白色コスモスのラブレター

望月くらげ

白色コスモスのラブレター

 椿中学校一年四組の教室で、私、朝倉あさくら花音かのんは図書室で借りた花言葉の本を読んでいた。そんな私の頭上から「ねえねえ!」と甲高い声が聞こえて思わず顔を上げた。

「今日の放課後って暇? 暇だよね?」

「暇だけど、どうしたの?」

 机の前に立った西崎にしざき杏奈あんなは小学校の頃からのトレードマークであるポニーテールを揺らしながら「これ!」と何かを差し出した。

「これって、新しくできた文房具屋さんのチラシ?」

「そう! あそこ二組の大沢さんのお父さんがやってるんだって。さっき廊下でチラシ配ってたの」

 そう言いながら杏奈は私の手の中の本を覗き込んだ。

「と、いうか何読んでたの?」

「これ? 花言葉の本だよ」

「沢村先生の授業のあれ?」

「そうそう。他の花言葉も調べたくなって」

 数日前の理科の授業で、話を脱線させた沢村先生が花言葉について語っていた。色によっても花言葉が違う、という話を聞いて他の花言葉も気になったのだ。けれど杏奈は特に興味はないようで「それでね!」と話を先程のチラシへと戻した。

みどりも誘って帰りに行こうよ」

「あれ? そういえば翠は?」

 大久保おおおくぼみどりの姿を探したけれど、教室の中にはなかった。トイレにでも行ったのだろうか。時計を見るとあと五分で三時間目が始まる――。

「あ、帰ってきた。って、何やってんの」

 杏奈の言葉に、私は視線を教室の入り口に向けた。

 周りを気にしながら教室に入ってくる翠は、どこからどう見ても何かを隠してますと言わんばかりだった。

 ほっと息を吐きながら私の一つ後ろの席に座った翠は、興奮気味に口を開いた。

「私、凄いもの拾っちゃった! 見て! ラブレター!」

 真っ白な封筒には宛名も送り主の名前も書いていない。これでラブレターだってわかったってことは。

「中身、見たの?」

 同じことを思ったようで、杏奈は咎めるように翠に尋ねた。杏奈の言葉に翠は後ろめたさを隠すように「だって……」と口を尖らせる。

「中身見ないと、誰が落としたのかわかんないじゃん……。届けてあげようと思ってさ」

「それで? 誰のかわかったの?」

「それがさ、中にも名前なかったんだよね」

 翠の答えを聞きながら、差し出された封筒を開けると、杏奈は中身を確認し始めた。私も気になってこっそり覗き込んでしまう。

「ホントだ、名前ないねえ」

 小さな花があしらわれた真っ白な便箋。そこには 『消しゴムを貸してくれてありがとう』とか『隣の席になれて凄く楽しかった』とか他愛もない内容と、そして『今日の放課後、校舎裏で待っています』と書いてあった。

 私には送り主も貰った相手もわからない。けれどどうやら杏奈は違ったようだ。

「……これさ、書いたのうちのクラスの男子じゃない?」

「え?」

 杏奈の言葉と同時に三時間目の開始を知らせるチャイムが鳴った。「またあとでね」と言い残して杏奈は窓際の席へと戻って行く。

 三時間目は私の好きな国語の授業。でも、杏奈の言った言葉の意味が気になって授業に集中することができなかった。


 三時間目が終わると同時に私は杏奈の席へと向かった。どうやら気になっていたのは翠も同じだったようで、同時に杏奈を取り囲む。

「ねえ、さっきの話なんだけど!」

「このクラスの男子ってどうしてそう思ったの?」

 私たちの問いかけに、杏奈は先程の便箋に書かれた一文を指さした。

「『三日に行った社会科の課外授業の時』って書いてるでしょ。あの課外授業ってたしかクラス別に日をずらして行ったよね」

「そっか! 杏奈賢い! それで? 誰が送ったのかもわかったの?」

「それは、わかんないけど」

 少し悔しそうな表情を浮かべると、杏奈は口を尖らせた。

「ちなみにうちのクラスでラブレター書きそうな男子っている?」

阿瀬比玲ビーレイとか?」

阿瀬比あせび君? いやー、そんな度胸ないでしょ。それならあっくんは?」

「杉本とかも書きそうだよね」

 口々にクラスの男子の名前を挙げていくけれど、いまいちピンとこない。

 今日は五時間授業。つまりこのラブレターを持ち主に返すなり貰った相手に渡すなりするチャンスはこの休み時間と昼休みしかない。

 けれど結局いい案が思い浮かぶことなく、休み時間の終わりを告げるチャイムが教室に空しく鳴り響いた。

 四時間目の授業が始まっても私の頭の中はあのラブレターのことでいっぱいだった。何かヒントがないかとあの便箋に書かれていた言葉を思い出していた。でも他愛のないやりとりばかりでヒントになりそうなことはなにもない。あと思い出せるのはシンプルなようで真っ白の花が可愛かったぐらいだ。

 そういえばチラシに載っていたレターセットも可愛かったなぁ。綺麗な花があしらわれてて――。

 ……レターセット? チラシ?

 もしかして、が頭の中を駆け巡る。あのチラシに載っていた便箋を思い出して、私は心臓が高鳴るのを感じだ。この発見を少しでも早く聞いて欲しくて、授業が終わるのが待ち遠しくて仕方がなかった。


 四時間目が終わり、給食を食べ終わると急いで杏奈の元へと向かった。本当は給食の時間に話しに行きたかったのだけれど、給食当番だったので話すことができなかったのだ。

「杏奈! 聞いて! と、いうかチラシ見せて!」

「チラシ? なんの?」

「さっきのチラシだよ! 新しくできたっていう文具屋さんの」

 私の言葉に杏奈は、机の中に入れていたチラシを撮りだした。机の上に広げられたチラシには、私の記憶通りレターセットが載っていた。

「ねえ、これ! あのラブレターと似てない?」

 花の種類は違うけれど似ているように思う、のだけれど。私の言葉を聞いて黙ったままレターセットとチラシを見比べる杏奈の姿にだんだん自信がなくなってきた。

「あの、えっと……」

「花音、偉い! よし、二組に行くよ! 大沢さんに確認しなきゃ! 放課後はお店手伝ってるって言ってたし誰が買ったか覚えてるかも!」

 私の腕を掴むと、杏奈はまだ給食を食べ終わっていない翠に「二組に行ってくるね!」と声を掛けて教室を飛び出した。

 二つ隣の教室に着くと、杏奈は大沢さんを呼ぶ。少しの間のあと、教室から大沢さんが顔を出した。

「あれ? 杏奈ちゃんどうしたの?」

「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。これって大沢さんのお父さんのお店で売ってるやつかな?」

「んー」

 封筒をいろんな角度から見る大沢さんの姿をドキドキしながら見つめる。やがて大沢さんは「うん!」と笑顔を浮かべた。

「そうだよ、これパパのお店で取り扱ってるやつだ」

 大沢さんは封筒を裏返すと、小さく外国の言葉で何かが書いてあるのを指さした。

「このブランド、日本で取り扱っているお店うちだけなの。パパがブランドオーナーと仲がいいから特別に、うちのお店でだけ取り扱わせてもらったんだって。だから絶対うちで買ってくれた人だよ」

 そのレターセットは花をモチーフとしていて、たくさんの種類があるそうだ。定番の薔薇や桜が人気だけど、誕生花や花言葉で選ぶ人もいるらしい。

「じゃあこれ誰が買ったかとかわかる? 具体的に言うとうちのクラスの男子で!」

「えーわかるわけないよ。この数日、すっごくお客さん多かったし」

「そっか」

 言われてみればそうなのかもしれない。けれど、期待してしまっただけにショックが大きい。売ってた店がわかったところで、買った人がわからなければ意味がないのだ。

「ごめんね、教えてくれてありがと」

「ううん、役に立てなくてごめんね」

 謝る私たちよりも大沢さんは申し訳なさそうな表情をしながら教室へと戻っていった。つい数分前、テンション高く走ってきた廊下をトボトボと歩く。

 重い気持ちを引きずるように教室に戻った私たちを、満面の笑みの翠が待っていた。

「ね、何かわかったの? 私にも教えてよ!」

「あー……このレターセットが二組の大沢さんのお父さんがやってる文具屋さんで買われたものだってことはわかったよ」

「凄い! じゃあ、買った人もわかったってこと?」

「それ、は」

 翠から目を逸らして私たちは二人揃って口ごもってしまう。

 教室の時計に視線を向けると、昼休みの終わりまであと五分。もう、無理だ。

「ねえ、さっきから面白そうな話してるけど、僕も混ぜてよ」

「……星村ほしむら

 その声に、杏奈ちゃんは心底嫌そうな声を出した。声のした方を見ると、そこには同じクラスの星村すばるの姿があった。

「盗み聞きなんて趣味が悪いよ」

「僕の斜め前の席で話してたんだから聞こえるに決まってるでしょ」

「うっ」

「で、何を悩んでたの?」

 私たちはラブレターを差し出し事情を話した。一通り話を聞き終わると星村はラブレターの中身を一瞥いちべつし肩をすくめてた。

「答えのヒントがこんなにもあるっていうのになんでわからないの、杏奈ちゃん」

「杏奈ちゃんって呼ばないで。っていうか、待って。星村にはわかったっていうの? 送り主も貰った相手も?」

「もちろん」

「ホントに!?」

 思わず詰め寄ってしまう。一瞬、身体を仰け反るようにしながらも星村君は「う、うん」とズリ下がった眼鏡を戻しながら頷いた。

「す、少なくとも貰った相手については自信を持ってわかったと言えるよ」

 私たちと同じ情報しか持っていないはずなのにどうしてそんなことが言えるんだろう。私たちが見落としているだけで、何か答えになるような何かが書いているのだろうか。

「ごちゃごちゃ言ってないで答え教えてよ! あと七分しかないんだから!」

 時計を見ると昼休みはあと七分で終わろうとしていた。星村君も時計を見て「たしかに」と頷く。

「それじゃあ答え合わせをするために二組へ行こうか」

「え、ちょっと待ってよ」

 早歩きで教室を出て行く星村君のあとを私たちは慌てて着いていく。

「ねえ、二組ってことは大沢さんのところでしょ? さっきも言った通り誰が買ったかなんて覚えてないって言ってたよ」

 杏奈ちゃんの話なんて聞こえていないかのように二組の前にたどり着いた星村君は、ちょうど教室を出ようとしていた大沢さんに話しかけた。

「大沢さん、ちょっと聞きたいことがるんだけどいいかな」

「なに? あ、さっきのレターセットの話なら――」

「ううん、そうじゃなくて。大沢さんのお父さんのお店に来た人の中で――」

 星村君が何かを尋ねたけれど、上手く聞き取ることができない。尋ねられた大沢さんはパッと笑顔を浮かべた。

「ああ、うん! それなら覚えてる。教えてあげたら凄く喜んでたよ。でも、それが誰かまでは……」

「や、それだけわかれば大丈夫。ありがとね」

 にこやかに微笑むと星村君は教室とは反対へと歩いて行く。

「ねえ、どこに行くの?」

「このラブレターを届けに行くんだ」

「え?」

 階段を降り、昇降口近くにある下駄箱の前に立つと星村君はニッと笑った。

「タイムリミットまでジャスト五分。じゃあ、答え合わせをはじめようか」

 その言葉に重なるように、昼休み終了五分前を知らせる音楽が鳴り響いた。


「まず、このラブレターを貰ったのはうちのクラスの秋野あきのさくらだよ」

「桜? ホントに!? でもなんでわかったの!?」

「簡単だよ。ラブレターにあしらわれたのはコスモス。これは秋野桜のことだ」

「どういう……」

 星村君の言っていることがいまいち理解できない私とは反対に、杏奈は「あーっ!」と声を上げた。

「杏奈、わかったの?」

「わかったっていうか。ほら、この前の理科の授業で花言葉の話が出たときにカタカナの花にも漢字があるって言ってたでしょ。そのときにコスモスも出たの忘れちゃった?」

「それはさすがに覚えてるよ。秋桜って書いてコスモス……。あーっ!」

 秋野桜、秋の桜。つまり秋野桜はコスモスってことなんだ。だから、このラブレターは秋野桜宛ってこと……。

「でも、そんなのただの偶然かもしれないじゃん。たまたまコスモスのあしらわれたレターセットを買ったってだけで」

「うん、その可能性もあったからさっき大沢さんに聞いたんだ。『お店に来た人の中で、「白いコスモスのレターセットありませんか」って聞いた人はいなかった?』ってね」

 星村君が言い終わると同時に、五時間目の授業の開始を告げるチャイムの音が鳴り響いた。

「ま、これで一件落着ってことで」

 桜ちゃんの下駄箱にラブレターを入れると、星村君は教室に向かって歩き出す。

 結局送り主は誰だったのかわからないままだけれど、とりあえずこれでラブレターは無事桜ちゃんの元へと届けられたのでひと安心だ。

 

 とはいえやっぱり心配で私たちは帰りのホームルームのあと、こっそりと桜ちゃんのあとを追いかけた。桜ちゃんは真っ直ぐに昇降口へと向かい、下駄箱を開けたあと少し驚いたような表情を浮かべ、それから嬉しそうにラブレターをギュッと抱きしめた。その表情からは、送り主が誰かも、そしてきっとその相手のことを桜ちゃんも好きなんだと伝わって来た。

 走って校舎裏へと向かう桜ちゃんの姿に、きっと上手くいくと予想がついた。でも、私にはまだわからないことが一つ残っている。

「結局誰が送ったの、って顔してるよ」

「星村君」

 いつの間にか後ろにいた星村君は、桜ちゃんから私へと視線を向けて口を開いた。

「それじゃあヒント。大沢さんのお父さんのお店に白いコスモスのレターセットを買いにきてた子、他の色じゃ駄目だったらしいよ」

「どうして他の色じゃ駄目だったの?」

 むしろ真っ白の便箋に白いコスモスがあしらわれていても目立たない。それならピンクや赤のコスモスをあしらったものの方がわかりやすいし可愛いのではと思ってしまう。

 そんな私の疑問に答えてくれるのかと思いきや、星村君は「そのまえに」と話を遮った。

「うちのクラスで秋野桜のことを好きなやつって言ったら誰がいる?」

「えー、とりあえずビーレイじゃない?」

「あー阿瀬比君ね。たしかに」

 あまりにもわかりやすい阿瀬比君の片思いは気づけばクラス中に広まっていた。

「それでは問題です」

 星村君はおかしそうに笑うと、私たちに言った。

「白いコスモスの花言葉はなんでしょう」

「白いコスモスの」

「花言葉?」

 杏奈と翠が顔を見合わせて首をかしげる。けれど、私は今日ちょうど読んでいたページを思い出していた。ピンクのコスモスは『乙女の純潔』赤いコスモスは『乙女の愛情』それから『調和』。そして――。

「白いコスモスの花言葉は『優美』『純潔』それと『美麗』……」

「正解。わかってみれば単純な言葉遊びだよ。美麗……びれい……びーれい」

「ビーレイ!」

「そ。まあ大方先日の理科の授業の時にどっちも名前がコスモスだね、なんて話で盛り上がったんでしょ。それでこのラブレターを思いついたと」

「なるほど」

 ようやく星村君の言った『答えのヒントがこんなにもあるっていうのになんでわからないの』という言葉の意味がわかった。答えのヒントは最初からたくさん私たちの周りに散らばっていたんだ。

「ほら、上手くいったみたいだよ」

 星村くんの言葉に視線を向けると、そこには仲良く手を繋いで校舎裏から出てくる二人の姿があった。

 二人はまるで、秋の野原に咲き乱れるコスモスのような笑顔を浮かべていた。

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