第2話 冒険者ギルド

 椅子の前足を持ち上げると、背中の棚に当たる。そうして俺は、また椅子の足を戻した。



 木の匂いとコーヒーの匂いが充満しているが、ここはカフェじゃない。ここは俺が経営する冒険者ギルドである。



 棚にはポーション等の薬品を並べ、ハンガーラックにはドラゴンの鱗を縫い込んだ衣服をかけている。右脇の木箱には、色々なスキルが付与された武器が、ガラクタのように詰め込まれていた。


 背中の棚には羊皮紙が丸められて放り込まれている。書き込まれている情報は、地図や世界情勢、ダンジョンや契約できる神々についてだった。


 俺の近くに立てかけてある剣は、俺の愛刀だった。八津刃やつはで使っていた刀は、とうの昔に折れている。これは無銘のブロードソードだ。



 名も捨てた。髪の色も捨てた。黒曜特産の刀も捨てた。残っているのは、嫌な思い出ぐらいのものだ。



「ねえルーさんってば、聞いてるの? ルーさん」


 

 女の声が聞こえて、俺は閉じていた目蓋を開いた。



 俺に呼び掛けてきた女の名は、アシュレイ=ソーン。街の馴染みの女だった。胸が大きくウエストは細く、足も細い。スタイル抜群だが、性格はボーイッシュで、髪はもちろん短髪である。年は確か十六……だったかな? 知らんけど。



「んー。聞いてませんよー」



 今一度椅子の前足を持ち上げながら、俺は言った。



「んもーっ。だーかーらー、ボクに似合う神様はいないかなって聞いてるの。ボクね? 冒険者になりたいんだー」



 嘆息つくと、白い吐息が零れた。炎獣ポルポタを呼んでいるが、それでも寒いものは寒いのだ。ちなみにその炎獣はというと、今、アシュレイに抱きかかえられている。



「そうかい。ただまあ、結論から言うと、契約したいなら親同伴でまた来てくれ。神との契約には相性があるし、一度契約すると、外しずらい神も多い。一生を左右するからよ。勝手に契約なんてしたら怒られたりするんだよ。特に、お前みたいな金持ちの家の娘が相手だとな」


「それができないからルーさんのところに来たんだよ。もー融通がきかないなー」


「お前のために人生を投げ出すつもりはないんだよ」


「ちぇー!!」



 言いながら、アシュレイが、抱いていたポルポタの頭をなでる。ポルポタは嬉しそうに目を細めていた。

 


「君はこんなに可愛いのに、ご主人様は全然優しくないねー。どうしてなんだろうねー」


「その台詞を俺に言ってくれたら、もしかしたら事態は変わるかもしれない」


「え、ほんと!?」



 アシュレイが顔を近づけてくる。


 ガキというのはどうしてこう感情表現豊かなのだろうか。枯れ果ててしまった自分にとってこいつは、まるで新種の珍獣でも見ている気分になる。


 俺は一度目を上向け、そうしてから、答えた。



「嘘だ」


「何だよそれー。もー、嘘ばっかりつくんだもんなー、ルーさんはー」



 アシュレイが、ポルポタを強く抱きしめた。


 余談だが、炎に包まれたポルポタを抱いて、アシュレイが火傷しないのは、ポルポタが使い魔ではなく、神使だからである。


 むくろの骨と土、そして数多の素材で作る獣のことを霊獣れいじゅうと呼ぶのだが、素材の属性によって、神使と使い魔に分かれる。


 神使は人懐っこいが、人に危害を加えられない。だからアシュレイを焼くこともない、というわけだ。



「今たまたまついただけだろー? そもそも、神と契約したいなら、俺を通す必要なんかない。お前ぐらい大きな家の娘なら、時期が来れば勝手に契約させるだろ。今の世の中、猫も杓子も契約者なんだからよ」


「まあ、それはそうなんだけどさー」


「何か問題でもあるのか?」


「え、あったら相談乗ってくれるの?」


「聞くだけな」


「あのねー、ボクさあ、今度お見合いすることになってるんだよね」


「いいことじゃないか」


「よくないの!!」



 ピシャリと、アシュレイが言った。



「別にお見合いぐらいしてやれよ。死ぬわけじゃねえ。嫌だったら断ればいい。それだけの話だろ?」


「だから、それができない相手なんだってば」


「いわゆる政略結婚ってやつか?」


「うーん、まあそんな感じ」


「なるほどねー」



 納得した。コーヒーが入ったカップを手に取り、口に含んで、頭を上げる。ポルポタを抱いたアシュレイが、こっちを見ていた。



 だから聞くだけって言っただろうに……。



 とはいえ、このまま何も言わないというのも酷かもしれないな。相手は十六の小娘。俺より十一も年下ではないか。



 少しばかり考えてから、俺は指を一本立てた。



「いいか、アシュレイ。美人は三日で慣れるという」


「うん」


「そりゃつまり、状況には三日で慣れるってことだ」


「う、うん……」


「相手が不細工だろうが気に食わなかろうが、三日もすりゃどうせ慣れる。ましてや政略結婚ってことは、お互いの足元が盤石である、ということを証明していて――」


「だからそういうこと言ってるんじゃないんだよ!! ルーさんのバカ!!」


 

 えらく叫んでくるものだから、俺は耳を塞いで顔を伏せた。そして、顔を向ける。アシュレイは拳を握り、ガチ泣きしていた。



 あれ、そんなに失礼なこと言ったかな? 頑張って嫁入りして来いよと、励ましたつもりだったのだがね。



「もう知らない!! ボク帰るから!!」



 スタスタとアシュレイが帰っていく。俺はそれを黙って見送った。俺の元にやってくるポルポタを抱きとめた。



 扉が開かれ、最後にアシュレイが振り返った。何か言うのかと思ったら――



「べーっだ!!」



 舌を出してきただけだった。そして『バタン!!』と扉が閉じられる。俺はその場に固まったまま、閉じられた扉を見つめていた。


 

 そっと、膝の上に乗ってきたポルポタの背をなでる。



「やれやれ」



 俺のつぶやきを、膝の上のポルポタだけが、心地よさそうな顔で聞いていた。

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