【十二】御弥山へ(三)


 足を止めて大きく息を吐く。

 だいぶ登ってきたけど、あの吊り橋をみつけた場所がはっきりしない。

 山道を逸れた森の中に入り口はあるはず。


 どこだ、どこだ。


 わからない。どこも同じような景色に見える。何か目印になるようなものはなかっただろうか。記憶を辿ってみても思い出せない。


 低い山とは言え、やっぱり体力的にキツイ。単に運動不足だと言われればそれまでだけど、行くべき場所がわからないと余計に疲れてしまう。


 どうすればいいのだろう。

 道なき道を無闇に進んでしまっては、迷って遭難するに決まっている。誰でもいいから教えてくれ。ひとじいでも、ヒカリでもいい。

 ヒカリか。どうしているのだろう。


『ヒカリ。どこかで無事でいるよな』


 そうだ、思い出した。あのときヒカリの声が聞こえてきたんだ。

 耳を澄ませて、あたりの様子を窺う。

 聞こえてこないか。何か変化はないか。


 期待感に胸が膨らみ、すぐにその期待感は萎んでしまった。そう都合よく事が起こるはずがないか。


 そういえばヒカリってどんな顔をしていただろう。ヒカリの顔が朧気おぼろげで思い出せない。本人が聞いたら怒るだろう。


 あれから五年だ。五年も経てばそうなってもしかたがない。いや、会ったのはもっと前だ。それに大人っぽい顔になっているかもしれない。会っても気づかないなんてこともあるかもしれない。すごく美人になっているってこともある。


 いやいや。どんなに変わっていようとも会えば絶対にヒカリだとわかるはずだ。

 まったく何を考えているのだろう。生きているのかもわからないっていうのに。


 馬鹿、馬鹿、馬鹿。

 それこそ何を考えている。ヒカリは生きているに決まているじゃないか。だから、この光る花が咲いたんじゃないか。幽霊になってひとじいだって来てくれたじゃないか。


 深呼吸をひとつして、翼は木々の間から見える眼下の景色に目を向けた。

 あれが古墳か。ここからだとはっきりとわかる。ただの森ではない。あの形は前方後円墳だろう。たぶん。


 疲れも溜まってきたし眺めもいいし、このへんで少し休憩だ。景色でも楽しもう。


 額から滲んだ汗を拭いとると思いっきり空気を吸い込み一気に吐き出す。

 青い空に吸い込まれそうだ。あの小さく見える眼下の世界にも吸い込まれそうだ。


 あれ、あっちにも駅があるのか。さっき降り立った無人駅とはかなり違う。ビルも見えるし結構賑やかそうだ。

 無人駅のほうへ再び目を向けて、しばらく眺めていた。

 明と暗って感じだ。この先、悪いことが起きそうだ。

 翼は頭を振り、嫌な考えをふり払った。


 あそこから歩いて来たのか。結構歩いて来たんだな。

 天気もいいし、山の空気も美味い。これがハイキングだったら最高なのに、そうではない。

 また同じこと考えている。翼は少しだけ口角を上げて背後の森をみつめた。


 神獣の住まう山か。

 また白大蛇と出会ってしまうのだろうか。

 あいつは恐ろしい化物だ。恐ろしいが、神様という可能性もある。


 神様ってどこか恐ろしい存在なのか。神隠しはあの白大蛇のせいなか。どうなんだ。ひとじいと自分は発見されたじゃないか。ひとじいは亡くなってしまったけど。


 どうにもわからない。

 神隠しではないとしたら、ヒカリの遺体がどこかに存在するはずだ。馬鹿なことを考えるな。ヒカリはどこかで生きているさ。じゃ、どこに。


 翼は思いっきり息を吐き出し山道の先を見遣った。

 会いたい、会いたい、会いたい。ヒカリに会いたい。


 ヒカリのことを考えれば考えるほど胸が苦しくなってくる。この気持ちを早く伝えたい。いなくなってから自分の気持ちに気づくなんて。


 よし、行くぞ。少しは休めた。何か手がかりをみつけられるかもしれないし、もう少し登ってみるか。


 んっ、なんだろうこれ。

 足元に何かが埋まっている。一部分だけが顔を出している。


 何か価値がありそうな代物だろうか。拾ってみると、動物らしきものが描かれていた欠片だった。陶器だろうか。金属だろうか。もしかして青銅か。


 えっ、なんで。

 不思議なことに手にした欠片が一瞬のうちに崩れて粉々になってしまい風に飛ばされていった。

 どういうことだろう。


 ガサガサッ。


 すぐ横の草むらから物音がして思わず身構える。何かがいる。まさか、熊じゃないだろうな。熊出没注意とかの看板はなかったはず。


 生唾を呑み込み立ち尽くす。

 しばらくの間、じっと草むらを睨みつけていたが何もそこから出てこなかった。


 風の悪戯いたずらだったのだろうか。そうかもしれない。まったく、ビビリ過ぎだろう。そんなことはない。さっき、なんとなくだが視線を感じた。気のせいだったのか。


 ガサガサガサ。


 なんだ。

 揺れた草のほうをじっとみつめていたら狸が顔を出した。すぐに顔を引っ込めてしまったが間違いなく狸だった。だからどうした。そいうこともあるだろう。


 えっ、なんだ。今度は狐が顔を出している。あれ、猫までいる。あの猫、駅にいた猫に似ている。まさか、同じ猫ってことはないだろう。


 狐と猫に近づこうとしたら、顔を引っ込めてどこかへ消えてしまった。腰まである草が生い茂っているせいでみつけることは不可能だ。


 それにしても狐と猫が一緒にいるだなんて面白い。そんなこともあるんだな。もしかしたら狸も仲間なのかも。どうだろう。狐と狸って仲が悪そうなイメージあるけど。


 あっ、黒アゲハチョウだ。

 これはいい兆候だ。確か、黒アゲハチョウは神様に歓迎されている合図のはず。そんな話をどこかで聞いたことがある。


 ヒラヒラと頭上を飛ぶ黒アゲハチョウがさきほど揺れた草むらのほうへと飛んで行く。


 んっ、今何かが光ったような。


 黒アゲハチョウは光った先のほうへと飛んで行く。ついて行ったほうが良さそうだ。そう直感した。

 その思いに反応するかのようにビニール袋に入れた光る花が強い光を放ち瞬いた。


 やはり、行くべきだ。

 あの黒アゲハチョウはもしかしたら案内役なのかもしれない。そんな都合のいい話があるかはわからないけど、手がかりのない今はあの黒アゲハチョウに賭けてみるのもありだ。


 一瞬、白大蛇のことが思い出されて翼は足を止めた。


 うおっ。

 突然の強風に身体が草むらへと押されていく。頭上でも枝葉が揺れて騒めいている。


 どうした急に。首筋を冷たい風が吹き抜けていき、翼は肩をすくめた。雲行きも怪しくなってきた。まさかと思うが雨でも降ってくるんじゃないだろうか。少し寒い気もする。雨じゃなくて雪が降ってきたりして。


 これはまずい状況なのでは。引き返すべきか。

 黒アゲハチョウを見遣ると、なぜか頭上をグルグルと円を描いて舞っていた。


 草むらの先は真っ暗で何も見えない。さっき見えた光はきっと目の錯覚だったのだろう。正直、行きたくはない。道なき森へと足を踏み入れても良いことなんてなさそうだ。遭難する可能性大だろう。そう思ったら寒気がした。寒気がするのは寒さのせいかもしれないけど。


 どうする。もしかしたらここが吊り橋へと続く道かもしれないぞ。

 躊躇ためらっていると突然背中をドンと押されて草むらの中へと突っ込み倒れ込む。すぐに後ろを振り返ったが誰もいなかった。


 土で汚れた手を払い「まったくなんだよ」とぼやき、その場に胡坐を掻いて座り込む。


 あれ、ここは……。

 草むらの中へ突き飛ばされたと思ったのに、目の前には吊り橋があった。空を見上げると雲一つない青空が覗いている。小鳥の楽し気なさえずりも耳に届く。川の流れる音もする。


 あっ、滝だ。

 そういえばなんだか風があたたかい。

 気づくと黒アゲハチョウが膝の上に留まり羽をゆっくり上下させていた。


 ここだ。ひとじいと来た場所だ。ここでヒカリは……。

 ここが神獣の住まう世界なのだろうか。また白大蛇に遭遇してしまうのではとの思いもあったが、不思議と大丈夫な気がした。今日は以前と違う。


 あっ、しまった。

 手にしていた光る花を植木鉢の土もろともぶち撒いてしまった。さっき見えない誰かに突き飛ばされたせいだ。翼は植木鉢に土を戻して光る花を植え直そうと手を伸ばす。


 その瞬間、光る花がふわりと浮き上がり吊り橋のほうへと飛んで行ってしまった。

 そんなことって……。


 目にしている光景が信じられなかった。緑の葉を上下に動かしてまるで蝶々のように吊り橋の先へと飛んで行く。黒アゲハチョウも光る花を追いかけるように優雅に羽を広げて飛び立った。


「おい、ちょっと待てよ」


 翼は立ち上がり、吊り橋へと駆け出した。

 吊り橋の中間地点あたりに差し掛かったところで、足元の板が嫌な音を立てて割れた。


 落ちる。落ちていく。死ぬのか。

 風の音が耳を塞ぎ、風の渦が身体を撫でていく。

 なんだ、何かが来る。あれはいったいなんだ。


 龍か。まさか、そんなことって。他にも何かがいる。

 来る、来る。来た。


 天から龍が迫って来て、きらびやかな大きな鳥が横切っていく。森の中から白い虎が雄叫びを上げ、眼下の川から巨大な亀が顔を出してきた。


 なんだ、なにが起きている。あれって四聖獣だろう。現実に存在するのか。

 身体が。身体が何かに包まれているようだ。

 落ちているのに、落ちていないような不思議な感覚だ。


 あれは。

 あんなところに鳥居が見える。猫だ、猫がいる。


 夢で見た猫に似ている。そびえ立つ木々と同じくらい大きい猫だ。狐もいる。狸もだ。みんなデカすぎだろう。さっき見た三匹がもしかして。いや、違う。吊り橋からさっき見た狐、狸、猫が覗き込んでいる。それならば、あのデカい奴らは。


 そうか、あいつらがこの山に住まう神獣なのか。きっと、そうだ。それなら、ここにヒカリが。


 うわっ。目が、目が。

 閃光があたりを包み込み視界を奪われた。同時に腕に痛みが走る。呻き声をあげて瞼を閉じる。


 死ぬのか。死ぬんだよな。

 混乱と不安とが入り混じり気持ちが焦る。

 もしかして、ヒカリも同じ目に。


 うっ、痛い。な、なんだ。

 顔にバチバチと何かが当たってきた。手で飛んでくる何かを払い除けると身体のバランスを崩して頭が下を向いてしまった。

 やっぱりここで死ぬのか。


『暴れるな。落ち着け。おまえは死なぬ』


 誰だ。

 うおっ、まただ。何かが顔に当たってくる。

 いい加減にしろと叫ぼうとしたとたん何かの気配を感じて目を開く。


「うわぁーーー」


 飛び交う葉とともに龍の顔が目の前に突き出てきた。翼は衝撃のあまりそのまま気を失った。


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