第35話

 私はチキンラーメンの袋をあけ、どんぶりに入れる。

 沸騰したお湯を注ぎ込み、卵を割り入れる。

 お皿で蓋をして、タイマーをスタートさせた。


 いつの頃からか、私は『飼い殺し』という言葉を覚えた。


 タカナシさんは屋敷の北の森で飼い殺されていたのだ。


 みすぼらしい小さな小屋で過ごす。

 たった一人で。

 小屋の中に置かれた大量の本は、彼女の仕事でも何でもないのだ。

何年も何年もたった一人で彼女が過ごすための唯一の『暇つぶし』だったのだ。


 成長というのは恐ろしいもので、私が大きくなるにつれて知りたくなかったことが一つ一つ明らかになっていった。


 例えば。

 私たちはなぜ、花火を見に行った日、屋敷を抜け出すことができたのか?

 答えは簡単。庭師の有村さんがタカナシさんに協力してくれたからだ。


 では、タカナシさんはなぜ有村さんの協力を得られたのか?

 有村さんが主人の方針に反して見張りの妨害をすれば、有村さんが酷い目に遭うかもしれないのに。


 所有するものといえば大量の本しかないタカナシさんが有村さんにできることはほとんどない。


 

 

 あの日、タカナシさんが私の入った段ボール箱の蓋を開けたとき、彼女の髪が乱れていたのはそのためなのだろう。


 そして、タカナシさんが私のために身を捧げたのは有村さんが初めてではなかったのだ。

 タカナシさんは言っていた。


「これから私とあんたのする取引に関して、あんたのご主人様はあんたを責めることはできない。あの人はとうの昔にその資格を失っているからな。あんたはただ楽にしていれば良い。」


 有村さんがタカナシさんと人の道を外れて関係を持つことについて、氷川家の当主は責めることはできない。


 なぜなら、その氷川家の当主が既に人の道を外れて、タカナシさんと関係を持っていたのだから。

 有村さんのことを氷川の当主は責めることはできない。


 氷川の当主、つまり、私の父親は人の道を外れてタカナシさんと関係を持ったのだ。

 おそらく、強引に。

 美しいタカナシさんを我が物にしようと思った私の父親は、無理やりタカナシさんと関係を持った。

 そして、タカナシさんは身籠った。

 タカナシさんはその子どもを出産したのだ。

 街一面に雪が降り積もった美しい日に。


 氷川の当主のこの蛮行を隠蔽するために、黒い動きがあったようだ。

 私が中学生の時、密かにタカナシさんについて調べてもらったことがある。

 

 結果は望むようなものではなかった。


 タカナシさんの存在を示すものはこの世に何一つ存在しないという結論が出ただけだった。

 また、私の出生に立ち会ったとされる医師は私の生まれた2週間後に神奈川県の三浦半島沖で海に身を投げて死んだという。


 極め付けがある。

 私の母親の葬式の日に、私は母の主治医を問い詰めた。

 

 私は本当に母の子どもなのか?、と。

 

 私がしつこく尋ねると、主治医は一言だけ答えてくれた。


「あなたが生まれた当時、あなたのお母さんは子どもを産める体ではなかった」

 あとは何も聞かないでくれ、と言い残して主治医は足早に葬式会場を去っていた。


 その3日後だ。

 主治医は新橋駅のホームから飛び降りた。

 ホームに入ってきた電車に轢かれて即死だったという。

 警察は自殺で処理した。


 でも、私はそうは思わない。





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