第45話

 信一の言うことに光秀も頷く。


「そうだよ。元から馬鹿なんだから小難しいこと考えないでやりたいようにすればいいんだ。こっちは振り回されるのに慣れちゃってるしな」


 そう言って、聡の顔を見て、


「だから、行ってこいよ。戻って来るまでは心配させるようなことはならないから。その後はその後考えようぜ」


「光秀……」


 聡は瞳から水を流して、真正面から見つめていた。

 よくよく見ると、それは涙でもなんでもなくてただの水滴が滴っているだけだった。

 まぁ、こんなことで泣くような奴でもないし、と光秀は少々落胆した気持ちを隠しながら自分を納得させる。

 内心では割といいことを言ったつもりであっただけに、反応が悪いとただの寒い奴のように思えて、羞恥心を隠すようにすこしだけ顔を逸らす。

 それが気取られるわけもなく、聡は大きく笑みを作り、


「んじゃ、よろしく」


「流石にその思いっきりの良さはむかつくね」


 言い終わり、信一が水をかけると聡も今度は応戦をする。

 周囲に他人がほとんどいないとはいえ、公共の場だ。あまりじゃれあいすぎると迷惑がかかるため注意しようと、光秀が様子を見ていると、


「お前たち、いい加減にしなさい」


 顕志朗の言葉に時が止まったように二人は動かなくなる。そして、お互い顔を見合わせた後、ゆっくりと肩まで湯につかっていた。

 まるで父親に叱られた幼い兄弟のように、ばつが悪いといった表情を浮かべているのがおかしくて、光秀はくっくっと喉を鳴らす。

 なら自分は親戚のおじさんになるのだろうか、と状況を俯瞰で見て、そんな意味もないことを思う。

 そのまま会話がないまま時間が過ぎるかと思ったが、それを聡が許さなかった。


「……じゃあ次は恵美な」


「まだやるの?」


 信一が言うことに光秀は賛成だ。

 聡としても一番話したかったことは終わっているはずで、話としても比較的きれいに終わったと思える。これ以上は蛇足にしかならないというのに、聡が続きを求めたのは、

 自分だけだと不公平に感じてんだろうな。

 子供の理論だ。突き返すのは簡単で、光秀は入り口上にある丸い壁掛け時計へ目を向けた。

 入浴開始からまだ四十分ほどしか経っていない。一時間以上は浸かっていたい身としては話が無くなり、飽きてお開きになるほうが問題だった。

 だから光秀は言葉を紡ぐ。


「恵美はなぁ……」


 彼女と思い出は多いが、特に印象的なのはあの日の海岸での出来事だろう。なんとなく告白されて、なんとなく振られた、ひと夏の夜の夢だ。

 ただ今それは関係がない。二人だけのことをわざわざ言う必要はないし、言いたくもない。

 そのうえで彼女の印象と言ったら、


「……普通。びっくりするくらい普通なんだよなぁ」


「なんだそれ……って言いたいけど、ごめん俺もそう思うわ」


 光秀が言ったことに対して、聡も同意する。

 それを見て、信一は不満げな目線を投げかけていた。


「えー、それずるくない?」


「と言われてもなぁ」


 信一の言うことはわかる。先にあれだけ責めていたというのに自分の番になったら日和っているかのような返答をした聡に納得がいかないのだろう。

 でも仕方がないのだ。


「いや、さぁ。二人と関係持っているとかは確かに思うところがあるけどさ、別に上手いこと遊んでるなって訳でもないし、誰でもいいって訳でもないし。特筆してこんな人っていうのがないんだよ」


「そんなことないでしょ」


「じゃあ何があるん?」


 光秀が問うと、そりゃあと前置きした信一が、


「……プロポーションがいい?」


「詩折のほうがでかいだろ」


 悩んだ挙句に言った言葉を、聡がぶった切る。

 聡の言う通りで、身長でいえば景子が頭一つとびぬけている以外、詩折、恵美、由希恵の順で並んでいる。三人に差はほとんどないが、女性的な、出るとこ出て引くとこ引いているというのであればまた同じ並びになる。景子は出るところがまるでないため肉体的な女性らしさを感じたことはないが。

 そのことを自覚していたのか、信一は助けを求めるように顕志朗を見る。

 何か言葉を用意していると期待したのだろう。が、当の顕志朗は考え込むように視線を左右に動かすばかりで、


「……すまん」


「いや、普通が悪いってことじゃないですから」


 ついに何も思いつかなかったのだろう、ゆっくりと頭を下げる彼を光秀はフォローする。

 しかし、一番よく知るであろう顕志朗ですら普通以外の答えが導き出せない恵美は、ある種感嘆に値する。

 もちろん悪い意味ではなのだが、本人が聞いたら気分が良くはないだろう。

 しかし、それ以上話すことがないためお題は次へと向かわざるを得ない。

 ではどちらか、という問の答えは直ぐに返ってきた。


「ユキちゃんは、最近まで神経質な潔癖症かと思ってたけど一皮むけたよね。正直みっちゃんが尻に敷かれる未来しか見えないかなぁ」


 信一はそう言うと、目を聡に向ける。

 それを受けて聡も頷きながら、


「相性はいいと思うけどな。個人的には今の方が好ましいか、少し細いけど」


「お前の好みは聞いてねぇよ」


 光秀は顎を手のひらに乗せながら答える。

 二人の意見はだいたい想定した範囲内だ。どこか引いて見ていた以前の由希恵と積極的に前に出るようになった今では付き合うのも気安い方がいい。

 最後に顕志朗が、


「特に言うこともないな。まだまだぶつかることもあるだろうから、よく話し合いなさい」


「そうですね、了解です」


 その言葉は経験から来ているのだろうことは直ぐにわかる。

 元々口数の多くない顕志朗のことだ、もっと上手くやれたという後悔は多かったのだろう。その轍を踏むことを望まない、また光秀もその言葉を金言として胸に刻みつけるつもりであった。

 三人が話終わり、ただ光秀も何か言う気にはなれなかった。

 何となく話がまとまってしまったため、それ以上は必要ないと感じていたからだ。

 付け足すことも特にないしな。

 となると、話は最後の一人になる。

 が、その事に対して誰もが口をつぐみ、場は静まり返る。

 それは忘れているという訳ではなく、

 ……的確な言葉が浮かばないんだけど。

 光秀が思っていたのは明るい子と言うだけだった。その表面をなぞったような印象しか思い浮かばないことが、口に出すことを躊躇わせていた。

 それなりに長い付き合いであるはずなのに、貼り付けた仮面ばかりを見ていた気がして羞恥心が湧いてくる。

 なぜそうなったのか、それすら分からず、


「……ヤバいわ、よくわかんない」


「みっちゃんも?」


 信一の言葉に光秀はただ頷く他なかった。

 結局その後四人で頭を抱えること数分。答えが出ずに悶々としたままいい時間になってしまった。

 風呂上がりも帰りの運転中もその疑問だけが四人の中で燻り続けていた。

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