真実編 第四章

第16話 黒い扉


「…………」


「あ、はい。どうぞ」


 こんな時、どうぞと言うのは、野村さんだったから、俺たちは最初、黙っていた。まだ、野村さんがいるような、そんな気がしてたのかもしれない。


 誰も言わない事に気付いて声を出したのは、天音さんだった。


「失礼します」


 事務所の扉から顔を出したのは、今野だった。


 遺体処理の責任者を務める今野。彼は、俺たちの担当事件の被害者遺体を、現場から遺族へ引き渡す係を務めている。いつも、遺体を見ると吐いている男だが、非常に気さくで、万人から好かれるような男だった。

 

「今野か…。どうした?」


「野村さんの件で…。あんな事があって、でも、伝えた方がいいと思いまして…」


 今野は、いつもの明るい口調とは裏腹に、とても静かに言った。


 彼もまた、暗い顔をしている。


「どうした?」


 成川さんが、今野に言った。


「はい、野村さんが亡くなる前々日、野村さんから電話がありまして…」


 今野の言葉に、俺たちの手が、止まった。


 パソコンに向き合っていた大野さんも、今野を視界に入れる。


「野村さんの事件の被害者遺族である、鈴木元太さんと、連絡を取りたいと…」


 被害者遺族と連続を…?


 しかも、鈴木元太って、どこかで…。


「鈴木元太?」


 天音さんが、目を丸くして今野に聞く。


「鈴木元太さんは、昔、息子さんを殺されています。その遺体の特徴が、野村さんが担当していたもので…。父である鈴木元太さんは、当時すごく動揺していて、苦情の電話を毎日のようにかけて来てて、野村さんが対応してたんです」


 今野は、静かな声ながらもはっきりとした口調で言った。


「なんでまた…。被害者遺族に連絡なんて」


 天音さんは、戸惑うように言った。


「わかりません。深くは聞かなかったのですが…。苦情電話の時の番号が残っていたので、それを野村さんに教えて…。それで…」


 今野は、最後には言葉に詰まらせていた。


「す、すみません。報告は、それだけです…」


 今野の目から、涙がこぼれる。


 涙を拭いながら言う今野。


「いや。ありがとう。野村さんがああなった原因は、まだ何も分かっていないんだ。助かったよ。わざわざ報告してくれて」


 天音さんは、優しい口調で言った。


 天音さん、俺の事も気を使ってくれたりして、この人、本当にいい人だな。


「いいえ、これが、鈴木元太さんの番号です。では、失礼します。何かあったら、電話して下さい。すぐに駆けつけますんで」


 今野は、鼻を啜りながら、少しだけ、いつものような明るい口調で言った。


 今野は、天音さんに小さな紙を渡した。おそらく、鈴木元太の電話番号が書いてある紙だろう。


 今野は、事務所から出て行こうと、足を進ませる。数々の被害者の遺体と接して来た彼もまた、この事件の解決を願っているのだろう。そして、野村さんが自殺した真相も…。


 戸が閉まった瞬間、また、重苦しい雰囲気が事務所内に充満して行く。だけど、今野が来た事で、皆の表情が、少しだけ、変化していた。


 泣いてばかりでは、絶望しているだけでは、何も進まない事に、気付かされたような、そんな雰囲気だった。


「鈴木元太…。野村さんが、最後に接触した人物か…」


 成川さんが、静かに言った。


「あぁ。野村さんが自殺する2日前にだ。必ず何かある。調べない手はねぇ」


 大野さんが、荒い口調で言う。


「鈴木、元太…。どこかで」


 そんな中、俺は、首をかしげていた。


 鈴木、元太。鈴木元太…。


「ゆう?」


 天音さんの声。


「殺人リスト…」


 俺は、つぶやくように、口にした。


「………?」


 成川さんが、こちらを向いたのが分かった。


 そうだ。殺人リスト。


「殺人リストに、載っていた名前です」


 俺の言葉を聞いた大野さんが「嘘だろ」と、驚いたような声を上げた。


 大野さんが、机の中から殺人リストを取り出す。


 殺人リストは、全員分を印刷し、それぞれにすでに配ってある。俺も、確認しようと殺人リストを机の中から取り出した。成川さん、天音さんも、同じく殺人リストを見ている。


 1枚の紙に、いくつもの名前と顔写真がずらりと並んでいる。3枚目のはしに記載されている名前に、目を見開く。


 いた。鈴木元太。やっぱり、殺人リストに載ってる人物だ。


「本当だ…。ゆう、よく覚えてたな」


 天音さんが、驚いたような声を上げた。


「ちょっと待て、殺人リストに載ってるって事は、急がねぇと。殺されんぞ」


 大野さんは言う。


「そうだな。電話かける」


 天音さんは静かに言うと、手に持っている紙切れを直視した。それは、先ほど、今野から貰ったものだ。


 机の上にある電話の受話器を手に取った天音さんは、紙に載ってる電話番号を素早く打った。


 プルルー。


 電話の受話器から、相手の電話が鳴る音が聞こえる。


 プルルー。


 俺たち全員に、緊張が走る。


 プルルー。プルルー。


 だが、何度鳴らしても、鈴木元太が出る事はなかった。


「出ないな…」


 天音さんが、受話器を電話に戻しながら言った。


 出ない、か…。


 でも、仕方ないか。知らない番号なんて出ないだろうし。野村さんが掛けた時は、鈴木元太は出たんだろうか。


「鈴木元太の息子が殺されたと言った。調べればすぐに住所が出て来るはず。行ってみよう」


 成川さんが、早口で言う。


「そうだな」


 大野さんがそう言うと、皆再びパソコンに目を向けた。


 鈴木元太の住所を調べるのは、すごく簡単だ。皆それぞれ鈴木元太の住所を調べていたけど、全員がそれに辿り着くのは、実にあっという間だった。


「出たな。行くぞ」


 大野さんが、低い声を出した。


 俺たちは、無言で立ち上がる。


 皆の顔は、とても真剣な表情だった。


 これから、鈴木元太に会いに行く。野村さんが、自殺する前に、接触したとされる人物に。


 車を出した俺たち。運転は、俺だった。助手席には大野さん、後部座席には、天音さんと成川さんが座っていた。


 しばらく車を走らせた。鈴木元太の住所に向かっているが、思いのほか遠かった。どれほど車を走らせたのか。2時間くらいかかったと思う。


 車から降りた俺たちの目の前にあったのは、古い一軒家だった。


「嘘だろ…」


 鈴木元太の家とされる一軒家を見上げる大野さんは、吐息のような声を漏らした。


「……………」


 俺は、言葉を失っていた。


 成川さんと天音さんも、目を丸くして、家を見ている。


 鈴木元太の家は、驚くほど豪快に、全焼していた。壁は所々焼け跡で黒く変色し、窓から見える室内は、真っ黒だった。


 これは…。家の中に入るのも危険だぞ。


 でも…。


「入って見ましょう。何かあるかもしれない」


 俺は、静かに言った。


 俺たちは、真っ黒に焼けただれた家の中に、入って行った。


 無造作に開かれた戸の中から、炭のような臭いが漂っている。それはまるで、暗い迷宮への入り口のようだった。


 迷宮への入り口に、吸い寄せられるかのように、真っ黒な空間へと足を踏み入れた俺たち。


 家の中は、真っ黒だった。だが、柱かかろうじて残っているため、家が崩れる心配はなさそうだった。


 4人それぞれ、違う場所へと歩いて行く。


 なんだろう。


 頭が痛くなって来る。


 頭痛がする。


 頭が、痛い。


 リビングのテーブルは焼けて黒くなっていた。テーブルを支える細い柱が折れ、テーブルは傾いている。椅子も同じく、支えを失い倒れていた。


「おい! 人が倒れてる!」


 リビングを見渡していた俺の耳に、焦ったような声が届いた。


 俺は、慌てて声がした方へと走って行った。


 大野さんの、声だ。


 大野さんは、リビングから廊下の方へと足を進ませており、誰かの遺体は、廊下に転がっていた。遺体は真っ黒で、もはや確認しなくとも、死んでいる事が分かった。


 そして、なんとも言えない臭いが、周囲に充満していた。まるで、生ゴミの中に顔を突っ込んでいるような、そんな臭いだ。


 ここに今野がいたら、吐いてるかもしれねぇな。


「すぐに連絡しましょう。でも、消火はしたはず…。遺体を見過ごしたのか…?」


 俺は、言った。


 これほどの火事、消火なしでは火がおさまらなかったはず。なぜ、こんな廊下に倒れている遺体に気付かなかったのか…。でも、見るからに真っ黒な遺体。俺たちは遺体を見慣れているから、すぐに気付いたのかもしれないが、普通は見過ごす事もあるのかもしれない。


「真っ黒で気付かなかったんだろうな…。そんな事あるか?って感じだけど」


 天音さんが口を開いた。


「そうですね…。これは、ひどい。連絡しま…」


 俺は静かに言うと、まるで遮るように「待て」と言う、成川さんの声が聞こえて来た。


 成川さんの方を見ると、廊下の先の行き止まりに立っていた。


 ………?


 なんだ?


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