【十九】薬師様の言葉


「十二神獣様、ムジンです。どこですか。姿を現してください。お願いです」


 ムジンは薬師堂の前で呼び掛けた。

 いつも思うことだがここだけは別世界に思えてならない。ヒカリたちの住む人の世ともまた違った雰囲気がここにはある。

 薬師堂か。渡来人たちの住む異国文化を象徴する建物なのだろう。


「十二神獣様。薬師如来様。いないのですか」


 再度声掛けすると、つむじ風が舞い上がり顔を背けて目をつむる。


「ムジン、何用だ」


 目を開けるとそこにはクビラがいた。十二神獣のひとりいのししのクビラだ。

 ものすごく睨みつけてくる。なんだか怒り心頭って感じだ。来てはいけないタイミングだったのかもしれない。


「あの、ですね」

「何をごちゃごちゃ言っておる。はっきりと言え」


 ムジンはビクンとして「は、はい」と返事すると翼のことを話した。重ねてヒカリがいまだにみつからないこと、狼たちの侵略のことも話した。


「ふん、ムジンは我らがこの地に来たことが災いのもとだとでも言うのか」

「いえ、決してそんなことは」


 ブンブンと頭を振って否定した。


「本当にそうか」

「はい」

「ならいいが。薬師様は慈悲深いお方だ。この地で起きていることに心を痛めておられる。この地の古の神々が我らを受け入れてくれれば済むものを。我らは争いに来たわけではない。お互い助け合おうと言っているというのに。頭の固い奴らだ」

「あの、その」

「はっきり言えと言っただろうが」

「す、すみません。どうにも顔が怖いもので」

「な、なに。怖いだと。これは生まれつきだ。我慢しろ。怒っているわけではないから安心せい。まったく、おまえときたら言っていいことと悪いことがあるくらいわかるだろうに」


 はっきり言えと口にしたのはそっちだろう。嫌だ、嫌だ。

 クビラの顔を見遣り、身体を震わせる。思わず謝ってしまいそうになる。

 んっ、謝るべきか。

 チラッとまたクビラの顔に目を向ける。


 あの怖い顔は生まれつきだったか。同情してしまう。もうちょっと優しい顔つきであったらもっと仲良くできそうだ。

 十二神獣様は全員、強面こわもてだ。これに関しては口にしない方がいいだろう。


「それで我らにどうしろと言うのだ」


 フンと鼻息荒くしてクビラが言い放つ。

 やっぱり怒っているんじゃないのか。


「あの、その。つまり助けてほしいのです」

「御弥山の神々と戦えというのか」

「あっ、いえ。そうではなく。話し合いでみんな仲良く暮らせていけたらいいと思うのです。そうすればツバサもヒカリも無事戻って来ると思うのです」


 クビラがじろっと睨みつけ一歩前に踏み込んで来た。

 顔が近い。


「話し合いはすでにしたではないか。わけのわからない因縁をつけられて決別したではないか」


 ドンとの音とともに砂煙が立ち昇る。

 クビラのひづめが地面にめり込んでいた。


 ムジンは一歩後ろに退き、頭を下げる。肉球にはじんわりと脂汗が滲んだ。

 やっぱり話し合いは無理か。確かに因縁をつけられたとの話は聞いているが、古の神々がなんの理由もなく因縁をつけてくるなんてことはありえない。


 余所者との理由だけで受け入れないなんてこともありえない。ふところが深い方々だと知っている。それならなぜ。


 天魔のせいなのか。

 いや、古の神々が天魔に操られることなんてありえるのか。そこまで天魔は力をつけたというのか。ムジンは狼たちの瞳を思い出す。いつもの瞳とは確かに違うように感じた。


 古の神々をお守りする眷属けんぞくが易々と操られてしまうとは情けない。

 だが、もしも違うとするならば、自らの意志で我らを襲って来ているというのか。


『神聖な地を犯しやがって、おまえらは裏切り者だ』


 狼たちが口走った言葉が脳裏に蘇る。

 ムジンには納得できなかった。

 んっ、なんだ。眩しい。


「薬師様」


 クビラが頭を下げて伏せをした。ムジンもクビラにならって頭を下げた。気がつくと十二神獣が全員並んで頭を下げていた。


「皆、おもてを上げなさい」


 なんだろうこの感じ。心がふわっとしたものに包まれたようだ。古の神々とはまた違った気だ。


「ムジン、話は聞きましたよ」

「は、はい」

「この件はなかなか難しい問題です。この地に古くから住まう神々とは仲良くしたいと思っているのですが……」


 薬師様は難しい顔をして少しばかり黙り込んでしまった。どうしたのだろう。ムジンは固唾を呑んで薬師様の言葉をじっと待つ。


「むむむ、なにやら怪しげな影が見えますね」


 怪しい影って。


「もしかすると天魔ではないでしょうか」

「私には木の仮面が見えます」


 おそらく天魔だ。


「それならば、天魔を排除すれば万事解決するってことでしょうか」

「どうでしょう。それで古の神々の心に笑みが戻ればいいのですが」


 どういうことだろうか。古の神々の怒りがそれほど強いということだろうか。


「あの、それでは戦は避けられないということでしょうか」


 薬師様は無言で頷き、小さく息を吐いた。


「そうならないようにしなければいけないでしょう。ただ、私たちから動くことは逆効果になりかねません。ムジンよ、今は静観させてもらいますよ」


 静観か。本当に何もできないのだろうか。

 薬師様は薬師堂の中へと戻っていく。十二神獣たちもあとを追っていく。


 薬師堂の扉がゆっくりと閉じていき、完全に閉ざされると急にあたりが暗くなった。目の錯覚ではない。それだけ薬師様の後光が輝いていたってことだろう。


 薬師様が静観するということは十二神獣も動かないだろう。それはつまり、そっちでなんとかしろということか。

 なんとかできるだろうか。ムジンは腕組みをして深く考え込んだ。


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