須藤唯奈の新しい人生(須藤唯奈25歳)

 子供の頃に欲しかった魔法少女のステッキは、子供の頃だからこそ価値がある。大人になってしまった今は、いつ失くしてしまったのかすらも覚えてない。

 私が須藤唯奈になったあの日、あれだけ欲しがっていた男が急に安っぽく見えてしまった。


 見える景色が違ってくれば自然と思考も変わってくる。人格が顔に出るのもあるけれど、顔が人格を作るのも本当だと思う。入れ替わってみてそれは痛感した。


 私のスマホは常に何か理由を探して連絡をよこす男達の通知でLINEもインスタのDMも埋め尽くされていて、その中から自分の時間に余裕があって気が向いた時に興味のある相手にだけ返事を返す。


 経済的にゆとりもあって容姿も及第点の彼氏がいて、芸能人やインフルエンサーや俳優のセフレも知り合いもいる。

 自身のフォロワー数に応じた案件が月に何件かあって、それをこなすだけで一般的なサラリーマンの月収よりは遥かに稼ぐ。

 OLをいまだにやっているのはお金のためというよりも世間の印象がいいからだ。

 ゆくゆくはビジネスも始めたいと思っているので勉強のためというのもある。


 私の将来がヒヒじじいの愛人や、容姿か思春期かその両方にコンプレックスのある成金のアクセサリーになるのだけは勘弁してほしい。

 そのためにも私は自立した女になる必要があって、リスクは分散させ、人もお金も安心できる手堅い投資先に偏りなく投資した。


 日常の規模が日に日に膨れ上がり、私は幼い頃に思い描いていたなりたいものになった。そう思い、ゴールに到達して眺めた景色がスタートラインにすぎなかったと気付いたのが1年前。


 私の耳に新しい人生の始まる福音ふくいんが聞こえた。


 













 仕事が終わり、会食を済ませ、家路についた私は、メイクを落としてシャワーを浴び、スキンケアをする。

 歯磨きをしながら髪を乾かし、軽いストレッチをしてからベッドの上に横になる。

 そんないつもと変わらない一日の終わりにそれは起こった。


 キーンという耳鳴りがし始めて、ドアの向こうから嫌な気配を感じた。

 不吉な、汚らわしい、触れてはいけないもの。そういった何かが近づいてくる気配がした。


 気配はドアを侵食し、すり抜け、灯りの無い暗闇の中でも黒い影となって見えるようになった。

 怖くなった私はベッドライトをつけると、目の前に背の小さい男が一人立っていた。


 禿げあがった頭髪と大きな鼻、細長い切れ長な瞳とだらしなくぶら下がった唇。男は歯並びの悪い口の隙間から赤く長い舌をべろりと出して舌なめずりをしてから私に話しかけてきた。


「約束… 約束…」


 男の細長い瞳がさらに細くなり、もともと醜い口元をさらに醜く歪ませながらニヤニヤと笑っている。


「約束? 何のこと? あなたみたいな得たいの知れない気持ちの悪い男と私が何かを約束するわけないでしょ」


 男は一度視界に入れれば忘れようとしたって忘れられない見てくれの悪さだ。絶対に初対面のはず。私のことをSNSか何かで知った、頭のおかしなストーカーか変質者だ。そもそもどうやってここに? 警察を呼ばなきゃ。いや、間に合わない。どうしよう…。


 男は私の戸惑うさまをニコニコしながら眺め楽しそうにしていた。実際に気色の悪い笑い声もあげた。手を叩いて小躍りしながらまたつぶやく。


「井戸井戸… 約束約束…」


 井戸? 約束? その瞬間、私は男の言う約束を思い出す。

 私が枯れ井戸に身を投げたあの時、願いが叶うのならば何だってすると、井戸に巣くっていた何かに約束をしたことを思い出す。


 思い出したのが男に伝わったのか、男はカパリと口を大きく広げ、広げた口からは二つの腕が私に向かって伸びてきた。

 私は男に抱き寄せられながら、えた、肉の腐ったような臭いのする男の腕に抱かれながら、広がり続ける黒い影に包まれ、み込まれていった。

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私が地獄に堕ちるまで 望月俊太郎 @hikage_furan

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