳丸
第1話 作家師弟1
俺が松戸東警察署に出向いていたのは犯罪に手を染めたわけではなく、知人の所持品の中に私物があり、事件とは関係ないと判断されたので身元確認を含めて受け取りに行っていたからだ。
住宅街に囲われた昭和の古臭さで構築された元山駅。
大粒の雪が駅ホームを薄っすらと覆っている。車内の暖気で温まった身体も水気の多い雪をぐちょぐちょと踏む感触だけで冷えきっていくようだ。
鞄の中には担当編集者に渡していた小説の原稿が封筒に入っている。寒さのせいか持ち手に普段以上の力が入ってしまう。しかし、寒さ以上にまだ若い新人の担当編集者、
階段を上ると改札口があり、向かい側で寒そうに両手をトレンチコートに差し入れる少女と眼が合う。「おかえりなさい、センセ」普段の彼女を知るからこそ、調子を狂わせる弱々しい声が迎えた。
彼女は栗色の柔らかい癖毛のショートヘアを大きめのヘアピンで右サイドを留めている。線の細い体型の中で一番目を引くのは子犬を思わせる活力に満ちた大きな眼だったが、その彼女の性格を口以上に語る眼も今は覇気もない。
「お父さんとお母さんが心配するよ。早く帰った方がいい。雪も降っているし、夜道は危ないから送るよ」
柄にもなく優しい提案をした俺もそうとうに気が滅入っているようだ。二人してここまで喪失感に捕らわれるほど、村瀬牧人という存在は大きすぎたのかもしれない。
隣を歩く少女、
そんな事情があって作家の先生として面倒を見ているのだが、これがまた困ったことにSF作家の俺に対し、東儀さんは時代作家志望だった。ジャンル違いは壮絶なまでに頭を悩ませ、結果、担当している新人編集者の村瀬牧人君を紹介した。
年頃の若い少女に免疫の無い俺や村瀬君であっても直ぐに打ち解けさせてしまう彼女の雰囲気といえばいいのか、性別や年齢の問題を些細な問題以下に追いやってしまう対人能力には脱帽させられた。仕事を抜いたプライベートでもよく三人で遊びに出かけたりもした。いつも薄暗くしているアパートから日の下に引っ張り出してくれるのが彼女の弟子としての務め。
仕事には真面目だが少々奥手で恥ずかしがり屋な村瀬君は二日前、出来上がった原稿を取りに来た帰りに殺害された。彼はどうしてか借りているアパートのある上本郷駅ではなく常盤平駅で下車した。彼はフラフラと閉園時間を過ぎている21世紀の森へと足を踏み入れた姿が、防犯カメラに撮られた生者としての最後の記録となった。翌日の開園時間に見回りの従業員が遺体となった彼を発見して警察へ連絡した。
遺体はちょうど21世紀の森の広場を跨いで掛かる大橋の高架下。その遺体の状態が異常であったと警察は話した。
彼には首から上が無かった。
御座の上で血を満たした壷を大事そうに抱えて正座していたという。
これだけでも十分に異常といえるだろう。しかしその異常な現場で彼の首だけが行方を眩ませた。警察も近隣を捜し回ったが未だに見つかっていない。
さらには村瀬君の荷物からは本人を特定できる代物だけが紛失していたのだが、ちょうど預けていた原稿から特定された俺は警察署へ呼び出され、頭部の無い彼を村瀬牧人であると証言してきた。頭部が無くても、身分証が無くても、彼の左腕には一週間前に東儀さんが誕生日にプレゼントした腕時計、そして彼の服装と俺の原稿が根拠だった。
原稿と腕時計を判断材料に警察は遺体を村瀬牧人と仮定し、これからDNA鑑定なりをするそうだ。変わり果てた姿を見た途端に彼との思い出が沸き立つ感情に伴って現実を否定しようとしていた。俺は携帯電話と原稿用紙を片手に署内のベンチに座りこんでいて、遺体と対面してからの記憶が空白となっていた。
警察署を出ると携帯が鳴った。画面には東儀沙穂の文字。彼女の話によると十数分ほど前に彼女に電話を掛けていて、村瀬君が殺されたことを告げると通話を切ったらしいのだが、まったくその時の記憶もない。
これから電車で帰ることを告げてから家を飛び出してきたのだろう。駅でこうして待ってくれている彼女は何か言葉を掛けてほしかったのかもしれない。彼女もまた否定したかったのかもしれない。これが悪い冗談で、本当は二人で酔っ払って帰ってくる淡い期待を込めて。
駅から真っ直ぐ住宅地を抜けると大通りに出る。左手に進めば五香駅に。右手には近辺で唯一の飲食店が並ぶ。
ここまで終始無言でいたが、「センセ。村瀬さんは誰に殺されたの?」何かを秘めた眼で東儀さんが俺を見上げた。
「許せないよ、私。犯人を」
寒さによるものか、犯人に対する怒りか、彼女の声は不安定に揺れている。かといって犯人捜しなんて一介の作家に出来るはずもない。そういった危険行為に彼女を走らせるわけにもいかない。まだ乱れる感情をグッと堪え、「警察が捕まえてくれる。法が裁いてくれる。俺達は犯人が捕まることを祈ろう。村瀬君の為にも」精一杯に冷静を装ってみたが、「センセはそれだと満足できないよ。できるはずがないよ……。だって……、センセ」通り過ぎる車のハイビームに一瞬だけ照らされた東儀さんは見透かしたように、「悔しいから、悲しいから涙が流れてる。そうだよね?」彼女の眼から塞き止めていた涙が白い頬を伝い落ちた。
自分が泣いているという指摘を受けて自覚した。頬が少し痒かったのは寒さで霜焼けだと思っていたがどうも違ったようだ。いい大人が涙を、未成年の少女に見られ気恥しい気持ちが交じる。
「こんなこと言われても困っちゃうよね。ごめんなさい。明日にはいつも通りになるので、今日だけは……、今だけ涙を見せていいですか。ですからセンセも」
「泣けるときに泣いた方がいい。だけど墓前では泣かない約束をしよう。村瀬君がオロオロして天国に行けなくなる。だから今はいいんだ」
東儀さんは小さな嗚咽を漏らしながら涙を静かに流し続けている。反して俺の涙は乾いてきていた。夜遅いとはいえ人の通りもある。大通りから一本逸れた神社脇の小径にある公園に立ち寄って、彼女が落ち着きを取り戻すまで黙って星も見えない曇り空を眺めていた。
雪は止んでいた。
吐く息白く風に乗って消える。その繰り返しを眺めていると、「お待たせ。もう大丈夫……、落ち着いてきたから。明日には完全復活の東儀沙穂です。だから送ってもらってもいい?」強がって見せる東儀さんはとても脆く映った。
彼女の住むマンションまで送り届けてから自宅へと引き返す。
「この作品を完結させることが、俺にできる最大の手向けかな」
手元の茶封筒に視線を落とし、急に込み上げてきたくしゃみを盛大にまき散らした。
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