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といってもアギス二世はトゥキュディデスを賓客として手厚く遇したわけではない。かの国は安逸を軽蔑し、武勇を尊び、質実剛健を宗とする土地柄だから。

スパルタは、戦に傷つき疲れた退役軍人らがつつましく余生を送り、安らかに死ぬための村を、オリュンポス山の麓にもうけた。祖国アテナイのために軍を率い、敗戦の責めを背負わされ、追放されたトゥキュディデスもまた、その村に住むことを許された。



トゥキュディデスはなぜアテナイを追放されたのか。そしてスパルタはなぜ敵将を受け入れたのだろうか。


ギリシャの北辺、未開なトラキア人が住む土地で金や銀が採れる山があると聞きつけたトゥキュディデスは、トラキア人から二束三文で、パンガイオンという山の採掘権を手に入れた。トラキア人はその頃まだ、金の採り方を知らなかった。


アンフィポリスという町はもともと、トラキア人らが山から切り出した木を、ストリュモン川に流して、その河口でアテナイ人が買い付けに来る交易の村というに過ぎなかった。だが、パンガイオンからどんどん金銀が採れることが知れて、アンフィポリスの重要性は跳ね上がる。


スパルタはパンガイオン金山の前線基地であるアンフィポリスをアテナイから横取りしようとたくらんだ。

その頃アンフィポリスは警備が手薄で、城壁すら築いてはいなかった。ストリュモン川の河口に浮かぶ小島というにすぎなかった。


アテナイは、例によって、至る所で原住民の支配に失敗していた。アテナイ人には他ポリスや他民族を支配する能力がからきし欠けていた。習俗や価値観の異なる種族を包括し統治する技能がまったくなかった。そのためギリシャでは、アテナイを盟主とするデロス同盟とスパルタが糾合するペロポンネソス同盟の間で、すでに四十年近く、いわゆるペロポンネソス戦争が続いていた。

一方でトラキアとギリシャの間にある国、マケドニアは、トラキアを開発しつつ先進国ギリシャへ進出してきた。


マケドニア王ペルディッカス二世はペロポンネソス同盟側について、つまりアテナイの敵スパルタの力を借りてアンフィポリスを取ろうと考えた。ペルディッカス二世の招きに応じてスパルタから送り込まれた将軍の名はブラシダスと言った。


アテナイからアンフィポリスに来た坑夫や鍛冶職人らは、現地のトラキア人に混じって暮らしていた。ペルディッカスに内応するアンフィポリス市民の手引きで、小雪がちらつく悪天候の中、スパルタはわずかな兵力で深夜ストリュモン川を渡り、警備兵らは退けられ、ブラシダスはやすやすと橋を渡って、アンフィポリスに入った。

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