第19話 リアム



 病院の廊下は、妙に静かだった。


 病院に車が着いた瞬間、俺はまず一人で病室に向かった。


 警察組織が、極秘国が子供を拉致するのを斡旋あっせんするとなると、子供がいる病室に、俺たちは恐らく入れてもらえないだろう。だから、下手に受付で手続きを踏むよりも、何も知らない顔して入って行った方がいい。


 だから、俺は先に一人で子供に会いに行く事にした。ゆうたちは、病院の受付で子供の面会を頼んでみるそうだが、恐らく入れない。


 子供がいる病室の目星はついてる。子供は集団の病室ではなく、個室にいるはずだ。その中でも、廊下に出ても誰とも接触出来ない場所。そして恐らく、患者の名前の表示もない。つまり、空き病室扱いで、離れた個室の病室に子供はいる。天音に病院の構図を調べて貰ったから、その場所はなんとなくだが把握している。


 俺は、何食わぬ顔で、病院の廊下を進んで行った。


 エレベーターに乗って、ある階を押す。


 階に辿り着いた俺は、受付も何もない、殺風景な廊下へと出た。奥に、一つだけ病室がある。


 俺は、ゆっくりと、足を進ませた。


 ドクドク…。鼓動が、嫌な音を出す。まるで体が揺れているのではないかと思うほど、心臓は、内から外へと強く動悸していた。


 ドアノブに手をかざす。人を監禁出来るような病室なんて普通の病院にはないだろうから、俺は、戸が開く事を確信して、手に力を込めた。


 ガラガラ…。


 横にスライドされて行く戸。


 真っ白な綺麗な病室に、痩せた少年が一人、ベッドに腰掛けていた。


「………………」


「………………」


 無言で彼を見る俺。そして、少年は驚いた顔をして俺を視界に入れる。


 彼の顔を見た俺は、言葉を失っていた。


 ドクドクと、鼓動が早くなる。


 息切れがするほど。


 なんだ…。なんだよ、この感じは。


「久しぶりだね。助けてくれたんだろ?ありがとうな」


 少年は、言った。


 久しぶり…?


 あ、助けた時の事か。でも、少年は、あの時、気を失っていたはずだが…。


 ドクドク。


 さっきから、妙に心臓の鼓動がうるさい。


「元気そうだな…。他に会いに来た人はいるか?」


 俺は、懸命に声を出した。汗も出てくる。止まらない。なんなんだ。なんで俺こんな、緊張してんだ。


「いや、君だけだよ。でも、きっとまた、連れて行かれるんだろ?もう、諦めてるよ」


 少年は、涼しい顔をして言った。


 彼は、知ってるのか。自分が今置かれている状況を…。


 ふと、窓もないはずの病室の中に、とても冷たい風が吹いた。


 まるで、氷のように、冷たい風だ。


 なんだ…?


「みーつけた!」


 あ…?


 何処からともなく、鈴の音色のような、綺麗な声が、俺の耳に届いた。


「ここにいたんだぁ?諦める必要ないよ?ヨン」


 俺は辺りを見渡す。


 この声。まさか。


「大野のおかげだよ。ありがとうね?」


 俺は飛び上がるように体を跳ねさせて、後ろを向いた。


 俺は、今までいなかったはずの人物を視界に入れて、目を見開いた。


「お前は…。ゆうの担当の…」


 俺は戸惑うように言った。


 何処から吹いているのかも分からない妙な風に、真っ直ぐな紫の髪は綺麗に揺れている。顔は怖いほどに整っており、一見モデルのような女性だった。


「ルナだよ?覚えてるかな?」


 ルナ…。そうだ。こいつはルナ。ゆうが担当してる殺人犯だ。くそ、なんでこんな時に。


「あ、今日は、戦いに来たんじゃないからね?ヨンを助けに来たの。このままだと、連れて行かれて、殺されちゃうでしょ?」


 ルナは、肩をすくめて笑顔を浮かべた。


 俺は、驚きすぎて目を丸くして呆然と彼女を見詰めていた。


「ん!?え!?お前、ルナ!?」


 また俺の体が跳ね上がる。


 声の主は、病室のベッドに座っている少年の声だった。


「そうだよー。久しぶりだねヨン」


 ルナは、少年に笑顔を浮かべた。


 ヨン…?子供の名前か…?


「信じられねぇ。お前、生きてたのか!?」


 少年、ヨンは、驚いたような顔をして、ルナを見ていた。


「うん。なんとかね。まぁ、あまり時間ないから、もう行こっか」


 ルナは、笑顔を崩さずに言うが、ヨンは首をかしげて「行くって何処に…?」と、ルナに聞く。


「行けば分かるよ」


 ルナは、平然と答えていた。


 こ、このままだと、こいつら、いなくなる…?


 俺の担当殺人犯、リアム、そして、ゆうの担当殺人犯、ルナ。こいつらが現れる時は決まって突然で、消える時も一瞬だ。


 俺を無視して話し進めやがって。ふざけんなよ。


「ちょっと待て!」


 俺は、ルナに向かって、怒鳴り声を上げた。


「………?」


 ルナは、驚いたような顔をして俺の顔を見る。


「勝手に話し進めてんじゃねぇよ! なんでお前がここにいるんだよ!?」


 俺は、ルナに歩み寄って、声を荒げた。


「大野が来たからここが分かったの。よかったよ。ヨンを助けられるから」


 質問の答えに全くなってない返答をするルナ。


 でも、俺が来たからここが分かった?つけてたって事か?それに…。


「この子供…ヨンを助けに来たって言うのか?」


 俺は、目を丸くした。


 こいつは、前に、ある姉妹を殺し合わせるきっかけを作った女だ。あのときは平然としてたくせに、人を助ける…?


「そうだよ?だって、殺されたら可哀想でしょ?ヨンは、何も、悪いことしてないからね」


 ルナは、肩をすくめて当たり前のように言った。


「…………」


 なんなんだこいつは。


 今まで自分がして来た事を棚に上げて、よくもこんなぬけぬけと。


「じゃ、もう行くね。ゆうくんによろしく言ってね」


 ルナは、笑顔を浮かべて俺に言った。


 円形の真っ黒な空間が突如現れる。確かこいつら、この黒い空間から出入りして、突然俺達の前に現れる。つまりは、もうルナは、ヨンを連れてどこかに行こうとしてると言う事だ。


 ふざけるな。まだお前には聞きたい事がある。


「ま、まだだよ」


 俺は、握った拳を震わせた。


「まだだまだ終わってねぇ!」


 吐き捨てるように言った俺。


「もう、何?」


 ルナは、苛々したように表情を歪めて、俺を再び視界に入れた。


「もう、じゃねぇよ! 野村が、野村が死んだんだ! 何がどうなってんのか説明しろ」


 俺は、ありったけの声を出して、彼女に怒鳴った。


「………。野村ね。ルナも、すごくショックだった。もう、全部嫌になるくらい。鈴木元太、あいつが余計な事を言うから。あいつ、先に殺しておけばよかった」


 最初、少し黙った後、声を低くして言った。最後には吐き捨てるように言い、声には怒りが含んでいた。


「鈴木元太が?何、何を言ったんだ!?」


 俺は、さらに声を大きくして言う。


「大野はうるさいね。ゆうくんの方がいいなぁ」


 ルナは嫌そうな顔をしてこちらを見て言うが、俺はそんなのお構い無しに「答えろよ!」と、再び声を荒らげる。


「…………」


 ルナは、まるで面倒臭いとでも言うように、溜息を吐いた。


 なんだこの女。腹立つ。肝心な事はいつも口を紡ぐ。こいつだけじゃない。リアムもだ。いつもいつも、確信を突くと口を閉ざすんだ。


「おい、喧嘩はやめろって」


 ヨンは、俺とルナの間に割って入った。


 幼い顔をして、俺の顔を懸命に見る少年。年齢は…何歳だ?よくわかんねぇけど、高校生くらいか?


「ヨン、色々複雑でね。昔とは違うよ」


 ヨンの顔を見ながら言うルナ。


 そして、ヨンは、ルナの顔を見た後、俺の方を向いて言葉を発した。





「何言ってんだよ。そんな事ないよ。なぁ、





 ………。



 あ?




「リアム、お前も一緒に行くんだろ?」




 え?




 少年の目には、俺が映し出されている。




 リアム…?




「彼は一緒には行かないよ」




 ルナは、静かに言う。




「なんでだよ。リアムも連れてってやれよ!」




「うーん、でもねぇ?」




 思考を停止してる俺をよそに、二人の会話が進んで行く。




「おい…ちょ、ちょっと待て…」




 俺は、戸惑いの声を上げた。




 何?俺の事言ってんだよな?ヨン、俺を見てリアムと言ってるんだよな?




「せっかく会えたのに、ここにリアムだけ置いて行くのかよルナ!」




 意味わかんねぇ…。意味分かんねぇ意味分かんねぇ!どうなってんだよ。




「ちょ、ちょっと待てってば!!!」




 俺は、今日で一番大きな声を出した。




「え?」




 ヨンは目を丸くして俺を見ている。なんで俺が怒鳴ったのか、分かっていない様子だ。




「お前ら、さっきから、何を言って…。俺は大野だ。リアムじゃねぇ」




「え?リアムじゃない?なんで?」




「なんでって…」




「だって、俺が小さいとき、遊んだじゃん。俺、覚えてるよ」




「何?」




 頭が混乱する。


 ヨンは何を言ってるんだ。おかしいだろ。


 でも、ずっと監禁されていた子供だ。多分何処か正常じゃないのは確かだ。でも、なんだ?彼の、本当に驚いた顔は…。


 ガラガラー!


「!?」


 俺は、戸がスライドする音に、体を飛び上がらせた。




───・・・

──・・

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