2-10話


 無重力感に胃が突き上げられる。この高さから落ちれば大はまぬがれない。

 驚いた豆太郎は、小さな豆狸の姿に戻ってしまった。

 せめて彼だけは守ろうと、華は彼を抱きしめる。



「──迷い兎がいるね」



 落下していた体が、ふわっと軽くなった。

 はっとして見れば、狐耳を生やした狛夜が、空中で華を横抱きにしていた。


「狛夜さん……」

「こんな場所に忍びこむなんて悪い子だ。そんなに僕の秘密を知りたかったの?」


 かろうじて形を保った櫓の端に着地した狛夜は、見上げ入道をせせら笑った。


「負けが悔しいのは分かるが、駄々をこねて暴れる妖怪はもはやお客ではない。出ていってもらおうか」

「断り申す!」


 拳が勢いよく振り下ろされた。足を踏み切ってけた狛夜は、階段を足場にしてシャンデリアに飛び乗る。見上げ入道は、周囲を破壊しながら追いかけてきた。


「待て待て待てー!」

「しつこい奴め」


 狛夜は、振り子のように揺れ動くシャンデリアから、本日の総賭け金を表示する電光掲示板に移動し、スロット台の上を走り抜けて見上げ入道をほんろうした。

 拳をスレスレでかわすたび、羽織がちょうの羽根のように広がる。なびく髪はシャンデリアがかすむくらい強く輝き、豊かなしっがもふっと揺れる。

 きばのぞかせて笑う狛夜を見上げて、華の鼓動はうるさいぐらいに高鳴った。


(狛夜さん、たのしそう)


 素早い身のこなしに振り回された見上げ入道は、ホールの中ほどで大きくよろけた。


「目、目が回る〜〜」


 そう叫ぶなりドシンと倒れてしまった。大きな目玉はぐるぐると渦を巻いている。


「もう終わりかい?」

 床に着地した狛夜は、残念そうにいきをついた。


「僕に挑むなら、もっと鍛えてから来てもらわないと。華もそう思うよね?」

「これ以上、スリリングな体験は困ります……」


 華が深呼吸すると、懐で「キュウ」と可愛らしい鳴き声がした。


「忘れてた! 豆ちゃん、大丈夫?」

「平気です、うっぷ」

「豆太郎、休んでいなさい。僕は事後対応をするから、これを持って待っててね」


 ようやく降ろしてもらえた華は、先ほどの丁半勝負で使ったサイコロを握らされた。

 周りでは、騒ぎでゲームを中途半端にされたようかいが、運営にブーイングを出している。


「豆ちゃん。ここにいると邪魔になるから、ホールの端にあるベンチまで行くね」


 豆太郎を抱えて歩き出した華は、不安な時の癖で首にかけた翠晶に触れた。

 すると、翠晶は淡く光り、サイコロから黒い影が飛び出した。

 華の腕にちょこんと乗ったのは、小さな白い妖狐だ。華は、あっと思う。

 VIPトイレで見た獣とそっくりだ。


「あなた、サイコロに取りいていたの?」


 ということは、先ほどの勝負は──。

 華は、指示を出し終えた狛夜に近づき、妖狐の首ねっこをつまんで眼前にぶら下げた。


「狛夜さん、これは一体どういうことですか?」

「あれ。見つけちゃったんだ」


 手の平で妖狐を受けとめた狛夜は、逆毛の立った頭を指の腹ででた。


「これはくだぎつねという妖怪で僕の手下だよ。体が小さいから目立たない役を命じることが多いかな。例えば、壺の中に潜んで、僕が賭けた方にサイコロの目を変えたりね」

「詐欺じゃないですか……」


 見上げ入道が言った通りイカサマは行われていた。

 サイコロに取り憑いた管狐が、狛夜が賭けた方の目を出したのだ。

 レストランの支配権も同様にして奪ったのだろう。


「こんなのフェアじゃありません。見上げ入道さんが可哀想かわいそうです」

「賭け事が公平でなければならないなんて、誰が決めたの?」

「誰が、って……」

「胴元が勝てる勝負を催すのは、古今東西世の習いだよ。そのために手練の賭場師を雇ってるんだ。僕、欲しい物を見つけると我慢できないんだよね」


 悪びれた様子もなく、狛夜は管狐を帯に挟んでいた竹筒にしまった。


「これで見上げ入道も、自分は賭け事に弱いんだと認めざるを得ないだろう。ここの修理費用を請求しても払う当てはないだろうから、どこかのタコ部屋にでも送るかな……」


 情け容赦のない外道。これが狛夜の素なのだ。

 心を許し始めていた華の熱がすっと冷めた。


「狛夜さん」


 華は、翠晶を両手で握りしめて、金を巻き上げる算段をする狛夜を見つめた。


「そうやって、わたしのこともだますつもりですか?」


 はしばみいろひとみをうるませる華に、狛夜は悠々と微笑む。


「君を愛しているのは本当だよ」


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